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来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第三章 変動
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イーデニズム

 志門杏里は、自分が創設者であるという事実に、最近ではほとんど慰めを感じなくなっていた。


 最終インターナショナル。

 名前だけ見れば大仰だ。インターナショナルだの最終だのと、いかにも歴史へ殴り込みをかけるつもりの集団に見える。だが、その出発点はもっと湿っていて、もっと小さく、もっと日本的だった。就活で祈られた若者。既卒のまま時給で食いつなぐ女。正社員へ滑り込めなかった大学院中退。奨学金返済で首が回らない二十代。政治の言葉は嫌いだが、自分が個人の努力不足だけでここまで惨めなのだとは信じたくない人間たち。彼らがネットの奥で互いの敵意を言語化し、少しだけ賢い気分になり、少しだけ共同体めいたものを感じる。その程度のものとして、最終インターナショナル生まれた。


 だから志門にとって革命とは、長いあいだ本気の武装蜂起ではなかった。そんなことを日本で本気で考えるのは馬鹿か狂人だと、彼女自身が一番よく分かっていたからだ。

 SNSで敵意の輪郭を共有する。

 生活相談の名目で、壊れかけた若者たちを拾う。

 就活、奨学金、賃金、住宅、年金、選挙、人口減少、そのあたりの不満へ「個人の問題ではなく構造だ」という語を貼る。

 せいぜいそこまでだった。

 その回りくどさを、彼女はある時期までは知性だと思っていた。日本では直接の革命ごっこより、遠回りの方がましだと、本気で信じていた。


 いま思えば、その信念の半分は臆病の言い換えだった。


 地下化した日本支部のサーバーは、もう以前の温度を失っていた。

 誰がまだ安全か。

 どの端末を切るか。

 どのセーフハウスは捨てるか。

 どの窓口は死んだふりをさせ、どの窓口は本当に閉じるか。

 そういう話ばかりになっている。

 生活相談の窓口は細り、労働相談のログは減り、代わりに暗号化、配送、監視回避、資金移動、偽名、連絡頻度、接触禁止、そのあたりの語が増えた。

 組織が地下へ潜るとは、単に危険になることではない。人間の顔が減ることだ。

 志門はそのことを、ここ数か月で嫌というほど思い知った。


 しかも、その地下化の中で、日本支部は主導権を失い始めていた。


 アメリカ支部。ジュリアス・イーデン。

 その名は、最初から嫌な響きを持っていた。


 志門が初めて彼と通話した時、何より腹が立ったのは、あの男がまったく活動家らしくなかったことだ。普通、運動家はすぐ大きいことを言う。歴史だの人民だの連帯だのと、胃にもたれる言葉を並べる。ジュリアスは違った。

 武器。食料。薬。通信。記録。逃走。法的支援。病院。街区。

 革命とは、そういう日常機能を国家から一つずつ横取りすることだ、と彼は言った。正しい。正しすぎる。正しいからこそ、志門は本能的に嫌った。自分たちが長く「敵意の輪郭」や「予定表の社会」といった言葉で済ませていたことを、あの男は最初から実務に落として見ていたからだ。


 いま、その差は取り返しのつかないところまで広がっていた。


 韓国が割れた。

 台湾も割れた。

 日本では四谷が国家を掌握し、隣国へ思想を輸出している。

 それなのに最終インター日本支部は、つい最近まで生活相談とサーバー運営の延長で、自分たちが歴史へ触れている気になっていた。

 そこへアメリカ支部が食い込んでくる。

 しかも彼らは、日本支部の無様さや遅さを、同情ではなく教材として扱う。

 そこが最悪だった。


 志門は、地下回線で届いたジュリアスの講話ログを、何度も読んでいた。


 投票? 好きならやれ。

 だがそれで何が変わる。

 警官は昨日も人を撃った。

 保険会社は今日も人を殺している。

 薬は蔓延する。

 企業は儲ける。

 なら何を待つ。

 蜂起とは一回のイベントではない。

 街区。物流。警察無力化。情報。病院。弾薬。食料。革命はその総和だ。


 こういう文章は、普通なら空疎な扇動に見える。

 だがジュリアスの嫌なところは、それが本当に扇動だけで終わっていないところだった。

 アメリカ支部は、表向きには左派組織としてよくある顔をしている。学生支援、相互扶助、薬物依存者支援、地域の安全な居場所づくり、反差別行動。どれも穏当だ。だがその裏で進んでいることは別だった。射撃訓練。州境を跨ぐセーフハウス。銃器合法州での調達。非公式医療ネットワーク。暴動時の兵站実験。デモの中での小規模実力行使。保守民兵との局地衝突。つまり、彼らは最初から国家転覆を「銃で撃つ瞬間」ではなく、「国家機能の切り取り」として理解していたのだ。


 志門は、その現実感に嫉妬していた。


 嫉妬、と認めるのは苦い。

 だが他に言いようがない。

 自分は創設者だ。

 語学もあり、扇動もでき、実務も回せる。

 生活相談を革命の手前に置くという発想だって、日本では自分が一番早かったと思っている。

 それでも、ジュリアスの前に立つと、自分が「痛みの言い換え」に長けたポジショントーカーでしかなかったのではないかという疑いが戻る。

 彼女は本当は、最終インターの中で誰よりもそれを恐れていた。

 既存左派を役立たずと罵倒し、就活制度を構造的搾取と呼び、予定された人生を拒否せよと若者へ配ってきた。

 だが、国家を本当に奪う手順を考えていたのか、と問われると、胸の奥に鈍い沈黙が残る。

 その沈黙の形を、ジュリアスだけが最初から見抜いているように思えた。


 ある晩、志門はアメリカ支部との長い通話を開いた。

 時差のせいで、こちらは深夜、向こうは朝に近い。

 画面は繋がない。

 音声だけ。

 相手の顔が見えない方が、かえって嫌だった。


「韓国と台湾を見たでしょ」


 ジュリアスが言う。

 抑揚の少ない声だった。

 熱がない。

 だから余計に、文の骨だけがこちらへ刺さる。


「見た」


 志門は答えた。


「感想は」


「四谷が早かった」


「違う」


 ジュリアスは即座に言った。


「四谷が早かったんじゃない。お前らが遅かった」


 志門は一瞬、言い返せなかった。

 通話に入っていた日本支部の若い男が、向こうで何か悪態をついたが、ジュリアスは気にしない。


「日本では無理、ってお前は何度も言ったな」

「嘘じゃない」

「嘘じゃなくても、半分は言い訳だ」

「……」

「できないことを数えるのは楽だ。国家のどの機能なら横取りできるかを数える方が、よほど革命に近い」


 志門は、そこで自分の奥歯が少し鳴るのを感じた。

 腹が立つ。

 だが、腹が立つ理由のかなりの部分が、「その通りだ」と自分でも分かっているせいだと認めたくなかった。


「あなたはアメリカ国民だから言える」


 彼女は、昔とほとんど同じ反論をした。


「銃がある。州ごとの穴もある。警察権力も分散してる。民兵もいる。共同体が割れてる。日本で同じことができると思わないで」


「同じことをやれとは言ってない」


 ジュリアスは答えた。


「国が違えば腐らせ方も違う。だから聞いてる。日本では、どこから国家を腐らせる?」


 その問いが嫌だった。

 嫌というより、痛かった。

 志門は長いあいだ、「日本では無理」という文を、自分の頭の中の防波堤にしてきた。

 無理。

 だから回り道。

 無理。

 だから言語化。

 無理。

 だから精神的共同体。

 その「だから」の列へ、ジュリアスは一つずつ穴を開けてくる。無理でも、じゃあどこから国家を薄くしていくのか。無理でも、じゃあ住民の怒りと生活の回路をどう奪うのか。無理でも、じゃあ無理なりの国家機能の切り取り方があるだろう、と。

 それは思想の議論ではなかった。

 作戦会議だった。

 そこが志門には最悪だった。

 最終インターの創設者でありながら、自分が本当には作戦家ではないと、通話のたびに知らされるからだ。


 ジュリアスは続けた。


「日本支部は、生活相談と敵意の共有でここまで来た。それは間違ってない。むしろ重要だ。だがそこで止まった」

「止まってない」

「止まった」

「……」

「生活相談は国家の代替回路の入口だ。入口で満足してどうする」


 志門の胸に、黒い苛立ちが広がった。

 生活相談を軽んじるな。

 それは日本では唯一まともに人が入る回路だった。

 就活に祈られ、既卒になり、家賃と奨学金と親への負い目で擦り減った若者が、最初から革命の綱領に飛びつくわけがない。

 だから自分は彼らの生活に降りた。

 労働相談、家賃滞納、病院同行、窓口テンプレ、停電時の備蓄、匿名配送。

 それは間違っていなかった。

 だが同時に、その実務の半分が「実務をしている自分たち」に酔うためのものへ変質していたことも、彼女自身よく分かっていた。

 救う。

 支える。

 繋ぐ。

 その言葉は正しい。

 だが正しい言葉は時に、革命から最も遠いところで心地よく膨らむ。

 ジュリアスはそこを容赦なく切ってくる。


「日本支部は敗北した。敗北した組織が最初にやるべきことは何だ?」


 ジュリアスが問う。

 誰もすぐには答えない。

 通話の向こうで、アメリカ支部の誰かがライターを鳴らす音がした。


「総括だろうな」と、日本支部の誰かが言う。

「甘い」


 ジュリアスは即答した。


「第一に生存。第二に再編。第三に、失敗の中身を解剖、改善する。総括はその後だ」


 その三つの順番に、志門は妙な敗北感を覚えた。

 生存。

 再編。

 改善。

 あまりに軍隊じみている。

 だが、自分たちはもう軍隊じみた国家に追われているのだ。

 そこへ倫理や潔癖さを盾にしても、結局は処刑映像になるだけだ。

 その事実を、真木の祈れなくなった顔や、日本支部の被拘束者たちの消え方が、ずっと前から教えていた。


 アメリカ支部の現場映像も、最近ではひどく増えていた。

 倉庫での射撃訓練。

 黒人、白人、ラテン系、アジア系が混じる小集団。都市暴動の最中に物資を抜き取る実験。保守民兵との局地衝突。州境を跨ぐ非公式医療ネットワーク。銃社会アメリカでは、国家を嫌うことが最初から文化として半分合法である。

 その土壌の上へ、ジュリアスはほぼレーニン主義と言っていい冷たい実務を流し込んだ。

 結果として最終インター全体は、志門の社会民主主義寄りの愚痴サークルから、ジュリアスの革命予備軍へずるずる引きずられていく。

 しかもそれは、乗っ取りというより、推進力の自然増殖として起きている。

 危険だ。危険すぎる。

 だからこそ、若者は惹かれる。現代の若者は極端な理論家より、極端に現実的な人間へ弱いからだ。


 志門は、通話を切ったあとも、しばらく暗い画面を見ていた。

 自分が怒っているのか、屈辱を感じているのか、それともどこかで安堵しているのか、判然としなかった。

 安堵。

 その語が自分の中にあるのが嫌だった。

 だがたぶん本当だった。

 日本支部がもう自分だけでは持たないと知っている。

 生活相談と機会主義と敵意の輪郭だけでは、四谷政権にも隣国の軍政にも対抗できない。

 なら、ジュリアスの冷たい実務主義に組織が乗っ取られていくことは、屈辱であると同時に、延命でもある。

 創設者にとって、これ以上嫌な真実はない。


 衛村真木は、別の場所でアメリカ支部の資料を読んでいた。

 ジュリアスの文章には、救いがない。

 だが奇妙な整合性がある。

 『赦しは強者の余裕に利用される。国家が独占してきた機能を横取りしろ。違法は、法が先に犯罪である場合には罪ではない』

 キリスト者としての自分は、こういう文を嫌悪すべきだと知っている。知っているのに、現在ある現実に対して、教会の柔らかい言葉よりこの冷たい文章の方が先に輪郭を与えてしまう時がある。

 そのことが、彼女の信仰をじわじわ削っていた。志門とジュリアスの対立は、単なる路線対立ではない。

 救済をまだ言語化しようとする者と、救済をほとんど兵站へ置き換えた者の差だ。そして世界が壊れていく時、たいてい後者の方が生き残る。


 深夜、志門は一人でメモを書いた。


 『日本支部は調停しかできなくなっている。ジュリアスは危険だ。だが危険であることが、組織にとって推進力になる』


 そこまで書いて、彼女は手を止めた。

 遅い。

 その語が、ひどく苦かった。

 自分は、既存左派の遅さを軽蔑してここまで来た。

 国会で演説しているだけの連中、選挙で負けても生き残ることだけを考える連中、労組と市民団体のぬるい連帯に満足している連中。

 自分は彼らより先へ行くつもりだった。

 そのはずが、いまやアメリカ支部から見れば、自分の方が「言葉のきれいさにこだわる遅い創設者」になりつつある。

 その転倒は、皮肉というより、ほとんど報いに近かった。


 志門は最後に、短く書き足した。


 『最終インターはもう私の、いや日本のものではない』


 それは喪失の確認でもあり、同時に、これから先の時代認識でもあった。

 アメリカ支部が四割を占める。

 ジュリアスは自分にとって使える組織だから使う。創設者が誰か、綱領がどうかは本質ではない。

 その冷酷さが、組織全体を前へ押す。

 なら、最終インターナショナルはすでに、就活落伍者の日本的鬱屈から生まれた集まりではなく、もっと大きく、もっと暴力的で、もっと国際的な病気になりつつある。

 その病気の名を、いずれ誰かが「イーデニズム」と呼ぶのだろう、と、志門は半ば他人事のように思った。


 そして彼女は、ようやく本当に理解する。

 四谷の思想が国家を使って東アジアへ感染するのと同じように、ジュリアスの冷たい実務主義もまた、最終インターという緩い器を使って国際化し始めている。

 違う病気だ。

 だが、どちらも若い人間の疲れと怨念を好んで増殖する。

 その意味で、この時代にもっともよく適応している思想は、正しい思想ではない。

 人間を材料として、手順に落とせる思想だけだ。


 志門は、そこまで考えたところで、急に自分がひどく古い人間になったような気がした。

 まだ二十代のくせに、もう創設者として過去化し始めている。

 だが創設者が過去になる時こそ、組織は本当に次の段階へ入る。

 それを知ってしまったから、彼女は完全にはジュリアスを拒めなかった。

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