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来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第三章 変動
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維新軍政府

 韓国のクーデターは、若い軍人だけで完結するには無理がある。


 若い方は速い。怒りもある。ためらいも少ない。だが、国家の中枢へ「国家の顔」として出ていくには、もう少し古く、もう少し軍歴が長く、もう少しだけ体制の内側の作法を知っている人間が要る。反乱というものは、純粋な若者だけでは成功しない。若者の速度と、中年の顔が結びついた時にだけ、初めて政権らしく見え始める。


 ユギオ動乱の首謀者となったのは、ハン・ドンギュ中将、五十六歳だった。


 陸軍士官学校を経て、前線指揮も首都圏勤務も経験している。兵歴は長い。勲章もある。表向きの履歴に汚れは少ない。つまり、テレビへ出しても「国家の顔」に見える種類の軍人だった。これが三十代の急進派なら、ただの乱兵に見える。六十を越えた老将なら、時代錯誤の軍事老人に見える。五十代半ばという年齢は絶妙だった。まだ動ける。だが、十分に古く見える。若い将校たちが命を張って奪ったものへ、国家としての輪郭を与えるのにちょうどいい年齢だった。


 もっとも、ハン本人は革命家ではない。


 それどころか、数年前までなら、自分が国家を裏切る側へ立つとは考えてもいなかった。彼は軍人として真面目で、保守的で、しかもある程度までは制度に忠実な男だった。危ない思想に酔う類でもない。だがそういう人間ほど、最後は危ない。なぜなら、自分は例外だ、自分だけは国家を救うために立ったのだ、という言い訳を本気で信じられるからだ。


 若い将校たちは、それを知っていてハンを担いだ。


 彼らが本当に動かしているのは別の回線だ。

 だが、その回線だけでは政権には見えない。

 だから国家の制服を着た、まだギリギリ「正統」に見える顔が要る。


 その執行者になったのが、ナム・テジュン大領、四十四歳だった。


 四十代。若くはない。だが老人ではない。いま韓国の若い将校層の怒りと、上層部の作法、その両方をまだ身体で覚えている世代だ。首都圏機械化部隊勤務、合同演習経験あり、統合作戦の作法も最低限分かる。何より、上に見せる顔と下へ出す命令の切り替えが速かった。こういう男が現場執行者に立つと、クーデターは急に現実味を帯びる。


 ハン中将が国家の顔なら、

 ナム大領は国家の手だった。


 六月二十五日午前十時過ぎ、ソウルの一角にある軍施設の会議室で、ハンは最初の声明草案を読んでいた。


 紙には、いかにも古い軍人が好みそうな語が並んでいる。


 国家存立。非常措置。国民保護。秩序回復。腐敗した政争の停止。新しい再建。


 内容自体は珍しくない。むしろ、こういう文はどの国のクーデターでもだいたい似る。問題は、その文の背後に何がいるかだ。ハン中将は、まだそれを半分しか知らない。彼は自分が国家を保全するために動いているつもりだ。だが、その国家保全の背後で、若い方はもっと別のことを見ている。そこが、この政変の嫌なところだった。


「ハン閣下」


 ナム・テジュンが入ってきた。


「国防部前、制圧完了。警察機動隊は後退。一部で睨み合い継続。通信は予定通り」


 声は短い。報告に無駄がない。ハンは顔を上げた。


「死傷は」


「警察側軽傷複数。こちらはなし。発砲は限定的です」


「限定的、か」


「十分に抑えています」


 ナム大領そう言ったが、その「抑えている」の意味が、ハン中将の考える節度とは少し違うことを、ハンは薄々感じていた。ナムはやりすぎない。だが、必要だと思ったら迷わない。そこが怖い。若い将校の怒りを代行できるのは、結局こういう男だけだ。ハン中将には、その役はもう無理だった。彼は国家の顔にはなれても、国家の刃にはなれない。


「ソウル市内の反応は」


「若年層の一部で支持が出ています」

「一部、か」

「十分です。今は熱狂より、政権が立ったと見えることの方が重要です」


 その言い方に、ハンは少しだけ眉を寄せた。


 見えること。立ったと見えること。ナムはいつもそういう現実の話をする。ハンは、それを頼もしさと同時に、どこか品のないものとして感じていた。だが、品のある反乱など存在しない。ここまで来てまだ品位を気にするなら、自分は最初からこの場所へ立つべきではなかったのだ、と彼は自分で自分へ言い聞かせた。


「声明は、維新軍政府で行く」


 はが言った。


 ナムは頷いた。


 維新。古い語だ。だが古いからこそ効く。革命ではない。改新でもない。維新だ。秩序を破壊したのではなく、本来の国家を取り戻すための一時的な切断だと見せられる。韓国社会では、まだこういう語が老人にも若者にも別々の意味で効く。老人は秩序を読む。若者は破壊を読む。その曖昧さが都合がよかった。


「若年層はどう読んでる」


 ハンが訊いた。


 南は少しだけ口元を動かした。笑いではない。


「彼らは維新なんて読んでいません」

「では何を見ている」

「共和国が壊れるかどうかです」


 その答えは正確だった。


 ソウルの若い方は、ハンの演説の美しさなど見ていない。維新という字面の意味も深くは考えていない。見ているのは一つだけだ。いままで自分たちに兵役、競争、家賃、学歴、老害、男女対立だけを押しつけてきた共和国が、本当に壊れるのかどうか。その一点だけである。だから支持も恐怖も同時にある。軍政を愛しているわけではない。ただ、今の社会が死ぬなら、その瞬間くらい見たいのだ。


 ミンジョンは、その時、駅前の広場で立ち止まっていた。


 大型ビジョンに、軍服の中年が映る。

 五十代半ば。

 顔は整いすぎていない。

 怒鳴らない。

 むしろ、ひどく落ち着いている。


 ハン・ドンギュ中将は、声明を読み上げ始めた。


「国民の皆さん。我々は本日、国家存立の危機に対処するため、大韓民国維新軍政府を樹立した――」


 文は典型的だった。腐敗した政争。麻痺した共和国。老人支配に歪んだ政治。若者の流出。兵役の空洞化。北に対する備えの劣化。経済の衰弱。道徳の崩壊。

 半分は事実。

 半分は言い訳。

 その雑な混ざり方が、かえってよかった。


 ミンジョンの周囲にいた若者たちは、黙って見ていた。

 歓声はない。だが罵声も少ない。

 誰も「軍政最高」とは叫ばない。

 その代わり、皆、妙に真剣に画面を見ている。

 判断しているのではない。測っているのだ。この軍人たちは、老人たちの共和国を本当に壊す気があるのかどうかを。


 ハン中将は言葉を選んでいた。


「若者が未来を信じられぬ国家に、未来はない」

「国家が国民へ義務のみを課し、報いを返さぬなら、それはもはや民主主義の名に値しない」

「大韓民国は再建されねばならない」


 そこまでは、まだ普通の軍政声明だ。

 だが、その後ろでナムが用意した実務部隊が動いている。

 放送局への軍監差し込み。警察幹部の一時拘束。予備回線の掌握。主要交通節点の半封鎖。

 つまり、この演説が空語で終わらないだけの骨格が、既に裏で組み上がっている。


 ナム大領は、その生中継を別室で見ながら、同時に三本の通話を捌いていた。


「放送範囲を拡大して、全チャンネルで映せ」

「国会前、機動隊を動かすな。今は触れるな」

「若手の志願は拾うな。今日は統制だけだ」


 彼は熱に酔っていない。そこが一番危険だった。若手将校の中には、ついに時代が来たと顔を赤くしている者もいる。ナムは違う。彼はもう、今日の勝利より明日の処理を見ている。ここで若者の歓声に寄りすぎれば崩れる。まず必要なのは、軍政府が立ったと見せること。その一点に集中していた。


 ソンミンは、中継の音を後ろで聞きながら、ビルの入口に立っていた。


 ハン中将の言葉は、どこか古い。

 ナム大領の命令は、逆に新しい。

 その差が、今の政権の正体だと彼は直感していた。

 顔は中将。

 手は大領。

 若い怒りは、そのさらに下で待機している。


「中尉」


 部下が小さく言った。


「外、若いのが集まってます」


 ソンミンは外を見た。

 大学生。

 フードデリバリーの箱を持ったままの男。

 スーツ姿の就活生。

 スマホで撮っている女。

 皆、怖がっている。だが、その怖がり方に、どこか期待が混じっている。


 国家が壊れる瞬間を、

 自分の代で見られるかもしれない。


 そんな期待だった。


 それは健全な政治感情ではない。

 だがこの国では、健全な政治感情より、そういう黒い期待の方がよほど広く共有されていた。


 午後に入ると、政府側はようやく遅れて動き始めた。


 非常対策会議。

 違憲声明。

 軍統制の呼びかけ。

 忠誠を求める大統領メッセージ。


 だが全部遅い。

 しかも、老人たちの言葉にしか聞こえない。

 もう若年層には届かない。

 届かないまま、「またあいつらが自分たちの共和国を守ろうとしている」とだけ受け取られる。

 それが一番悪い。


 ナムは、そこを見逃さなかった。


「若年層向けの文を出します」


 彼はハンに言った。


「何を」


「国家再建の文ではなく、若者への宣言です」


 ハンは少しだけ嫌な顔をした。

 あまり露骨に若者へ媚びるのは品がない。

 だが、ここで品位を言っても仕方がない。

 頷くしかなかった。


 夕方に出た第二声明は、最初の声明よりはるかに露骨だった。


 『兵役の再編』

 『住宅・雇用秩序の根本改造』

 『老人政治の停止』

 『腐敗した男女対立扇動の排除』

 『若い世代を国家の中核へ再配置する』


 内容は空手形に近い。

 だが、語としては強い。

 若年層はそれを読んで、ようやくこの軍政府が自分たちを見ているのではないかと錯覚できる。


 ミンジョンは、その声明を見て笑いそうになった。

 信用はしていない。

 だが、信用していないままでも、今の共和国よりはましかもしれないと思ってしまう自分がいた。

 そこが最悪だった。


 夜になるころ、ソウルはまだ完全には決着していない。

 だが維新軍政府という名前だけは、もう街へ染み始めていた。


 ハンは国家の顔としてそれを読み上げる。

 ナムは現場執行者として、その顔の後ろで実務を通す。

 若年層は支持と恐怖を混ぜたまま、それを見ている。

 老人たちはようやく、自分たちの共和国が若い方から本当に憎まれていたのだと知る。


 ユギオ動乱は、もはや局地的な軍の反乱ではなかった。

 国家が若者へ返済を怠り続けた結果として起きた、社会全体の報復だった。


 そして四谷は東京で、それを冷ややかに確認していた。

 韓国はもう、自分で動く。病原体は十分に定着した。

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