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来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第二章 権力
19/69

第二革命

 十二月八日の午前一時、官邸の空気は静かすぎた。


 冬の夜の静けさ、というだけではない。もっと人工的な、誰かが意図して音を減らしたような静けさだった。廊下を歩く靴音は普段より少なく、無線の交信は短く、警護の交代も妙に滑らかで、引っかかりがない。こういう静けさは、たいてい何かの前触れである。国家の中枢で物音が減るとき、それは秩序の証明ではなく、秩序の内部で勝手に別の秩序が組み上がりつつある合図だ。


 古国良平は、その夜、自分の私室で起きていた。


 眠れなかったわけではない。眠ることを避けていた。ここ数か月、特にここ数週間は、目を閉じるたびに、自分がどこまで来てしまったのかを余計にはっきり理解してしまうからだ。六月六日の勝利は、いま振り返れば既に遠かった。国家中枢を制圧し、旧内閣を拘束し、軍政を成立させたあの瞬間には、少なくとも方向だけは見えていた。国家を保全する。危機を収める。暫定的に責任を引き受ける。そういう言葉を、まだ自分で信じることができた。


 だが夏を越え、秋を越え、冬へ入り、その言葉はもうずいぶん擦り切れていた。


 地方は従いきらない。官僚は従ったふりをしながら旧法秩序への帰路を確保し続ける。財界は安定だけを欲し、再建の理念には興味を持たない。諮問会議は失敗した。海空は形式上の協力以上のものを決して差し出さない。報道は沈黙しきらず、国民は熱狂も拒絶もせず、ただ冷えていた。何より、自衛軍内部ですら、六月六日の熱はもう残っていなかった。残っているのは疲労と、停滞と、その停滞に対する苛立ちだけだ。


 古国は、その苛立ちが誰へ向いているのかを、本当のところ知っていた。


 自分だ。


 あるいは、もっと正確に言えば、自分がまだ国家へ道徳を与えようとしていることだ。勝った後に必要なのは正しさではない。速度だ。その単純なことを、彼は半年近くかけてようやく理解し始めていた。理解したが、ではどうすればいいのかという段になると、結局、元の自分へ戻ってしまう。説明する。整える。配慮する。暫定性にしがみつく。そのたび、周囲はさらにしらける。しらけた空気は、軍政にとって毒だった。


 机の上に、当日朝の予定表があった。


 午前八時、危機対応即応連絡会。

 午前十時、地方監督官報告。

 午後一時、財界との調整会合。

 午後四時、国家再建諮問会議。


 見ているだけで気が滅入る。国家を奪った人間の一日が、どうしてこんなにも会議で埋まっているのか。古国はそこに、ほとんど侮辱に近い疲労を覚えていた。自分は国家の最後の責任者であるはずだった。だが現実には、責任者とは、無数の半端な組織と半端な人間の半端な不満を、毎日少しずつ飲み下す役職にすぎない。そういう理解は、軍人の精神を静かに摩耗させる。


 外で、足音が止まった。


 いつもの巡回だろうと思った。だが、ノックがない。


 古国は顔を上げた。


 その一秒後、扉が開いた。


 入ってきたのは四谷賢一だった。冬用の常装。表情は平坦。敬礼もなく、しかし無礼とも言い切れない程度の硬さだけがある。その後ろに、三人の将校が続いた。顔は知っている。官邸実務調整局の人間。そして警護線の再編以後、いつの間にか古国の近くをうろつく頻度が増えた者たちだった。


 古国は立ち上がらなかった。


「どうした」


 声は思ったより落ち着いていた。


 四谷は答えた。


「第二革命を実施します」


 古国は、一瞬、その言葉の意味が掴めなかった。


 第二革命。


 あまりに露骨で、あまりに理論めいた言い方だった。政変を起こす人間は普通、もっと具体的な言葉を使う。非常措置。統制回復。再編成。指揮権移譲。そういう、現実の手触りに擬態した言葉だ。革命、という語をこの距離で、しかも部下が上官へ向けて正面から口にする。その異様さに、古国の頭は半拍だけ遅れた。


「何を言っている」


「閣下は六月六日を起こした」


 四谷は静かに続けた。


「だが六月六日を暫定化し、腐らせた。国家保全を掲げながら、旧秩序への配慮と説明責任に足を取られ、革命を失速させた。その結果、軍政は体制ではなく中途半端な管理業務へ落ちた。もはや継承と徹底が必要です」


 古国は、そこでようやく身体の奥に冷たいものが走るのを感じた。


 やはり来た。


 その感覚自体は驚きではなかった。遅すぎる確認だった。白河俊明に指摘され、神代の焦燥に触れ、榊原の警告を聞き、四谷の速度を何度も見てきた。見てきたのに、自分はここまで具体的な形を取る瞬間を先送りにし続けた。その報いが、いま目の前へ来ている。


 古国が言う。


「裏切った理由はそれだけか」


「裏切りではありません」


 四谷は即答した。


「国家の保全、そしてその手段としての革命の純化です」


 その言い方に、古国は一瞬だけ笑いそうになった。笑えなかったのは、冗談にしては構図が美しすぎたからだ。自分が六月六日を正当化するために使ってきた語彙を、そのまま別の若い軍人が、自分を追い落とすために使っている。まるで鏡だ。しかも鏡像の方が少しだけ冷たく、少しだけ徹底している。そのことがひどく屈辱だった。


「神代もか」


「知る必要はありません」


「榊原は」


「知る必要はない」


「牧野は」


「知る必要はないと言ったはずです」


 四谷の声に、初めてわずかな苛立ちが混じった。古国はその苛立ちを見て、逆に確信した。全員が同意しているわけではない。少なくとも、この瞬間の具体的な実行は、四谷の側が速度で先手を取っている。だからこそ名を伏せる。名を伏せたまま既成事実を作る気だ。


「馬鹿なことをするな」


 古国は言った。


「ここで内部政変を起こせば、軍政そのものが壊れる。ひいては国家そのものも」


「もう壊れているから起こすんです」


 四谷の答えは早かった。


「あなたは体制を持たせることより、体制に説明を与えることを優先した。結果として、国家も軍も自分たちが何のためにここまで来たのか分からなくなった。六月六日は国家保全のための蜂起ではなかったはずだ。旧日本を終わらせ、新しい歴史主体を作る起点であるべきだった」


 古国はそこで、ようやく本当の意味で怒った。


「誰がそんなことを決めた」


 声が低くなる。


「私は国家を救うために――」


「その救うという発想が、もう古い」


 四谷が断ち切る。


「国家は救うものではない。作り替えるものだ」


 部屋の空気が完全に変わった。


 古国はもう理解していた。議論しても無駄だ。この男は今、説明のためにここへ来ているのではない。後からこの場面をどう命名するか、そのためだけに言葉を置いている。実際の勝敗は、すでに別のところで決まっている。


「外はどうなっている」


 古国は訊いた。


 答えたのは四谷ではなく、その後ろにいた三佐だった。


「警護線は切り替え済みです」


 簡潔な声。震えがない。つまり覚悟している。


「通信室もこちらが抑えています」

「局の決裁線も」

「危機対応即応連絡会の朝会は中止。各方面への第一報は五時」


 古国は、その報告を聞きながら、自分の胸の中で何かが沈んでいくのを感じた。官邸実務調整局。警護の再編。危機対応即応連絡会。全部、自分が必要と判断し、自分の政権を少しでも整えるために作った仕組みだ。その全部がいま、自分を外すための骨格へ変わっている。権力者はたいてい、敵に敗れる前に、自分で敵の足場を組む。古国も例外ではなかった。


「私をどうする」


 彼は言った。


 四谷はほんの少しだけ間を置いた。


「保護下に置きます」


 古国はその瞬間だけ、はっきり笑った。


 声にはならなかったが、笑った。ひどく乾いた笑いだった。自分が白河俊明へ与えた語を、今度は自分が受け取る。歴史には時々、安直すぎてかえって美しい皮肉がある。ここまで整うと、もはや怒りすら少し遅れる。


「なるほど」


 古国は言った。


「お前は私を殺す気か」


「殺しません」


 四谷は平然としている。


「あなたの功績は必要です。六月六日の創始者として、国家の中に位置づける」


「そして実権は奪う」


「実権は、既にあなたの手から零れていた」


 古国は、その一言に打たれた。


 反論できないからではない。反論できる。だが反論しても、もう勝敗とは関係がない。そこが屈辱だった。彼は六月六日に勝った。だが、勝った瞬間から、自分の手に余るものを握ってしまった。その重みを処理できず、説明し、整え、節度を探し続けているうちに、もっと冷たい速度を持つ男が後ろから全てを編み直した。そういうことだ。


 古国はゆっくり立ち上がった。


 四人の若い軍人たちが身体を固くする。飛びかかると思ったのかもしれない。あるいは拳銃でもあると警戒しているのか。滑稽だった。自分はそこまで劇的な人間ではない。六月六日の時点で、自分は既に革命家でもなんでもなかった。責任を背負ったつもりの管理者にすぎなかったのだ。その管理者が、ここで急に英雄的な最期を演じられるはずがない。


「一つだけ聞く」


 古国は言った。


「お前は何を作るつもりだ」


 四谷の目が、そこで初めて少しだけ光を持った。


 それは激情ではない。むしろ、ようやく本題へ触れられたときの静かな熱だった。


「新しい日本などではありません」


 彼は言った。


「日本を中核とする、より大きな歴史主体です」


 古国は黙っている。


「この国は単独では終わっている。六月六日が成功したのも、あなたや自衛軍が強かったからではない。日本国そのものが弱く、疲れ、方向を失っていたからです。そういう国家を暫定軍政で延命させるだけでは意味がない。必要なのは、東アジア全体、世界すべてを巻き込んだ再編です」


「お前は……」


「レーニンは国家奪取の手法を知っていた。孫文は国家建設の大義を知っていた」


 四谷の声が静かに続く。


「必要なのは、その統合です。私の掲げる、レーニン=孫文主義。少数の先覚者が歴史の主体となり、停滞した大衆国家を解体・再編し、東洋に新しい革命国家連合を生む。そこへ私の二つ目のアイデア、史的報復主義を接続する。西洋近代に支配され、模倣を強いられ、疲弊したアジアが、今度は歴史の裁き手になる」


 古国は、そこまで聞いて、本気で寒くなった。


 自分は狂信的な右派集団を組織したつもりだった。だが目の前に立っているのは、右派ですらない。もっと悪い。極左と極右の醜い残骸を、国家運営の技術だけ取り出して混ぜ合わせたようなものだ。手段としての革命。民族の復讐。大衆の軽蔑。少数支配。歴史の審判。全部が一人の男の中で矛盾なく繋がっている。矛盾なく繋がっているということが、最大の脅威だった。


「お前は妄想している。誇大妄想狂め」


 古国は言った。


「もちろんです」


 四谷は平然と答えた。


「だが妄想を現実へ載せるのが、文明のなしてきた仕事です」


 古国は、それ以上何も言えなかった。


 自分は六月六日、国家を救う義務を口実に、軍を政治の中へ入れた。その入口から、今、もっと徹底した怪物が入ってくる。怪物は最初から外にいたのではない。自分が開けた扉の中で育っていた。その事実が、遅すぎる理解として胸に刺さった。


「連れて行け」


 四谷が言った。


 古国は抵抗しなかった。


 廊下へ出ると、警護の顔ぶれが変わっていた。完全にではない。だが、自分を見た瞬間に視線を逸らす者と、逆にまっすぐ見返す者とに分かれている。それだけで十分だった。もう終わっている。人間は、どちらが上かを理解した瞬間に、視線の置き方が変わる。


 古国は護送されながら、自分の官邸ではなくなった官邸を見ていた。六月六日に奪った建物を、半年後にはもっと若い軍人に奪われる。その単純さが、妙に現実感を失わせる。歴史はもっと複雑に動くものだと思っていた。だが実際には、回線と警護と名目が揃えば、それだけで一つの政権は入れ替わる。


 午前四時四十分、神代嶺は呼び出された。


 呼び出しは官邸実務調整局からだった。その時点で、彼は嫌な予感を持った。局から直接、しかもこの時間に。穏当な用件であるはずがない。廊下へ出ると、既に空気が違う。警護線が微妙に締まっている。無線の頻度が増え、しかし音量は低い。人間が一斉に何かを知っていて、自分だけがまだ文書で受け取っていない時の空気だ。


 案内された部屋に入ると、四谷がいた。


「どういうことだ」


 神代は即座に問うた。


「第二革命を実施した」


 四谷は答えた。


 神代は一瞬だけ目を閉じた。やはり、か。驚きではない。だが、実行の速さは予想を越えていた。もっと内部の均衡を崩し、若手を広く固め、地方と方面軍のいくつかを手当てしてからだと思っていた。だが四谷は待たなかった。待たなかったというより、もう十分だと判断したのだ。


「古国閣下は」


「保護下です」


 その語を聞いた瞬間、神代は乾いた笑いを漏らしかけた。歴史というものは、本当に安い。六月六日に白河へ使った言葉を、半年で古国へ返す。こんなにも露骨なのに、たぶん大多数の国民は数日のうちにその文言へ慣れるだろう。そこが嫌だった。


「私をどうする」


 神代が訊く。


「あなたの頭は必要です」


 四谷は言う。


「六月六日を徹底するには、言葉が要る。古国閣下にはそれがなかった。あなたにはある」


 神代は数秒、四谷を見た。


 拒むことはできる。だが拒んだところで、もう六月六日以前へは戻らない。古国軍政の法理を自分は組み立てた。その時点で、ここから先だけを「行き過ぎ」として切り離せるほど、手はきれいではない。神代はそのことを理解していた。理解しているからこそ、嫌だった。


「お前の思想を、そのまま国家の文章にする気はない」


 神代は言った。


「そのままである必要はありません」


 四谷は答えた。


「国家文書は、実体より一歩遅れていればいい」


 それはひどく正しい言葉だった。だからこそ、神代は黙った。


 午前五時、第一報が各方面へ流れた。


 古国良平、健康上の理由により国家保全臨時評議会議長職を辞任。

 国家保全体制の更なる徹底のため、新たに革命指導会議を設置。

 四谷賢一、議長代行に就任。

 六月六日の理念を継承し、危機対応を新たな段階へ移行。


 文面はあまりに整っていた。つまり、ずっと前から用意されていたということだ。


 地方司令部は一斉に揺れた。だが揺れただけで、正面から反発したわけではない。そこが重要だった。古国の失脚そのものに驚く者は多い。だが驚きと抵抗は別だ。しかも官邸実務調整局が危機対応即応連絡会の回線を既に握っている以上、実務はほぼそのまま流れる。人間は、驚いた瞬間にまず電話を取る。電話の向こうが新しい権力へ既に接続されていれば、多くはそこで従う。


 牧野恒一は、その第一報を見て、最初に舌打ちした。


 怒りではない。計算の修正だった。古国は遅いとは思っていた。だが、だからといって四谷がここまで早く動くとは見積もっていなかった。問題はそこではない。問題は、実務線と警護線を握った状態でやられたということだ。つまり軍事的に見れば、もう半分以上勝っている政変だ。


「どちらにつく」


 隣の幕僚が訊いた。


 牧野は即答しなかった。彼にとって重要なのは理念ではない。計画が成功するかどうかだけだ。古国は六月六日には成功した。だがその後を失敗した。四谷は危険だ。だが危険であることと、勝てることは両立する。軍人として最も卑しい判断だと自分でも思ったが、結論は早かった。


「現時点で動いている方だ」


 それだけだった。


 榊原広太は、もっと静かだった。


 彼は最初から、この日が来ることを予感していた。正確な日時までは読めない。だが構図は見えていた。古国の節度は、いずれ誰かに利用される。四谷の速度は、その誰かが四谷自身であることを示していた。ではなぜ止めなかったのか。止められたかもしれない。だが止める理由が自分の中で最後まで育たなかった。古国に賭けるには、古国は疲れすぎていた。四谷は怪物だが、怪物には怪物なりの一貫性がある。人は時に、疲れた義人より、一貫した怪物を選ぶ。榊原もまた、その醜い人間性から自由ではなかった。


 午前七時、四谷は官邸の大広間へ出た。


 まだ全国向け生中継ではない。まずは内部の幹部、各方面の主要指揮官、地方監督官、官邸実務調整局、危機対応即応連絡会、その全てへ向けた演説だった。だが、その場が実質的には政権交代の宣言であることを、誰もが理解していた。


 四谷は演壇の前に立つと、紙を一度も見なかった。


「六月六日は必要だった」


 彼は言った。


「だが六月六日以後の国家保全体制は、その必要を十分に徹底しなかった」


 広間は静かだった。


「我々は旧秩序の崩壊を前にして蜂起した。にもかかわらず、その後の半年は、旧秩序への配慮、暫定性への執着、文民的説明責任への未練によって費やされた。国家は保全されなければならない、という発想自体が、すでに古い」


 ここで、何人かの顔色が変わった。言い方が違う。古国は「国家の保全」を主語にしていた。四谷は今、それを切ろうとしている。


「国家とは、歴史の器にすぎない。器が腐ったなら、継ぎ足すのではなく、打ち砕いて新たに作るしかない」


 四谷の声は平坦だった。だからこそ、内容の異様さがよく通る。


「我々は新たな段階へ入る。レーニン=孫文主義を国家建設の基礎理念とし、史的報復主義を対外・対内の歴史観とする」


 広間の空気が、そこで初めてざわついた。


 言葉の意味をすぐ理解した者は多くない。だが、理解しきれないからこそ気味が悪い。極左の残骸。民族革命。先覚者支配。歴史への復讐。その全部が一つの文で接続されている。人は理解できる異常より、理解できない一貫性の方を怖れる。


 四谷は続けた。


「停滞した日本国家を終わらせる。我々は、東アジアに新しい革命国家連合を築く起点となる。日本、朝鮮、台湾、さらにその先へ。疲れた国民国家を接合しただけの旧世界ではなく、歴史的使命を持つ新たな連合主体を作る」


 神代は、その演説を聞きながら、背筋に冷たいものが走っていた。


 自分は思想の人間だ。だからこそ分かる。これはただの狂気ではない。狂気がある。誇大妄想もある。だが、それだけではない。構文があまりに正確なのだ。まず日本国家の暫定性を切る。次に東アジア連合という建前を出す。さらに革命国家連合という語で、国内の軍政と対外拡張を同じ歴史的使命へ接続する。あまりに整いすぎている。整いすぎているから、もっと危険だった。


 演説の最後、四谷は言った。


「本日をもって、六月六日は完結しない。六月六日は、本日から初めて正しい意味を持つ」


 それは古国への葬辞でもあった。


 同日午前、古国良平は官邸地下の一室に移された。


 扱いは丁重だった。暴力も侮辱もない。医師も付く。食事も出る。連絡は制限されるが完全に断たれはしない。つまり、まさしく「保護」だった。古国はその皮肉を理解していたし、理解している自分がまだ妙に冷静であることにも腹が立った。もっと怒るべきだ。自分は国家を奪った男なのだ。だが現実には、国家を奪った男はこうして丁重に隔離される。歴史は、思っているほど劇的ではない。劇的さの大半は、後から書く者が足しているだけだ。


 白河俊明の言葉が、いまさらのように胸へ戻ってくる。


 最初の人間は秩序回復を言う。次の人間は理念を言う。


 その通りになった。


 古国は椅子へ深く腰を下ろし、しばらく目を閉じた。自分の敗北より、自分がどういう怪物の足場を作ってしまったかの方が、今は重かった。六月六日に自分が開いた扉から、国家保全ではなく国家改造の怪物が入っていく。あの怪物は、自分よりはるかに遠くまで行くだろう。しかも、自分の功績を「創始者」として利用しながら。そこが最悪だった。


 外では、もう四谷の国家が始まっていた。


 官邸実務調整局はそのまま機能し、危機対応即応連絡会は「革命執行連絡線」へ改編され、若手将校層は露骨に活気づき始める。古国派というほど明確な派閥は、実は最後までなかった。そこもまた古国の弱さだった。彼は理念より責任で人を集めた。責任で集まる人間は、責任が敗れた瞬間に散る。四谷は違う。彼はこれから理念で人を選別する。理念で選ばれた人間は、もっと深く壊れる。


 十二月八日、日本の軍政は、ようやく本当の意味で革命になった。


 六月六日は政権の簒奪だった。

 十二月八日は国家そのものの簒奪だった。


 古国は国家を守るつもりで権力を取った。

 四谷は国家を別のものへ変えるために、その権力を奪った。


 ここから先はもう、節度ある軍政の話ではない。


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