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来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第三章 変動
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再造民国

 台湾の政変は、韓国のそれより静かに始まり、静かに人を追い詰めた。


 ソウルの軍政は、怒りと怨念をむき出しにした若い軍人と若年層の黒い期待によって、最初から街へ火の色をつけていた。台湾は違う。台北の街は、政変の翌日でもあまりに普通だった。コンビニは開き、バイクは信号で整然と止まり、豆乳店には朝から列ができ、テレビのワイドショーは不自然に落ち着いた声で改新政府の声明を読み上げる。壊れているのに壊れて見えない。その半端さが、かえって人間の内側を深く削った。


 中華民国改新政府。

 その名称は、最初に聞いたときから妙に出来すぎていた。


 革命政府ではない。

 軍政府でもない。

 維新でもない。

 改新。


 それは断絶を示しながら、同時に継承を装える語だった。中華民国は残す。国旗も残す。国父・孫中山も残す。だが、その中身だけを切り替える。議会制の腐敗も、対中抑止のための受け身の安全保障も、アメリカへの依存も、全部「未完の共和国」が抱えた病理として処理し、その病理を切除する手術だと名乗る。そういう名前だった。よくできている。よくできているからこそ危険だった。


 改新政府の表の顔になったのは、郭承憲上将、五十八歳だった。


 年齢はやや高い。だがそれが逆によかった。若すぎればただの乱兵に見える。老人すぎれば、外省人の亡霊が再び権力を求めているように見える。五十代後半というのは、まだ軍務の威厳を保ちつつ、同時に「古すぎない」ぎりぎりの年代だった。経歴も申し分ない。統合作戦畑、防衛部勤務経験、対米窓口の経験あり、テレビへ出しても中華民国軍の正統な顔に見える。つまり、台湾の民主化後に育った中産層の市民から見ても、「少なくともただの狂人には見えない」種類の軍人だった。


 だが、郭承憲もまたハン・ドンギュと同じ問題を抱えていた。

 自分は国家を救っているつもりでいる。

 だが、その国家の「救済」が、本当に共和国の延命なのか、それとも共和国そのものの乗っ取りなのか、その境目を自分でも完全には掴めていない。


 彼は孫中山の肖像を見上げる癖があった。政変後に移った臨時庁舎の執務室にも、当然のように国父像がかけられている。前は何も感じなかった。儀礼だ。だが八月以後、その顔は嫌な意味で近くなった。孫文を継承していると自分に言い聞かせなければ、この政変は単なる武装簒奪としてしか耐えられない。だから見上げる。見上げるたび、逆に自分が孫文ではなく、その名を都合よく使っているだけの凡庸な軍人ではないかという疑いも戻ってくる。その往復が、郭承憲の夜を少しずつ悪くしていた。


 現場を握っていたのは、林子謙少校ではない。彼はまだ若すぎる。

 本当の執行者は、五十代の上将でもなければ、三十代の少校でもなかった。

 四十代半ばの旅団長級、中校と上校のあいだにいるような連中、その世代だった。


 その中でも中心にいたのが、許文哲上校、四十六歳だった。


 韓国のナム・テジュンほど露骨ではない。だが本質は近い。上の威厳と下の焦燥、その両方をまだ身体で知っている。米軍式の手続と中華民国軍の古い儀礼、その両方を使い分けられる。若い将校へは「まだ自分たちの側の人間」に見え、郭承憲へは「危険すぎない実務家」に見える。こういう人間が政変の骨格へ入ると、軍政府は急に本物らしくなる。


 許文哲は、政変の二日後にはもう、軍の勝利ではなく国家の時間差を見ていた。


 台湾でクーデターが長持ちする条件は、韓国と違う。

 若年層の黒い支持だけでは足りない。

 台北の中産層、官僚、企業、大学、そして外省系と本省系の歴史記憶、その全部を一度に敵へ回してはならない。

 しかも、中国もアメリカも見ている。

 だから台湾の軍政は、最初から「露骨に革命」であってはいけない。

 革命でありながら、革命に見えないこと。

 これが許文哲にとっての第一原則だった。


 彼が最初にやったのは、支持層の整理ではなく、語彙の整理だった。


 革命、粛清、前衛、人民戦争、そういう単語はいらない。代わりに、改新、整理、再編、未完の共和国、国父の理念、先知先覚、知難行易、国家再生、そのあたりへ寄せる。

 要するに、四谷のレーニン=孫文主義からレーニンを消し、孫文だけを明るい場所へ置き直す作業だ。その加工は露骨だったが、台湾ではよく効いた。

 なぜなら、台湾社会は自分の国家を「何であるか」より「何でないか」で長く支えてきたからだ。中華人民共和国ではない。中国共産党ではない。独裁ではない。その否定の列の上に立ってきた国家は、いざ自分の積極的な正統性を問われると弱い。そこへ「本来の中華民国を取り戻す」という語が入ると、人は案外簡単に引き寄せられる。


 台北の市民は、韓国の若年層ほど露骨に喝采しなかった。


 そこが台湾政変のいやらしさだった。

 怖がっている。

 嫌悪もしている。

 だが同時に、現状維持へ戻ることにももう飽きている。

 中国の圧力へ怯え、アメリカの保護に甘え、選挙のたびにアイデンティティを擦り切らせる政治に、かなりの人間が静かに疲れていた。

 だから改新政府は、熱狂ではなく、『渋い黙認』によって生き延び始める。


 若い会社員は、朝の通勤途中にスマートフォンで声明を読む。

 大学生は「軍政は最悪だ」と言いながら、同時に「でも、議会も何も決めなかった」と付け足す。

 タクシー運転手は、「国父の名を使うな」と怒りつつ、「ただ、今の政治も終わっていた」と続ける。

 中年の公務員は黙る。

 黙りながら、どちらの命令系統が長持ちするかだけを見ている。

 支持はない。

 だが、即時の全面拒絶もない。

 それで十分だった。


 林子謙は、その空気の半端さにむしろ安心を覚えた。


 もし街頭が完全な熱狂に染まっていたら、これは失敗すると思っただろう。

 革命を愛する群衆は、すぐに革命の内容へ口を出し始める。

 だが台湾の人々はそうではない。

 彼らは軍を愛していない。

 改新政府も信じていない。

 ただ、今までの共和国がこのまま続くことにも、かなり深くうんざりしている。

 その「うんざり」が、最も危険で、最も政権に都合のいい感情だった。


 林はもともと理論家ではない。

 だが理論の気配には敏感だった。

 この政変は、表向きこそ孫中山と中華民国の未完を埋める運動として語られているが、背後の骨格は別だ。

 多数者は遅い。

 少数が先に動く。

 国家は歴史の器にすぎず、器が腐れば中身ごと作り替える。

 そういう発想が、明らかに入っている。

 しかも、その発想は台湾で自生したというより、日本で先に成功例を持った誰かの手を経て、こちらの言葉へ置き換えられている。

 そこまで彼は感じ始めていた。


 許文哲は、林のような若い将校がそう感じていることも織り込んでいた。

 織り込んだ上で、まだ口に出させない。

 口に出すには早いからだ。


 改新政府の当面の課題は三つあった。


 一つ目は、中国への説明ではなく、中国への攪乱。

 二つ目は、アメリカへの忠誠ではなく、アメリカを急に敵へ回さない時間稼ぎ。

 三つ目は、台湾の中産層に「これは対中従属でも単純軍政でもない」と錯覚させ続けること。


 そのため、政策の第一波はひどく周到だった。

 戒厳令ではなく、国家移行特別措置。

 政党全面禁止ではなく、一部活動停止。

 言論弾圧ではなく、虚偽情報監督。

 徴兵拡大ではなく、国民防衛再編。

 革命裁判ではなく、国家浄化審査。

 どれも実態は強権だ。

 だが名前のつけ方が、台湾の市民感覚に合わせて一段だけ柔らかい。

 それが台湾版の軍政だった。

 韓国が「壊してよい共和国」を若年層に見せたのに対し、台湾は「やり直してもよい共和国」を市民へ見せる。

 病気は同じでも、顔つきが違う。


 郭承憲は、その顔つきの違いを、自分の信念の違いだと思いたがっていた。

 韓国の維新軍政府とは違う。

 自分たちはより理性的で、より歴史的で、より中華民国の継承に忠実だ、と。

 だが、その自己像は日を追うごとに薄くなる。

 国家再編案を読み、若い将校たちの議論を聞き、許文哲の起案した文書へ目を通すたび、それらの骨格があまりに冷たく、あまりに少数支配へ傾いていることが分かるからだ。

 孫文の継承。

 未完の革命。

 中華民国の救済。

 そういう言葉の下で、実際に進んでいるのは、もっと乾いた何かだった。


 「国父は議会制のために革命をしたのではない」


 ある夜、若い将校の会合で、林がそんな言い方をした。

 自分でも驚くほど自然に口をついて出た。

 以前なら、そんな言葉は右翼老人か反動的ロマン主義者の戯言にしか聞こえなかっただろう。

 だが今は違う。

 共和国がこれほど中途半端で、これほど依存的で、これほど歴史の主体でないなら、議会や選挙より先に国家そのものを立て直す少数者が必要なのではないか。

 そういう危険な納得が、彼の中にも育っている。

 その瞬間、彼は自分が感染していることに気づく。

 だが、気づいてももう遅い。

 人は自分の思想がどこから来たかを疑う時、たいていその思想の中へ最も深く入っている。


 八月半ば、改新政府の内部会議で、許文哲は台湾単独の生存可能性を冷たく切った。


「我々はこの島だけでは完結しません」


 郭承憲は顔を上げる。


「どういう意味だ」


「中華民国改新政府は、台湾だけの秩序回復政権ではない、という意味です」


 許の言い方は相変わらず平坦だった。


「中国への対抗、米国との距離調整、物流、半導体、海上交通、国家承認。どれをとっても、単独で長くは持ちません。持たせようとすれば、結局は旧秩序へ戻るしかない」


「なら何を言いたい」


「我々は地域再編の一部であるべきです」


 その一言で、会議室は少しだけ冷えた。


 地域再編。

 それは郭承憲にとって、まだ表向き口にしたくない語だった。

 台湾の軍事政変が、日本や韓国と連動していると見えれば、国内の黙認も、国外への言い訳も一気に苦しくなる。

 だが、許文哲はもうそこを見ている。

 見ているだけではない。

 たぶんそのための言葉を、既にどこかから受け取っている。


 その夜、郭承憲の元へも東京から一通の文が届いた。

 送信元は表向き存在しない。

 だが内容の温度だけで、誰のものか分かる。


 『未完の共和国は単独では完成しない。東アジアの再編は、個別国家の延命ではなく、共通の歴史主体を必要としている。*必要なら、福岡で会おう』


 郭承憲は、その短い文を何度も読み返した。

 嫌悪が先に来る。

 日本の軍政に引かれるのか。

 台湾の改新は台湾のものであるべきだ。そう思う。

 だが、その嫌悪の奥で、もっと現実的な自分が別のことを考えている。

 もし単独では持たないなら。

 もし台湾の改新が、地域全体の再編の一部でなければ、結局は中国かアメリカのどちらかへ再び従属するだけなら。

 その時、福岡の誘いは、妄想であると同時に、一つの出口にも見える。


 

 狂っている。だが、現実が十分に壊れている時、狂気の方が出口の形に見えてしまう。


 台北の夜景は相変わらず美しかった。

 その美しさが、郭承憲にはかえって苦かった。島はまだ壊れていない。だが、壊れていないからこそ、この先をどう名付けるかで全てが決まる。

 共和国の延命か。

 改新の完遂か。

 あるいは、もっと大きい何かの前哨か。


 郭承憲は端末を閉じた。

 孫中山の肖像が暗い室内でぼんやり見える。

 その顔の下で、台湾の未来は既に台湾単独の問題ではなくなりつつあった。


 福岡で会おう。

 その一文が、台北の湿った夜気の中で、ひどく静かに、しかし抗いがたく響いていた。


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