六月二十五日
六月二十五日のソウルは、午前七時を過ぎたあたりから、いつもの都市ではなくなり始めた。
平時の都市というのは、結局のところ順番で保っている。地下鉄は何分ごとに来るか、信号はどちらが先か、会社で誰が先に頭を下げるか、役所で誰の印が先に必要か。そうした取るに足らない序列の束が、人間に「世界はまだ続いている」と思わせる。六月二十五日のソウルは、その束が朝のうちに崩れた。
午前六時四十分、ソウル中心部で軍車両の映像が断片的に流れ始めた。
最初は誰も信じなかった。テロ対応訓練か、何かの間違いだと思いたかったと言ったほうが正確かもしれない。韓国の人間は、この数十年、何かが起きそうでギリギリ起きない、という宙吊りに慣れすぎていた。だから本物の異常を見ても、まず既存の説明へ押し込もうとする。
だが今日は違った。
車列が一つではない。
国防部方面だけではない。
放送、通信、警察機動隊の集結地点、その全部へ少しずつ食い込んでいる。
しかも、出てくる若い将校たちの顔に、平時の厳粛さではないものがある。恐怖でも興奮でもない。もっと乾いた、一線を越えた人間特有の顔だ。
イ・ソンミン中尉は、車内で前を見ていた。
命令は短い。曖昧な部分は、もう意図的に曖昧にされていない。押さえる。遮断する。移動させる。
抵抗すれば撃つ。
そこまで来ると、人間は逆に落ち着く。選択肢が少ないからだ。ここ数年の韓国社会に一番足りなかったものは、実のところ自由ではなく、ここまで露骨な確定だったのかもしれないと、ソンミンは妙なことを考えた。競争しろ、耐えろ、成熟しろ、兵役へ行け、家を買え、家族を作れ、国家を支えろ、そのくせ将来は保証しない。そういう半端な、抽象的な命令ばかり受けてきた人間にとって、「行け」「押さえろ」「止めろ」という具体的かつ単純な命令は、奇妙に身体へ馴染む。
前席のジェヒョク大尉が振り返った。
「顔、死んでるな」
「元からだ」
「違う。今日はもっとひどい」
ソンミンはそれに答えなかった。死んでいるのは顔ではない。むしろ逆で、何年も前から少しずつ死んでいたものが、今日だけ妙に生きている。怒りか、諦めか、それとも報復欲か、自分でもうまく分からない。だが一つだけははっきりしていた。ここで止まれば、また元へ戻る。老人たちの政治、企業の選別、兵役の浪費、男女の醜い相互憎悪、学歴競争、住宅地獄、その全部へ。
なら、行くしかない。
政府の側は、いつも通り遅かった。
大統領府、国防部、与党幹部、警察庁、情報機関。誰もが最初の数十分を、名称の確認に使った。反乱か。局地的抗命か。対北臨戦態勢の誤認か。都市治安支援か。クーデターという語を、最初に口へ出す人間がいない。口へ出した瞬間に、それに対応する責任も自分へ降ってくるからだ。
結局、国家というものは危機の時ほど言葉を選びたがる。軍は位置を欲する。政治は事件名を欲する。その順序差が国家を殺す。
ソウル市内では、その遅れが数十分単位で街へ伝わった。
地下鉄の一部路線が止まる。
バスの経路が乱れる。
会社は出勤継続か自宅待機かを決められない。
大学は休講の判断が遅れる。コンビニでは水と電池が急に減る。誰もがスマートフォンを見ているのに、見ているものの真偽だけが揃わない。
チェ・ミンジョンは、自室でその全てを見ていた。
兄は寝起きのままテレビを点け、母親は「外に出るな」を繰り返し、父親は会社からの連絡を待っている。家の中にいるだけで、この国の縮図みたいだった。男は怒っている。女は現実的な不安を先に処理しようとしている。父親世代はまだ会社に判断を委ねている。だが、ミンジョンだけは、そのどれよりも先に、胸の底で黒いものが動いているのを知っていた。
ついに来た。
それは恐怖であると同時に、ほとんど歓喜に近かった。もちろん、彼女は別に軍政を愛していない。若い将校たちの思想など知らないし、たぶん知れば吐き気がするだろう。だが、それでも、既存社会が壊れるかもしれないという可能性だけで、身体のどこかが軽くなる。そこに彼女は自分で軽蔑を覚えた。こんなふうにしか未来を想像できなくなったのか、と。
だが韓国の若い方には、そういう感情がもうかなり広がっていた。
就職市場でメンタルを削られ、兵役で時間を持っていかれ、家賃と保証金で人生設計を壊され、男女対立で互いを殴り合わされ、最後に老人たちから「忍耐が足りない」と説教される。
そんな社会なら、もう修理では足りない。
壊れろ。
いっそ全部壊れろ。
その願望だけが、もう広く浅く共有されていた。
午前九時前、市内の一部では本格的な対峙が始まった。
警察機動隊は盾を持っている。向こうは軍だ。しかも外国軍ではない。韓国語を喋り、同じ街に暮らし、同じ入試地獄や兵役や住宅ローンの話を知っているはずの若い軍人たちだ。
「法的根拠を示せ!」
現場の警察幹部が叫ぶ。
若い将校は答える。
「国家再建の非常措置だ!」
その言葉は法ではない。だが、もう法より強い。法の文句を持ち出している警察官よりも、軍の方がより強力な武器を持っているから。
群衆はその光景を少し離れた場所から撮っていた。逃げる者もいる。だが撮る者も多い。
撮る、という行為は現代の傍観ではない。半分は参加だ。都市が壊れる瞬間、人はまず見物人になる。見物人になった時点で、その破局はもう半分共有されている。
ネットでは、支持と恐怖がほとんど同時に噴き出した。
『やれ。老人どもを全部引きずり下ろせ』
『軍政は死ね』
『いや、今の共和国のまま死ぬよりまし』
『兵役だけ押しつけてきた国が壊れるなら見たい』
『女も男も老人と資本家の餌にされただけだった』
『これが本当の地獄だ』
『地獄なら前から地獄だった』
ソンミンたちは、午前のうちに一つの庁舎を押さえた。そこに英雄的な場面はない。突撃もなく、叫びもなく、相手が遅れ、こちらが速かっただけだ。まさに、先に動く者が勝つというレーニン=孫文主義を体現していた。
建物の中へ入った時、ソンミンは奇妙な空虚を感じた。ついにやった、という昂揚ではない。むしろ、こんなに簡単なのかという軽蔑だった。自分たちはこの程度の共和国に、兵役と忠誠と忍耐を何年も要求されてきたのか。そこまで考えると、怒りはむしろ冷えていった。冷えた怒りの方が危険だ。
「ソンミン」
ジェヒョクが言う。
「ここから先だ」
「ああ」
ここから先。
建物を押さえるのは簡単だ。
国家を意味ごと奪うのはその後だ。
彼らはまだ、そこまで理解しているわけではない。だが理解していなくても十分だった。重要なのは、もう戻れないという事実だけだ。
ミンジョンは昼前、ついに外へ出た。
家の中にいる方が落ち着かなかったからだ。都市が割れているなら、その割れ目を自分の目で見たい。そんな衝動に理性はない。だが、今日のソウルではそういう衝動を抱えた若者が多すぎた。
駅前は封鎖線で半分止まっていた。
警察。
軍。
野次馬。
配信者。
コンビニ袋を下げたまま立ち尽くす老人。
大学生らしい男たちの、妙に明るい顔。
その明るさを見て、ミンジョンはぞっとした。支持と恐怖は本来両立しないはずだ。だが今日は両立している。皆、怖い。だが同時に、ずっと心の底で望んでいた破局が現実に来てしまったことへ、妙な解放感まで覚えている。
それが韓国の末期症状だった。
人々は、より良い社会を信じていない。
ただ今の社会が終わることだけを願っている。そして、終わらせる主体が軍であっても、それが若い側の反乱である限り、一度は賭けてみたくなる。
ユギオ動乱は、そういう種類の支持に押された。愛ではない。信念でもない。徹底的かつ永久完全な破壊への期待だけだ。
午後、ソウルの上空はまだ晴れていた。
晴れているのに、街の空気だけが濁っている。共和国はまだ死んでいない。だが、もう以前の共和国でもない。
国家は、自分を支えるはずだった若い軍人の手で喉を掴まれ、若年層は、その光景を見ながら、救済ではなく破壊を期待している。
四谷は遠く東京で、それを冷たく眺めていた。
自分で命令しなくてもいい。
もう病原体は自分で歩く。
そこまで来たということだった。




