表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第二章 権力
18/69

速度

 革命の直後に最も不足するものは、正統性ではない。


 速度である。


 もちろん、正統性もない。そんなものは最初からないに等しい。軍服が官邸へ入り、首相を拘束し、警察へ火力を向けた時点で、どれほど美しい文言を並べても、それは歴史の前では武装簒奪の一種としてしか残らない。だが、正統性の欠如は、すぐには体制を殺さない。人間は正統な支配にも、不正な支配にも、案外すぐ慣れる。慣れないのは、遅い支配に対してである。上から命令が来る。だが遅い。来た命令が、次の現実にもう追いついていない。その瞬間、体制は急にみすぼらしくなる。恐怖より先に、苛立ちが勝つからだ。


 六月十日、日本のあちこちで、その苛立ちが生まれ始めていた。


 首都圏では見かけの秩序が戻りつつある。幹線道路は一部規制を残しつつ流れ始め、鉄道は間引きながら動き、テレビは繰り返し「国家非常措置下における生活安定へのご協力」を呼びかけている。役所は開いた。学校も、地域によっては再開準備へ入った。コンビニの棚も、品薄を抱えたままではあるが、完全な空白ではなくなった。人間は、壊れた直後の方が従順だ。火が上がっている間は、自分で判断しなくて済むからである。だが一見すると落ち着いてきた瞬間から、急にそれぞれの不満が顔を出す。なぜこれが届かないのか。なぜ説明がないのか。なぜ昨日の命令と今日の命令が違うのか。なぜ軍がそこまで口を出すのか。そういう問いだ。体制を本当に危うくするのは、劇的な反乱より、こういう細かな疑問の累積だった。


 古国良平は、その速度を作れなかった。


 彼は朝から、官邸の危機管理区画に詰めていた。机上には報告が積み上がる。地方自治体との摩擦。燃料輸送の調整不全。医療物資の優先配分をめぐる県庁と自衛軍監督官の衝突。放送局側の自主規制ラインと軍政側の要請の食い違い。電力会社が保守要員の移動許可を求めているのに、現場検問がそれを止めている件。どれも国家の命運を左右するような壮大な案件ではない。だが、こうした細部の詰まりこそが、数日後の国家の空気を決める。


 古国は、その一つ一つに真面目に向き合おうとした。


 そこが、長所であり、同時に欠点だった。


 彼は、自分が国家の最後の責任者だという信念をまだ捨てていない。だから、現場の些末に見える問題にも、なるべく筋を通そうとする。地方自治体の顔も立てる。官僚機構の自尊心も無駄に傷つけない。民間事業者を露骨に脅しすぎない。海空との断絶も可能な限り決定的にはしない。要するに、どこかにまだ「この国を元の骨格ごと保ったまま、上の命令系統だけ取り替えられるのではないか」という幻想が残っていた。


 それは軍人としては立派な節度なのかもしれない。


 だが革命の直後には、ただの遅さだった。


「北関東で救急搬送が止まっています」


 官邸実務調整局から上がった報告を、古国は読み上げた。


「どういう意味だ」


 答えたのは、昨日新設されたその局の責任者になった四谷賢一ではなく、まず局の現場担当の三佐だった。四谷は敢えて一歩引いた位置に立っている。最初から何もかも自分が答えれば、露骨すぎるからだ。


「道路の検問で、怪我人を運ぶ救急車が数時間止められました。正当な理由もないのにです。県警を実施する県警側とこちらの監督官の認識が噛み合っていません」


「何を揉めている」


「誰の許可で通すかです」

 四谷が答える。古国は、そこで眉を寄せた。


「馬鹿げている。即時通せ。現地指揮官の判断でよい」


 それを聞いた四谷が、口を開いた。


「それではまた同じことが起きます」


 古国は顔を上げる。


「何だ」


「現地指揮官に任せるということは、つまり各地で別々の判断を許すということです。今必要なのは、判断権限の分散ではなく、一元化です」


「全てを中央で裁く気か」


「違います」


 四谷は落ち着いて言った。


「中央が毎回裁かずともいいよう、現場が自律して判断できるように規範を示すのです」


 古国は黙った。


 四谷の言い方は、いつもそこで止まる。目的だけを言う。その先の現実がどれほど粘ついていて、どれほど戻しにくいものになるかは、こちらに想像させる形で残す。そうされると、反論しにくい。現に、いま言っていること自体は正しいからだ。各地の検問線で、警察と自衛軍、自治体と民間業者、県の危機管理課と官邸実務調整局が、その都度「今回はどうするか」を協議していたら、生活は持たない。必要なのは固定だ。固定とは、平時の行政においては手続であり、革命直後の体制では支配である。その違いだけだった。


「案は」


 古国が訊く。


「既に作っています」


 四谷はそう言って、隣の三佐へ視線を送った。三佐が資料を配る。よくできている。昨日の夜のうちに準備していたのだろう。各県境、主要都市圏出入口、港湾、空港、物流拠点、主要病院へ向かうルートのうち、生活維持に直結する輸送を「甲線」として指定し、その通過権限を官邸実務調整局の認証で一律に保証する。現場指揮官の判断ではなく、中央から与えられた認証札と通信確認で通す。合理的だ。合理的である以上に、恐ろしく中央集権的だった。だが古国は、それを否定する材料をすぐには持てなかった。


「やりすぎです」


 神代嶺が先に言った。


 古国は一瞬、救われたような気分になった。そうだ、やりすぎだ。自分の違和感を先に言葉にされた気がしたからだ。


「どこがです」


 四谷は、ほとんど興味もなさそうに問う。


「それでは官邸実務調整局が、生活物流の実質的な許認可機関になります。法理上の根拠が薄い」


「今さらですか」


 四谷の声には、わずかに嘲りが混じっていた。


 神代の目が細くなる。


「今さらではなく、その『今さら』を積み上げて後から整えるのが私の仕事だ」


「なら整えればいい」


「整えきれない速さで物を動かすなと言っている」


 神代は怒っていた。珍しいことではない。だがその怒りの中身は単純ではない。違法だから怒っているのではない。自分の言葉が追いつけない速度で現実が動くことに苛立っている。理論家にとって、自分の外側で世界が勝手に先へ行くことは屈辱だ。まして、その先へ行かせているのが年下の軍人ならなおさらだった。


 四谷は、そうした心理をよく理解していた。


「追認すれば済みます」


 彼は言う。


「現実が先です。あなた自身、そういう場面を何度も正当化してきたでしょう」


 神代は一瞬だけ言葉に詰まった。


 古国はその二人を見ながら、胸の奥で嫌なものが広がるのを感じていた。これは意見対立ではない。もっと違う。国家の処理速度をめぐる、支配権の争いだ。神代は言葉で国家を固めようとし、四谷は回路で国家を固めようとしている。そして自分は、その中間に立って、まだ「義務」と「保全」で全体を保てると思い込もうとしている。


「認証線は限定的に実施する」


 古国は結論した。


「医療、電力、燃料、食料、その四系統だけだ」


「警察情報と放送も入れるべきです」


 四谷は即座に言った。


「入れない」


 古国の声は、珍しく強かった。


「生活維持を名目に治安と情報まで一緒に握れば、これはただの軍政では済まなくなる」


 四谷は沈黙した。


 だがその沈黙は服従ではなかった。反論が退けられたから黙るのではない。別の入口から同じものを取る算段へ、頭の中で既に切り替えている沈黙だった。古国はそのことを、今はまだ完全には読めていない。ただ、四谷が引き下がった時に一番不気味だという感覚だけは、少しずつ持ち始めていた。


 午後、都内のある放送局では、報道統括会議が紛糾していた。


 軍政側から来た文書は丁寧だった。あまりに丁寧だったので、かえって全員が苛立った。表現の節度、国民生活への不安増幅防止、治安維持活動の妨げとなる映像の取り扱い自粛、現場部隊の顔や位置情報の露出回避。どれも、戦争報道や大規模災害時なら一理あると言えなくもない。だが全員が理解していた。これは節度の要請ではなく、映像の主導権を握るための牽制だと。


「クーデターって言うのか言わないのか、そこだけでも決めてくれ」


 若いディレクターが言った。


 ベテランの報道局次長は顔をしかめた。


「まだ裏が取れていない」


「官邸に軍が入って首相が保護下だぞ。何が裏だ」


「用語一つで全部が敵に回る」


「もう敵だろ」


 議論は堂々巡りだった。どの用語を選んでも、何かを失う。軍政と言えば、こちらから正統性を奪いにいくことになる。国家非常措置と言えば、向こうの語彙をそのまま飲むことになる。報道とはそういうものだ。中立ぶっているが、実際には語の選択で半分政治をやっている。だが今の日本では、その半分がひどく重くなっていた。


 衛村真木は、出版社の自分の席からその空気を遠く感じ取っていた。書店は通常営業だが、売場では政治本と陰謀論本が同時に動き始めている。雑誌は急遽特集の差し替えを検討している。編集部では「軍政下の言論」を扱うべきだという声と、「生活情報へ寄せて政治色を薄めるべきだ」という声が対立していた。真木には、そのどちらも薄っぺらく見えた。政治色を薄めたところで、生活そのものが既に軍政と接続されている。食料が届くか。電車が動くか。学校が開くか。病院へ行けるか。そうしたものの全てが、いまや政治であり、権力だった。


 彼女は昼休みに、最終インターのチャットを開いた。


 そこでは「地下」と「表」がはっきり分かれ始めていた。生活相談、物資共有、匿名配送、停電対策、労働相談といった実務系の部屋はさらに活発になり、別の鍵付きの部屋では、潜伏先、紙の通信、監視回避、工作の初歩が語られ始めている。志門杏里は、それを抑えようとするのでも煽るのでもなく、むしろ「役割ごとに層を分ける」方へ動いていた。真木はその慎重さが、ある種の成熟だと感じると同時に、ひどく危険な成熟でもあると思った。怒りが熱ではなく構造へ変わり始めるとき、運動は長持ちする。長持ちするものは、たいてい誰かを本当に殺すところまで行く。


 その頃、志門は池袋の雑居ビルで、十人ほどの若者と向かい合っていた。


 部屋は狭い。折りたたみ椅子。安い机。冷房の効きが悪く、外の熱気が窓の隙間からじわじわ入ってくる。出席者の顔ぶれは雑多だった。大学院を中退した男、非正規の女、夜勤物流、派遣SE、地方公務員試験に落ち続けた男、教職からこぼれた女。そういう顔の中に、今日は一人、少し場違いな若者がいた。短く刈った髪。姿勢の癖。手の置き方。軍の匂いが消えていない。志門は見た瞬間に分かった。


「初めて?」


 彼女が言うと、その若者は少し硬い顔で頷いた。


「ええ」


「名前は仮でいい」


「……佐原で」


 本名か偽名かは分からない。どうでもよかった。重要なのは、この種の場に軍の匂いを持った人間が入り始めたことだ。古国の軍政が成立してまだ数日なのに、もう内側からこぼれる者がいる。いや、こぼれるというより、内部の矛盾に息苦しさを覚えている者が出始めたということかもしれない。志門は、その事実にぞっとすると同時に、ひどく興奮した。国家というものは、奪った瞬間から腐る。腐るからこそ、別の入口が生まれる。


 佐原と名乗った若者は、自分が何をしに来たのか、まだはっきり分かっていない顔をしていた。そういう顔を、志門は嫌いではなかった。最初から何をしたいか明確な人間は、大抵ろくでもない。何をすればいいか分からないまま、それでもここへ来てしまった人間の方が、時々、本当に深く壊れるからだ。


「何が知りたいの」


 志門が問うと、若者は少し迷ってから言った。


「……みんな、これをどう見てるのか」


 曖昧な問いだった。だがその曖昧さに、彼の本音が出ていた。軍政に反対したいのか、古国を裏切りたいのか、ただ息苦しいのか、自分の立場がどうなるか不安なのか、本人にも整理がついていない。だからまず、他人の言葉で輪郭を借りに来たのだ。


「どう見てるか、ね」


 志門は椅子の背にもたれた。


「国家がやっと本音を見せた、って感じかな」


 若者は黙った。


「そういう答え、予想してた?」


「……いや」


「じゃあ何を期待してたの。『軍政は怖いけど事情もある』みたいなバランス感覚?」


 わざときつく言う。相手を追い込むためではない。曖昧な地点へ逃がさないためだ。志門は、最近その手つきが少し上達してきた自分に気づいている。人の迷いを言語化し、逃げ道を一つ潰し、次の言葉を選ばせる。革命家というより面接官に近い。就活に殺された人間が、今度は他人の選別に向いている。その皮肉を、彼女は自覚していた。


「俺は」


 若者は言った。


「最初は必要な措置かもしれないと思ったんです」


 部屋の何人かが顔を上げる。


「地球防衛軍のこともあったし、十一月の攻撃もあったし、この国があのままじゃ駄目だってのは、たぶん、そうだと思ってた。古国陸将の言うことも分かる気がした」


「でも今は?」


「分からない」


 その答えは正直だった。


「何を守ろうとしてるのか、だんだん分からなくなってきた。上は秩序って言う。生活維持って言う。けど、やってることは結局、誰がどこを通るか、誰が何を言うか、誰が何を見られるかを全部取りに行ってるようにしか見えない」


 志門はその言葉を聞いて、内心で少し笑った。思想的には素人の言葉だ。だが素人の言葉の方が、時々、構造の真芯を正確に突く。軍政というものの本質はまさにそこにある。物理的暴力より、その後の日常の通行権・発言権・視認権を握ること。彼はまだ思想を持っていない。だが、体制の息苦しさの正体にはもう触れている。


「じゃあ、もう戻れないね」


 志門は言った。


「え?」


「そこまで見えちゃったら。『必要だったかもしれない』ってところへは、もう」


 若者は何も言わなかった。その沈黙の形を見て、志門はだいたい分かった。こいつはまだこちらの人間ではない。だが、向こうにも戻れない。その中間にいる。中間にいる人間は、情勢がさらに一つ動くたびに、どちらかへ深く落ちる。今はまだ焦らない。焦って理念を与えれば逃げる。必要なのは居場所だけだ。志門はそのくらいの手加減を、ようやく覚え始めていた。


 午後、北関東の総合病院では、本当に患者が困り始めていた。


 怪我人の搬送のみならず、物流統制により医薬品の配送が遅れに遅れた結果、手術予定がずれ、救急受け入れが絞られ、病院事務局は県庁と自衛軍監督官と物流会社へ同時に電話をかけ続けていた。誰も明確に「ダメだ」とは言わない。だが誰も即答しない。責任の所在が多すぎると、人間はしばしば許可を出すことより、保留することの方を安全だと感じる。その保留が、患者の体へ直接跳ね返る。軍政というものは、しばしばそういう場所で一番醜い。理念でも国家でもなく、ただ誰かの点滴や薬の時間がずれるところで。


 官邸実務調整局には、その報告が上がった。


 四谷はそれを見て、すぐに一枚の指示を切った。医療物資甲線の優先通行。該当病院への調達責任の一本化。県警への通達文。監督官への確認事項。現場が必要とするのは、だいたいこういう単純なことだ。通していいのか悪いのか。誰が責任を取るのか。その二つだけ明確なら、多くの実務は動く。


「早いな」


 局の三佐が言った。


「当然だ」


 四谷は答える。


「遅い体制は死ぬ」


 それだけだった。


 だが、その少佐はその言葉を妙に深く受け取った。現場で困っている人間へ、古国の「検討」より、四谷の「即断」の方が早く届く。その事実は、思想より先に人の忠誠を動かす。人間は結局、自分の前の詰まりを誰が解いたかで、少しずつ信頼の向きを変える。四谷はそこをよく知っていた。


 古国は夕方、その処理の速さを報告で知った。


「病院の件、局の判断で通したのか」


 彼は榊原に訊いた。


「はい」


「私に上げずに」


「上げれば間に合わなかったでしょう。指導受けのための数時間で、人は簡単に死にます」


 榊原の答えは事実だった。


 古国は机の上の書類を見ながら、言葉を失いかけた。責めたい。だが責められない。現に、局の判断は多くの現場を助けている。助けている以上、それを咎めれば自分は「統制のために生活を止めた側」になる。政府の指導者として、それは最悪だ。だが他方で、自分を通さずに回る実務線が増えていくことへの不安も、もう無視できない。権力とは、自分が決めることではなく、自分を通さずに決まることがどれだけ少ないかで測られる。古国はその意味で、少しずつ削られていた。


「今後は必ず報告を上げろ」


 彼はようやく言った。


「先に処理してもいい。ただし、私の知らないところで常態化させるな」


「承知しました」


 榊原は言ったが、その返事にどこまで実質があるか、古国には自信が持てなかった。


 夜、四谷は若手将校数名と非公式の夕食を取った。


 場所は官邸ではない。市ヶ谷から少し離れた、自衛軍関係者がよく使う店だった。個室。薄い仕切り。料理はそれなりだが、味なんて誰も覚えていない。こういう場では、何を食べたかより、誰がどの順番で喋ったかの方が重要だ。


 集まった顔ぶれは、前日より少し広い。一佐はいない。二佐と三佐、それに実務を回している三佐級が数人。どれも、古国の大義には反発していない。むしろ六月六日に一定の誇りすら持っている。だがその誇りと、現在進行中の軍政へのしらけが、すでに同居し始めていた。


「総監は慎重すぎる」


 誰かが言う。


「古国さんは、まだ国民へ説明しようとしている」


 別の誰かが言う。


「問題は説明じゃない。不徹底だろ」


 酒の席の熱ではなかった。もっと冷えた不満だった。熱い不満はその場で散る。冷えた不満は、翌日も残る。


 四谷は、最初しばらく聞いているだけだった。聞くこと自体が一種の働きかけになる。人間は、自分の不満を誰かが遮らず最後まで聞いた瞬間、その聞き手に一段近づくからだ。


「諸官」


 ようやく四谷が口を開いた時、部屋は自然に静まった。


「勘違いしてもらっては困る。私は総監を否定しているわけではない」


 その前置きは必要だった。最初から露骨に古国を切れば、まだ誰もついてこない。若手が苛立っていると言っても、それはあくまで速度の問題であって、六月六日の正当性そのものを否定したいわけではない。そこを外せば、ただの裏切り者になる。


「六月六日がなければ、この国はもっと醜く死んでいた」


 四谷は続ける。


「問題は、その後だ。起こしたものを、どういう国家へ変えるのか」


 その言葉に、誰もすぐには返さない。


「国家を救ったという語だけで止まれば、我々は結局、壊れた制度の番人になる」


 四谷は言った。


「番人では足りない。作り替えなければならない」


「どこまでだ」


 三佐の一人が問う。


 四谷は少しだけ笑った。笑ったと言っても、機嫌のよさではない。ようやく相手がそこを訊く段階まで来たという確認だった。


「まずは、この国の命令系統から文民幻想を完全に追い出すところまでだ」


 部屋の空気が静かに変わる。


 彼はまだ、レーニン=孫文主義も史的報復主義も出さない。今は要らない。まず必要なのは、若い軍人たちに「古国の軍政」と「自分たちが作るべき国家改造」の間に、はっきりした差があると感じさせることだった。


「官僚は使う。地方も使う。企業も使う。だが使うということと、彼らに国家の骨格を預けたままにすることは違う。六月六日は、命令系統の切断だった。次に必要なのは、国家そのものの再編だ」


「古国閣下は、そこまでやると思うか」


 誰かがまた問う。


 四谷は酒を口へ運び、少しだけ間を置いてから言った。


「人は自分のやったことの重さに耐えられなくなる時がある」


 それは答えでもあり、予告でもあった。


 部屋の全員が、その意味を完全に理解したわけではない。だが、十分だった。古国は六月六日の勝者であり続けるかもしれない。だがその勝利が、もっと別の徹底した体制への途中段階にすぎない可能性を、いまここで初めて明確に感じた者たちがいる。その感覚は、もう元には戻らない。


 会が終わって外へ出ると、夜気は蒸していた。


 東京はまだ普通の顔をしている。明かり。信号。遅い電車。コンビニの前で座る若者。スマートフォンを見ながら歩く会社員。国家がひっくり返った数日後でも、都市はこんなふうに無神経に生きる。その無神経さが、四谷には腹立たしくもあり、同時に利用可能な素材にも見えた。人々が慣れるなら、その慣れをもっと深い方向へ押し込めばいい。軍政がただの非常措置として日常へ埋まるなら、今度はその日常の中身を変質させればいい。


 六月十日の終わり、日本はまだ古国のものであるように見えた。


 だが、その古国政権の内部では、すでに速度をめぐる分裂が始まっている。


 義務に耐えようとする老人。

 秩序を法で固めたい理論家。

 利害で人を配る実務家。

 成功した計画だけを信じる幕僚。

 そして、その全部を素材として見ながら、次の体制を考える若い軍人。


 政変の怖さは、外に敵がいることではない。


 最初の勝利を支えた内部が、次の秩序をめぐって別々の速度で動き始めることだ。


 四谷はもう、その速度差を知っている。


 古国はまだ、それを「意見の違い」の範囲で処理しようとしている。


 そこが致命的だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ