表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第二章 権力
23/76

敗者たちの共和国


 最終インター主義という言葉は、少なくとも最初から立派な教義だったわけではない。


 それは綱領ではなく、機嫌の悪い若者たちの粗雑な言動から始まった。


 志門杏里は、最終インターナショナルの創設者であるが、その思想を最初から整った形で持っていたわけではない。むしろ逆だ。彼女の中に最初にあったのは、革命理論ではなく、就職活動に対する個人的な怨恨、つまりは感情だった。面接官の曖昧な笑顔、祈られるという奇妙な言い回し、自己分析という名前の自傷行為、既卒というだけで急に市場価値が下がる現実。そういう湿った敗北の経験が、彼女の頭の中で社会主義文献と結びついたにすぎない。


 だから最終インター主義は、最初から高級な思想ではなかった。正確に言えば、思想になる前の、怒りの取り扱い方だった。


 この社会はおかしい。失敗を個人の責任にしすぎている。努力を要求する制度の側が、もう先に壊れている。なのに、その壊れた制度に従えない者だけが未熟や怠惰の名で処理される。


 その程度の認識で十分だった。


 志門は、既存の社会主義政党をほとんど最初から軽蔑していた。彼らは資本主義を本気で止める気がない。止める気がないどころか、止めるふりをしながら、その腐敗の中で自分たちの地位だけを温存している。議席。助成金。論壇。署名活動。抗議声明。そういうものの中に、自分たちの居場所を作って満足している。志門にとって、そうした既成左派は敵ですらなかった。役立たずだった。資本主義を止められなかったという意味で、体制側の共犯に近かった。


 では、どうするか。


 ここで既存左翼なら、武装蜂起だのデモ行進だのという話になるのだろう。だが、そこが最終インター主義のいかにも現代的で、いかにも情けない、しかし厄介なところだった。誰も彼も、日本で本気の革命が実質不可能だと知っている。銃はない。まともなコミュニティがない。支持基盤もない。何より、そこまで人生を賭ける覚悟がない。皆、資本主義社会を憎んではいるが、自分が本当に地下組織へ入り、血を流し、指名手配され、死ぬところまで想像すると、普通は一歩引く。


 引く。だが引いたまま黙ってはいられない。そこで発明されたのが、遠回りな革命戦術だった。


 SNSで悪口を書く。ネット右翼と喧嘩する。

 就活、年金、賃金格差、不平等な選挙、住宅費、人口減少、介護、奨学金、出生率、あらゆる資本主義の弊害を毎日少しずつ言語化する。

 生活相談をし、家賃滞納への対応を教え、自治体窓口のテンプレートを配り、解雇通知への返信文面を共有し、病院同行の情報を回し、停電時の備蓄表を作り、匿名配送のやり方を覚え、怒りと実務を同じサーバーの中へ押し込める。


 革命とは、檄文を配ることではない。自分たちの生活の周囲に、国家や企業以外の回路を一本でも多く作ることだ。


 この理解は、志門が理論から得たものというより、敗北から学んだものだった。人間は抽象では動かない。特に現代の若者はそうだ。民主主義にも社会主義にも宗教にも、既に薄くアレルギーを起こしている。大きな言葉を見た瞬間、その腐敗した末路の方を先に思い浮かべる。甲斐章が歴史疲労症候群と呼んだものは、まさにそこにある。未来が過去問に見え、理念を信じる前に理念の失敗例が頭に浮かぶ。そういう時代に、綱領から人を集めるのは無理だ。だから最終インター主義は、綱領を後回しにした。


 まず敵意の輪郭だけを配る。お前の不幸は、お前だけの問題ではない。予定表から外れたことは、人格の欠陥ではない。この社会は失敗を個人化して処理することで延命している。なら、その個人化を拒絶することから始めろ。


 それだけでよかった。


 実際、最終インターナショナルの初期メンバーの多くは、社会主義者ですらなかった。資本論など、書名だけ知っている者の方が多い。だが、それは大した問題ではなかった。現代の運動において重要なのは、まず「何を読むか」ではなく「何を嫌うか」だからだ。同じ方向に胃を悪くできる人間が集まれば、その後から理屈はいくらでも上に乗る。


 だから最終インターナショナルは、当初、かなり緩い精神的共同体だった。


 若者を中心とする。既存左派に批判的。だが、何をすべきかについては曖昧。革命を口にするが、現実にはネットと地下集会に留まる。周囲へそれとなく社会主義的な語彙を啓蒙し、オルグし、愚痴と理論を混ぜて少しずつ仲間を増やす。


 言い換えれば、かなり日本的だった。過激な言葉を使うわりに、実際には慎重で、遠回りで、生活から切れない。志門自身が、どこか社会民主主義者寄りだったことも大きい。彼女は資本主義を憎んでいたが、同時に、そこで暮らす敗者たちの生活を本気で見てもいた。だから、最終インターの中心には最初から生活相談の匂いがあった。読書会より、家賃。綱領より、解雇通知。革命の夢より、来月の食費。これは純粋な革命家から見ればぬるい。だが、ぬるいからこそ人が入ってきた。


 十一月の群発攻撃以後、その傾向はさらに強まった。


 街はまだ壊れきっていない。電車は走る。コンビニは開く。学校も会社も一応は動く。だが、一度国家が本当に都市を守れない可能性を見せた後では、平穏の方がかえって人間を傷つける。何も起きなかったことにして出勤し、買い物をし、恋愛の話をし、それでも心のどこかで、この社会はかなり脆いのだと知ってしまう。その薄い傷を、志門は見逃さなかった。


 最終インターのサーバーに、人が増え始める。


 大学生、院生、既卒の就職浪人、非正規、契約社員、教職からこぼれた者、自治体の臨時職員、物流倉庫の夜勤、コールセンター、派遣SE、病院事務、フードデリバリー。どれも、革命の担い手としては冴えない顔ぶれだ。だが、冴えないからこそ現代的だった。現代社会を本当に支えているのは、英雄でも市民でもなく、こういう交換可能で、疲れていて、だがまだ完全には黙っていない人間たちだからである。


 サーバーの部屋も変わった。


 労働相談。家賃滞納。解雇通知。奨学金。警察対応。病院同行。停電時の連絡方法。食料の共同確保。匿名配送。広域物流障害時の生活術。


 理論は消えない。だが中心ではなくなる。革命思想というものは、飢えた人間にそれ自体としては売れない。売れるのは、飢えた時どこへ行けば一食つなげるかの方だ。その具体がある時だけ、ようやく理念が入る。最終インター主義の根本は、そこにあった。生活の下にもう一枚、別の生活を敷く。その上で、既存秩序への嫌悪を言語化する。


 つまり、それは思想であると同時に、受け皿の設計思想だった。


 ここで最終インター主義は、ようやく一つのはっきりした顔を持つ。


 既成左派を役立たずとして軽蔑する。資本主義の弊害を最大化し、加速し、可視化し、極限まであえて社会の傷を広げる。だが日本では暴力革命がすぐには無理だと知っている。だからネットと生活実務を通じて、怒りの回路と代替生活回路を並行して増やす。革命は一回のイベントではなく、国家から日常の領域を少しずつ剥がしていく過程だと見なす。


 かなり姑息だ。かなり小心だ。しかも、その小心さを自覚したまま、なお革命を名乗る。


 本気で資本主義社会を憎悪しているが、命を捨てて本気で革命運動をするには至らない小心者がたどり着くイデオロギー。


 だが、ここで話は終わらない。


 最終インター主義が本当に厄介になったのは、それが日本国内だけの、愚痴と生活相談の混合体ではなくなってからだった。


 翻訳部屋ができる。


 英語。

 スペイン語。

 ドイツ語。

 フランス語。

 韓国語。

 中国語。


 最初は雑な自動翻訳でしかない。だが、こういう思想は正確な翻訳で広がるのではない。むしろ半分ほど誤訳されて、各地の事情へ勝手に接続された時の方が強い。予定された人生を拒否せよ。失敗を個人の責任として受け入れるな。未来を予定表から奪還せよ。そういうスローガンは、アメリカでは学生ローンと医療費へ、ドイツでは住宅市場と移民疲労へ、韓国では兵役と学歴競争へ、台湾では将来不安と地政学的閉塞へ、それぞれ勝手に食い込む。


 同じ思想が拡散しているように見えて、実際には違う。


 各国の若者が、自国の嫌な現実へ最終インター主義を接続し直しているだけだ。


 そこへ現れたのが、ジュリアス・イーデンだった。


 この男は、最終インター主義を壊し、同時に完成させた人物である。


 志門が作ったのは、敗者たちの共和国だった。精神的共同体。愚痴と理論と生活相談を混ぜた、遠回りな革命のサーバー。そこへジュリアスは、アメリカという条件を持ち込んだ。銃器合法州。地域コミュニティ。労組。国家への不信。革命権。武装蜂起が、少なくとも想像の中で絶望的ではない社会。そこで彼は、志門のぬるい社会民主主義的直観を笑った。


 Discordで喋っているだけでは国家は奪えない。


 その通りだった。


 ジュリアスは、最終インター主義の中に実践的主義を持ち込む。理念より実行。不満の共有より敵の明示。読書会より銃器カタログ。革命とは一回のイベントではなく、街区、物流、警察無力化、情報、病院、弾薬、食料、その全部の総和だ。狂っている。だが、狂い方が現実的なのだ。こういう人間が組織へ入ると、創設者の意図など簡単に追い越してしまう。


 実際、追い越された。


 最終インターの内部でアメリカ支部が四割を占めるようになると、もはや日本支部は中心ではなくなる。人数の問題ではない。アメリカの彼らだけが既に「その先」の話をしていたからだ。創設者が、就活と生活苦に怒る若者のための緩やかな場を想定していたところへ、ジュリアスは最初から武装とインフラ奪取の話を持ち込む。そんなものが魅力を持つはずはない、と志門は思っていた。だが、持った。思った以上に多くの若者が、その苛烈さに惹かれた。惹かれたというより、遠回りに疲れていた。


 つまり最終インター主義は、ここで二つに割れる。


 一つは志門の流れだ。

 生活相談、ネット、実務、受け皿、そしていつか来るかもしれない革命。


 もう一つはジュリアスの流れだ。

 最初から国家を敵と見なし、都市機能を剥ぎ、武装と物流と医療を押さえ、革命をごっこで終わらせないための実践主義。


 同じ最終インター主義を名乗りながら、その内部にかなり深い亀裂が走る。だが亀裂があることと、拡散しないことは別だ。むしろ亀裂がある方が、各地の事情へ都合よく食い込みやすい場合もある。ぬるい支部には志門流が刺さり、荒れた土地にはジュリアス流が刺さる。思想としての統一は弱い。だが感染としての広がりはむしろ強い。現代的なイデオロギーとは、しばしばそういうものだ。


 だから、最終インター主義が突然湧いてきたように見えるのは、半分は当然でもある。

 それは最初から完成された党綱領ではなく、社会の疲労の中で少しずつ育っていたからだ。

 しかも、その成長は街頭演説ではなく、サーバー、生活相談、翻訳、匿名配送、雑談、就活失敗、電気料金、病院同行、そういう見栄えの悪い場所で進んでいた。

 見えにくいものは、ある日急に現れたように見える。


 だが実際には、ずっと地下水脈のように流れていた。四谷の国家教義が地上で整えられるのとほぼ並行して、最終インター主義もまた地下で整っていたのである。


 四谷は国家を持っている。

 最終インターは国家を持っていない。


 だから四谷の思想は上から制度として実装される。

 最終インター主義は、その分だけ下から生活へ食い込む。


 四谷の方が強い。

 しかし最終インター主義の方が、人間の弱さに近い。


 そこが、この二つの思想のいちばん嫌な対照だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ