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来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第二章 権力
20/76

教義

 十二月九日の朝、官邸の空気は奇妙に乾いていた。


 第二革命の翌日である以上、もっと露骨な熱気があってもよさそうなものだった。敗れた古国派の残党狩り、徹夜続きの混乱、怒号、廊下を走る足音、そうしたものが官邸の表面へ浮かび上がっていても不思議ではない。だが実際には、その朝の官邸は驚くほど静かだった。正確には、静かになるように調整されていた。警護線は締まっている。交代は速い。無線は短い。廊下で立ち止まって会話する人間がいない。つまり、混乱の最中にありがちな無駄が切られている。権力が手際よく入れ替わったことを証明する静かさ。計画はうまくいき過ぎたぐらいだった。


 神代嶺は、その静けさが嫌いだった。


 昨夜のうちに四谷賢一から呼び出され、「明日午前十時、内々の方針説明を行う」とだけ告げられていた。出席者は官邸実務調整局の中核、危機対応即応連絡会の主要担当、自衛軍内の四谷に近しい幹部たち、そして自分。牧野恒一も榊原広太もいるらしい。神代は、その顔ぶれを聞いた時点で、これは単なる引き継ぎでも人事説明でもないと理解していた。第二革命は昨夜すでに実施された。実施された以上、今日必要なのは、なぜそれをやったのかについての理屈である。理屈が要る時点で、その政変はまだ完成していない。言い換えれば、今日ここで語られる言葉が、そのまま新体制の骨格になる可能性が高かった。


 会場は官邸地下の小さな会議室だった。大広間ではない。あえて狭くしているのだろうと神代は思った。広い場所での演説は熱を生む。狭い場所での説明は選別を生む。四谷が欲しているのは、喝采ではなく、まず選別された者たちによる理解の方なのだ。


 部屋に入ると、既に十数名ほどが着席していた。皆、疲れた顔をしている。だがその疲れの質が昨日までとは違う。政変に立ち会った直後の疲れではなく、次に何が来るのか分からない状態で待機させられている人間の疲れだ。目が覚めすぎている。眠いのではない。むしろ、眠れない種類の神経の立ち方をしている。


 机上には、薄い紙の束が伏せて置かれていた。


 表紙には、自衛軍の書類テンプレートに反して題名だけがある。


 『歴史主体に関する覚書』


 神代は、その題を見た瞬間に、露骨に嫌な予感を覚えた。こういう題を付ける人間は、普通の軍人ではない。国家戦略文書ならもっと具体的に書く。危機対応指針、体制再編案、行政移行要領、そういう実務の匂いがする語を選ぶはずだ。歴史主体。そんな曖昧で、大きくて、しかも思想臭い語を、政変翌日の朝に表紙へ載せる。その時点でもうおかしい。


 牧野恒一は表紙を一瞥しただけで、露骨に顔をしかめた。思想教育の時間か、とでも思っているのだろう。榊原広太は無表情だった。あの男は、思想の中身より、それに酔う人間がどの程度いるかの方へ関心が向く。神代は、自分がこの場でどういう役回りを期待されているのかを半ば理解しつつ、理解したくないとも思っていた。理屈付け。言語化。違法なものへ体系を与えること。そこまでは六月六日以来ずっとやってきた。だが、いま机の上にある紙束は、もっと別の臭いがする。理屈というより、これは教義だろう。


 十時ちょうどに四谷が入ってきた。


 常装。三佐の階級章。表情に揺れはない。昨日までよりむしろ、少しだけ落ち着いて見える。政変を起こした人間は普通、成功直後に最も高揚する。高揚しない方がむしろ危険だ。高揚がないということは、その行為自体を決着と見なしていないからだ。四谷はまさにその類だった。


 着席も促さず、最初に言った。


「諸官。昨夜、第二革命を実施した」


 部屋の空気は動かなかった。昨日から知っている。ここまでは確認にすぎない。


「古国体制は六月六日の継承に失敗した」


 四谷は続けた。


「国家保全を名目にしながら、旧秩序への配慮、暫定性への執着、文民的正統性への未練に足を取られた。その結果、我々は国家を奪いながら国家を変えられないという最悪の半端へ沈みつつあった」


 神代は、言い方が既に変わっていることに気づいた。古国は「責任」や「義務」を語った。四谷は「失敗」と「半端」を語る。つまり、道徳ではなく遂行の尺度で世界を見ている。


「従って、ここから先は目的を明示する必要がある」


 四谷は机上の紙束を指で叩いた。


「諸官がこれまで従ってきたのは、私の命令であって、私の思想ではない。命令だけでもしばらくは足りる。だが、東アジア全体を巻き込み、日本国家を起点として歴史を組み替える段階へ入るなら、それでは不十分だ」


 何人かの若手幹部が、そこで初めて顔を上げた。


 東アジア全体?


 日本国家を起点として歴史を組み替える?


 まだ何を言っているのか完全には分からない。だが、ただの軍政延長の話ではないことだけは分かる。その不穏さが、じわじわ部屋の隅へ広がっていく。


「読む前に言っておく」


 四谷は言った。


「この文書は外へ出ない。現時点で知る必要があるのは、ここにいる諸官だけだ。これをもって党綱領のようなものができたと思うなら、最初から読み違えている。これは信仰告白ではなく、国家運営の前提条件だ」


 その一言に、神代は背筋が寒くなった。思想を語る人間はいくらでもいる。危険なのは、それを思想としてではなく、前提条件として置く人間だ。前提条件になった思想は、もう議論の対象ではない。議論の外側で人間を選別する基準になるからだ。


 四谷は一ページ目をめくった。


「第一。レーニン=孫文主義」


 声は平坦だった。


「これは私の造語であり、私の政治思想だ。由来は明白である。レーニンからは前衛の発想を取る。国家は衆愚の討論によっては奪取されない。組織された少数が暴力によって実権を奪い、その後に大衆を教育し、動員し、使う。孫文からは、知の階層性を取る」


 四谷は紙から目を上げ、部屋を見た。


「孫文の『先知先覚・後知後覚・不知不覚』、知難行易。あれは国家運用の教義として読むべきだ。世の大多数は、自分が何に従って生きているかすら知らない。後から理解する者、最後まで理解しない者、そのどちらも多数を占める。ならば、先に知り、先に覚り、先に動く少数が、まず国家を奪わなければならない」


 神代は、その説明を聞きながら、頭の中で素早く分解していた。要するに、マルクス主義的な前衛党論と、孫文の知識人主導革命論を、極端な形で接合している。だが接合の仕方が粗雑というには、あまりに意図的だ。レーニンを階級闘争から切り離し、奪権技術として読む。孫文を民主革命から切り離し、先覚者支配の正当化として読む。思想的には乱暴だ。だが乱暴だからこそ、政治的には使いやすい。


 牧野は、まだ半分しか興味を示していなかった。理論そのものより、それが体制運営のどこへ使えるかを測っている顔だ。榊原は逆に、部屋の若い将校たちの顔を見ていた。理解したかどうかではない。どの程度、魅入られたかを読んでいる。


「論ずるまでもないが、レーニン=孫文主義において、大衆は主権者ではない」


 四谷は続けた。


「大衆は素材だ。動員対象であり、保護対象であり、教育対象であり、必要なら削減対象でもある」


 部屋の空気が、そこで一段冷えた。


 神代は表情を崩さなかったが、内心では吐き気に近いものを覚えた。口に出してしまうのか、そこまで。普通の独裁者は、そこをもっと婉曲に言う。国家のため、国民のため、歴史のため、と。四谷は違う。素材。教育対象。削減対象。そこまで露骨に大衆を道具として扱うことを、しかも演説ではなく少数幹部向けの内部説明で明言する。これは自信なのか、あるいは、ここにいる者たちももうその程度の冷酷さへ耐えられると見なしているのか。どちらにせよ、危険だった。


「日本の議会制、選挙、政党政治、官僚制、報道機関、財界、大学、宗教、家族主義。これらの全ては、大衆支配を大衆自身の意思であるかのように見せるための旧秩序の器具にすぎない」


 四谷は言った。


「六月六日は、その器具の上に軍靴を置いた。しかしそれだけでは足りない。器具を使い続けるなら、いずれ器具の論理にこちらが巻き取られる。従って、前衛による直接支配の原理を、国家制度の内部へ埋め込まなければならない」


 ここで、若い三佐の一人が思わず問うた。


「党を作るということですか」


 四谷は一瞬だけその男を見た。


「党は形式にすぎない」


 答えは冷たい。


「必要なら作る。だが重要なのは名称ではなく、先覚者が命令を独占し、それを国家の全回路へ浸透させる構造だ。党でも軍でも官庁でもよい。要は、主導権が多数へ戻らないことだ」


 神代は、その時点でようやく理解した。これは単なる過激な軍国主義ではない。軍国主義であれば、国家と軍を神聖化する。四谷はむしろ逆だ。国家そのものを使い潰す前提で見ている。日本国を永遠にしたいのではない。前衛による歴史主体を作るために、日本国という器を使うだけだ。だからこそ、右派にも左派にも見えない。両方の死骸から、最も暴力的で、最も使いやすい部品だけを拾っている。


「第二。史的報復主義」


 四谷がその語を口にした瞬間、部屋の空気はまた別のかたちで張った。


 レーニン=孫文主義は、少なくとも構造としては理解できる。危険だが、まだ政治理論の顔をしている。史的報復主義という語は違う。最初から感情の臭いが強すぎる。しかも、その感情は政治より深いところへ向いている。


「近代世界は、西洋によって作られた」


 四谷は言った。


「西洋文明とは、単なる地域文化ではない。世界の時間そのものを支配した暴力である。軍事、経済、法、道徳、学問、技術、そして歴史叙述。その全てにおいて、西洋は他の地域を遅れた側へ配置し、模倣を強制し、自己否定を教育した」


 そこで止めれば、ありがちな反西洋論だったかもしれない。


 だが四谷は止めなかった。


「東洋は西洋を模倣し続けた。日本は敗戦国家として、西洋の軍事的・道徳的裁定を受け入れた。中国は革命国家を名乗りながら西洋近代の言語でしか自己を語れなくなった。朝鮮は分断そのものを西洋史の副産物として抱え込まされた。つまり東洋は、勝っても負けても、西洋史の内部でしか動けなかった」


 神代は、その文脈を追いながら、徐々に嫌な確信を持ち始めていた。これは思想というより、被害妄想と世界史解釈を接続した怨恨の体系だ。だが怨恨というものは、体系化された瞬間に恐ろしく強くなる。特に、それが敗戦、模倣、従属、劣等感といった集合的感情へ接続された時には。


「史的報復主義とは、この構図に対する精算だ」


 四谷の声は、相変わらず平坦だった。


「東洋は西洋を征服しなければならない。単に追いつくのではない。単に独立するのでもない。歴史そのものを反転させなければならない。模倣者の位置から裁定者の位置へ移る。そのためには、西洋文明を構成する物質的・制度的・人的基盤を破壊し、歴史に対する報復を実施する必要がある」


 部屋のどこかで、誰かの息が止まった。


 ここまで来ると、もはや危険思想というより、明白な狂気だった。西洋文明への報復。人的基盤の破壊。歴史に対する報復。普通の人間なら、そんなことは頭の中で終わる。終わるはずだ。だが神代は知っている。目の前にいる男は、頭の中で終わらせないから危険なのだ。


「具体的には」


 四谷は続けた。


「政治・軍事・経済の征服によって、西洋中心の国際秩序を解体する。敗北した側には、敗北を理解させるための教育と裁定を行う。場合によっては、文明構成員の浄化が必要になる」


 浄化。


 その語を聞いた瞬間、神代ははっきりと理解した。ここで語られているものは、理論ではなく、ほとんど人種戦争の幻想に近い。しかも四谷本人は、それを激情で語っていない。激情ならまだ処理しやすい。激情は揺れるからだ。四谷は揺れていない。最初から工学の話をするように、浄化と言った。


 牧野恒一が、初めて口を開いた。


「その規模の戦争を、日本一国でやるつもりか」


 問いはまともだった。思想への拒絶ではない。手段の算定だ。そこが牧野らしい。


「もちろん日本一国ではない」


 四谷は言った。


「だからこそ、第二革命が要る。日本は橋頭堡にすぎない。次は韓国、台湾だ。東アジアの再編を先に実施する。その後、西洋を相手取る」


 その言い方に、部屋の若い将校たちの何人かが、かえって引き込まれた。狂っている。明らかに狂っている。だが、狂っているものには時々、普通の政治よりよほど明確な方向がある。六月六日以来、古国体制に欠けていたのは、まさにこの「その先」だった。国家保全。暫定。秩序回復。そういう言葉は防御にはなるが、運動を生まない。四谷は違う。韓国。台湾。東アジア再編。西洋への報復。どれほど妄想的でも、そこには未来の図がある。明確な未来の図があるだけで、人は時に怪物へ従う。


 榊原は、その空気の変化を読み取っていた。理解したかどうかではない。理解できなくても構わない。ただ、「この男には先がある」と感じた者が何人いるか。それだけで十分だ。思想は内容そのものより、従う者にとっての予感の方が重要なことがある。


 神代は、逆にひどく醒めていた。


 いや、醒めすぎていた。だから危なかった。


 彼は、四谷の思想が荒唐無稽であることを知っている。史理としても政治理論としても粗雑だ。東洋も西洋も雑すぎる。孫文もレーニンも都合よく切り刻みすぎている。報復という語に歴史が従うわけもない。だが同時に、こういう思想こそが国家を本当に変質させるとも知っていた。正しい思想ではなく、実行される思想が国家を変えるのだ。そして四谷は、実行する側の人間だった。


「質問は」


 四谷が言った。


 誰もしばらく喋らなかった。


 ようやく榊原が、内容ではなく運用の話をした。


「これを、いつ、どこまで公にする」


 四谷は答える。


「すぐに、知るべき者から周知する。だが、全部は出さない」


「どこまで」


「レーニン=孫文主義は段階的に出す。前衛、先覚者、国家再編、東アジア連合、その程度なら使える。史的報復主義は、現時点では輪郭だけだ。反西洋秩序、東洋の歴史的自立、その程度に薄める。大衆に教義の全部は要らない」


 神代は、その答えに逆に納得してしまった自分が嫌だった。そうだろう。全部を出せば、ただの狂人だ。だが輪郭だけを出せば、理念になる。理念とは元々、その程度のものだ。中身を全部知らなくても、人は輪郭だけで殺し合える。


「資料の最後にある大審判法廷とは何ですか」


 若い二佐が、恐る恐る訊いた。


 神代は内心で舌打ちした。聞くな、そこはまだ秘匿されているのだろう、と。だが聞いてしまう心理も分かる。史的報復主義が行き着く先に何があるのか、皆そこが最も気味悪いのだ。


 四谷は、一瞬だけ沈黙した。


「まだ諸君にさえ必要ない」


 彼は言った。


「そこは、歴史がもっと進んだ後の話だ」


 その答えは拒絶であり、同時に、最悪の含みだった。まだ必要ない。つまりあるのだ。しかも、口にしない方がよいほど醜く巨大なものが。


 会は一時間もかからず終わった。


 だが出席した者たちは、入ってきた時とは別の顔をしていた。納得したわけではない。理解したとも言い切れない。むしろ反対だ。理解しきれないまま、しかしこれが四谷賢一の本心であり、今後の国家はこの妄想に沿って曲げられていくのだということだけは理解した。その重さが、全員の神経に沈んでいた。


 会議室を出た後、神代は廊下で四谷を呼び止めた。


「お前は本気か」


 あまりに安い問いだった。だがそれ以外に出なかった。


 四谷は振り返る。


「当然です」


「当然、か」


 神代は低く言った。


「今ここで語ったものが、どれほど整って見えて、どれほど雑で、どれほど危険か分かっているのか」


「分かっています」


「史的報復主義は思想ではない。ただの怨恨だ」


「怨恨を理屈づければ思想になります」


 神代はそれを聞いて、吐き気に近いものを覚えた。反論はできる。だが、その反論がすでに四谷の土俵に上がっていることが嫌だった。この男は、正しいかどうかの議論をしていない。国家として実装可能かどうかだけを見ている。そこが根本的に違う。


「私はこれを、そのまま文章にはしない」


 神代は言った。


「当然、そのままである必要はないでしょう」


 四谷は平然としている。


「国家の文章は、実体より一歩遅れていれば十分です」


 神代は、それ以上何も言えなかった。六月六日以来、自分は違法に理屈を与える仕事をしてきた。いま目の前にいる怪物は、その延長線上に立っている。延長線上に立っている以上、完全な拒絶だけで自分を清潔な側へ戻せるはずがない。その事実が、神代を黙らせた。


 同じ頃、牧野恒一は別室で紙束を読み返していた。


 思想自体には半分以上興味がない。だが作戦計画として見た時の異様さは分かる。日本は橋頭堡。韓国、台湾、東アジア連合。そして西洋への報復。普通なら夢物語だ。だが六月六日と十二月八日を連続でやってのけた男が言うと、単なる妄想として切り捨てにくくなる。しかも厄介なのは、四谷が抽象だけで終わっていないことだった。必ず工程がある。いつもそうだ。しっかりした計画と準備された工程がある妄想は、軍人にとってかなり危険だ。


 榊原広太は、別の意味で重く受け止めていた。


 教義の内容そのものより、あれを聞いた後に誰がどう壊れるか。それが見えてしまったからだ。ある者は嫌悪する。ある者は恐怖する。だが一定数は、あの「先」の大きさにやられる。国家保全のような守勢の語ではなく、東アジア再編だの歴史への報復だのという、巨大で濁った未来へ吸い寄せられる者が出る。そういう人間をどう扱うか。四谷は既にその選別を始めている。榊原は、そのことを誰よりよく理解していた。


 その日から、日本は二つの意味で変わった。


 一つは、体制が古国の暫定軍政から四谷の革命国家へ変質し始めたこと。

 もう一つは、その変質の中身が、普通の軍国主義でも普通の独裁でもなく、一人の誇大妄想狂が継ぎ合わせた独自思想であることが、ようやく一部の人間にだけ知られたことだ。


 核心ではない者たちが知るのは、せいぜい「四谷は六月六日を徹底すると言っている」「東アジアの再編を考えている」「旧体制に戻る気はない」その程度だ。レーニン=孫文主義も史的報復主義も、まだ名だけであり、あるいは名すら知られない。思想が本当に恐ろしいのは、その全貌が知られた後ではなく、まだ薄められた輪郭だけが国家へ混ざり始める時である。


 四谷は、そのことをよく知っていた。


 だからこそ、全部は言わない。


 全部は言わず、必要な者にだけ核心を見せ、他には薄めた輪郭だけを配る。


 教義とは、信者全員が中身を理解している必要はない。

 むしろ、核心を知る者が少数である方が強い場合すらある。そしてレーニン=孫文主義の主張はそれである。


 十二月九日のこの小さな会議は、その意味で、国家の新しい内臓が作られた瞬間だった。表の演説でも、全国向けの宣言でもない。ごく限られた数の実務者と将校が、一人の妄想狂の世界像へ初めて触れ、その妄想がこれから現実へ実装されるのだと理解した。その事実だけで十分に、世界はもう前と同じではない。


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