殉教
四月三日未明、都市はまだ寝ていた。
寝ている、といっても完全ではない。コンビニは開いている。夜勤の配送は走る。救急車は遠くで鳴る。都市は本当には眠らない。だから秘密拘束には向いている。人が少ないが、人がゼロではない時間帯。何か起きても、目撃者の頭がまだ整理できていない時間帯。
午前三時七分、自治体臨時職員の女が、豊島区の古いアパートで静かに連行された。ノックは穏当だった。制服ではない私服二人、背後にもう二人。抵抗される前に口を押さえるのではなく、何が起きたか分からないうちに理解を追い越す。それが指示されたやり方だった。
同時刻、新宿区のワンルームで配送夜勤の男が確保された。端末、封筒、鍵。彼は何が起きたかすぐには分からなかった。逮捕なのか。拉致なのか。国家による処理なのか。分からないまま車に乗せられる。
午前三時十一分、衛村真木の使っていた貸し倉庫先の一つが押さえられた。
本人ではない。まだだ。だが、そこで回収されたのは寝具、タブレット端末、メモ、そして二冊の新訳聖書だった。班員の一人がそれを見て少しだけ眉を寄せた。葛城は何も言わなかった。宗教は逃げ道にもなるし、困難に立ち向かう精神的支柱ともなる。あるいは同時にその両方たり得る。
午前三時十五分、翻訳担当の大学院中退者が確保された。実に、ここが一番重要だった。アメリカ支部との連絡を主に担当し、ジュリアス・イーデンの文書を日本向けに薄め、逆に日本側の生活相談系の空気を英語へ変換していた。学があるが暇で、他言語を操ることのできる者。このような人間が思想を国際化するのである。
午前三時十八分、芹沢悠人は、潜入先で本当に少しだけ世話をした若い男が連れていかれるのを、離れた場所から見ていた。もちろん表では関与しない。彼はもう一人の疲れた都市生活者を演じ続ける。相手の連絡が途絶えた後にだけ、こちらは初めて「何かおかしい」と感じ始める顔をすればいい。
実施した作戦は全部で六つだった。
一人だけ逃した。志門に近すぎた女だ。そこはむしろ都合がよかった。全部が消えたら、志門は外部攻撃ではなく個別失踪だと誤認するかもしれない。何人かだけ消え、何人かは残った。向こうは最悪の可能性へ自分から辿り着く。
午前四時を回る頃、葛城は初動報告を受けた。
成功。負傷なし。発砲なし。対象六、確保五。押収物は整理中。爾後、対象勢力の動向監視へ移行。
「よくやった」
若い隊員が少し顔を緩めた。葛城はその顔を見て、すぐに釘を刺した。
「終わっていない」
「ですが」
「本番はこれからだ。志門がどう反応するかで、今夜の価値が決まる」
朝になっても、ニュースは何も報じなかった。誰にも気づかれないうちに、人間が少しばかり消えただけ。行方不明などよくあることだ。現状では、国家の手によりさらにありふれたことになっている。
事故もない。テロもない。爆発もない。都市は普通に目を覚ます。
ただ、最終インターの内部だけで、何かがずれ始める。




