革命の就活
志門杏里は、ファストフード店の二階席で、資本主義の終焉について喋っていた。
窓際の四人掛けテーブル。トレイの上には、紙コップのコーラが二つ、冷めかけたポテト、半分ほど食べられたハンバーガーの包み紙、そして何枚かのコピー用紙。店内には油と洗剤の匂いが混じっている。階下では、制服姿の学生と買い物帰りの家族連れが、何も考えずに同じような食事を摂っていた。安く、早く、均質で、そこそこ美味い。現代社会というものは、たいてい不満を抱えるに十分な不味さと、革命を起こすには足りない程度の快適さを両立している。
志門の目の前には、大学を出たばかりの若者が三人いた。男が二人、女が一人。いずれも顔つきに特徴がない。特徴がないということが、この国の新卒者に与えられた最も強い特徴だった。量産された不安と、規格化された自尊心。全員が、自分はまだ何者かになれると思っている。そのくせ、何者にもなれない可能性が大だと薄々知っている。
「誤解しないでほしいんだけど」
志門は、ポテトを一本つまんで言った。
「私は別に、今すぐ銃を取って蜂起しろとか言ってるわけじゃない。日本でそんなことやっても無理だから。これは三秒くらい考えればわかることだと思うけど」
常識、という言葉を口にするとき、彼女はいつも少しだけ笑う。常識というものを信じていない人間特有の笑いだった。
「じゃあ何をすればいいんですか」と、スーツ姿の男が言った。いかにも就活を終えたばかりの顔だった。髪型、ネクタイの色、話し方、すべてがまだ面接の延長線上にある。社会人になったというより、就活の亡霊がそのまま内定先へ滑り込んだような印象だった。
「まずは言語化。敵の輪郭をはっきりさせること」
「敵って、政府ですか?」
「浅い。政府も敵だけど、政府だけじゃない。企業も、メディアも、学校も、採用慣行も、結婚市場も、老人票も、家父長制も、自己責任論も、全て繋がってる」
彼女は指でテーブルを叩いた。
「要するに、この社会は、失敗した者を個人の責任に見せかけて処理する構造でできてる。だから、個人の不幸を個人の問題として受け取るのをやめる。それが第一歩」
「でも……」
女のほうが、おそるおそる口を開いた。まだ大学の雰囲気を少し残している顔だった。リクルートスーツから私服へ戻ったばかりの年齢に特有の、所在のなさがある。
「SNSでそういうこと言っても、叩かれるだけじゃないですか」
「叩かれればいいのよ」
志門は即答した。
「叩かれることで可視化されるものがある。対立は、存在しないより存在したほうがいい。論戦は勝つためだけにやるんじゃない。傷を見せるためにやるの」
それは彼女の本音だった。同時に、半分は方便だった。
志門杏里は、自分が純粋な革命家ではないことを知っていた。
高校や大学のころには、自分はもっと高い場所へ行く人間だと思っていた。頭は悪くなかったし、要領も良かった。学歴もそこそこだった。面接でもそれなりに喋れた。だが、就職活動というあの湿った儀式の中で、彼女は敗れた。 最終面接で落ちた。補欠で落ちた。滑り止めで落ちた。祈られ、見送られ、ご縁がなかったと告げられた。面接官の曖昧な笑顔、説明会の人工的な熱気、エントリーシートの自己分析、志望動機の空虚さ、グループディスカッションの白々しさ。あの一連の手順を思い出すだけで、彼女はいまでも胃の底が粘つくような嫌悪を覚える。 就活という制度の何が最も不快かといえば、落ちることそのものではない。落ちた理由が最後まで曖昧なまま、なおかつそれを受験者本人の未熟へ回収できるように設計されているところだ。能力が足りなかった。準備が甘かった。自己分析が浅かった。企業研究が足りなかった。熱意が伝わらなかった。どれもそれらしく聞こえる。だからこそ、どれもほとんど意味がない。気づけば、彼女は「既卒」の側にいた。
そのとき、彼女の中で何かが壊れた。
いや、壊れたというより、剥がれたのだ。
この社会が公平であるという膜。努力と能力が報われるという皮。自分はまともな道を歩めるという、根拠のない前提。確たる教義のない、薄っぺらな信仰が。
社会は勝者に対しては「努力したから報われた」と言い、敗者に対しては「努力が足りなかったのでは」と言う。勝っても体制の正しさ、負けても体制の正しさ。そうなっている以上、そこに評価装置としての誠実さはない。ただの儀式だ。秩序の確認作業にすぎない。
そうして彼女は、現実の代替となるものを求めて社会主義の文献を読み始めた。レーニン、トロツキー、毛沢東、マルクス、ついでにどうでもいい現代左派の評論。夜中にハイライトを引き、赤線を引き、ノートに要約を書く。最初は、自分の怒りに箔をつけるためだったのかもしれない。個人的な挫折を歴史的な言葉へ接続し直すための作業。だが、読み進めるうちに、別の苛立ちが生じた。だが、読み進めるうちに、別の苛立ちが湧いた。
ぬるい。何もかもぬるい。
既存の左翼政党は、選挙で何議席取れるか、どの法案に反対するか、どの集会でどの言葉を使うか、その程度のことで消耗している。資本主義を本気で憎んでいるようには見えなかった。いや、正確には、憎んでいるのかもしれないが、憎悪を遂行能力に変える気がなかった。怒りを文化として楽しみ、敗北を様式として保存しているように見えた。あるいは、そもそも左翼思想を利益のために用いている裏切者だ。
怒っているふりをしているだけの人間。敗北に馴染んだ人間。「社会を変える」という言葉を、暇つぶしのための趣味にしている人間。
志門は、そういう連中が嫌いだった。
だから彼女は、自分で集めた。
就活に失敗した者。非正規。薄給。学生運動に間に合わなかった者。ネットの片隅で政治に怒っている者。既存政党のぬるさに飽きた者。思想に飢えているが、組織には属したくない者。
それが、最終インターナショナルの始まりだった。
もっとも、始まりは大したものではない。
非公開チャット。読書会。SNSアカウント。翻訳。批評。悪口。拡散。
革命の第一歩が、ディスコードのサーバー作成だったと知れたら、レーニンも墓の中で呆れるかもしれない。彼はまだモスクワのレーニン廟で眠っているが、呆れのあまり起き上がるかもしれない。
だが、志門は、そこに時代の条件を見ていた。
いまの若者は、大きな理念を信じていない。
信じていないが、不満はある。
不満はあるが、行動できない。
行動できないが、何かに所属したい。
所属したいが、束縛は嫌う。
つまり、構造的に腐っている。
そこに、火をつける。
彼女のやっていることは、革命というより、可燃物の探索に近かった。どこの何に火をつければよく燃えるのか?革命家というよりは、放火魔の思考だ。
「でも、結局、私たちって何なんですか」
別の男が言った。どこか苛立った目をしている。たぶん、大学時代に多少は政治に関わったことがある手合いだ。志門は彼のことをあまり知らないが、風体がそう自己紹介していた。
「党なんですか。運動なんですか。サークルなんですか」
「全部でしょ」
「それだと曖昧すぎる」
「曖昧でいい」
志門は、コーラの氷をストローで突いた。
「いまの時代に必要なのは、厳格な綱領より、感染力。入党届なんかいらない。『ああ、この社会はおかしい』って感覚を、各自が自分の周囲で拡げればいい。会社で、学校で、家庭で、ネットで。革命は中央から始まるとは限らない」
「それ、ただの愚痴の共有になりませんか」
「愚痴の何が悪いの?」
志門は少しだけ目を細めた。
「愚痴ってのは、現実への不服従の最小単位。そこからしか始まらない人間もいる。いや、全部の革命がそこから始まったに違いない」
彼女は言いながら、自分でも半分だけ本気で、半分だけ演技だと分かっていた。
彼女は、信者を作る才能があった。
さらに厄介なことに、自分自身も、その場その場で自分の言葉に酔える性質だった。これは政治家としては美点であり、人間としては欠陥だ。だが、大きなことを始める人間に、欠陥のない者などいない。
だが、それで十分だった。
現代において、革命家に必要なのは清廉さではない。
必要なのは、曖昧な不満を、輪郭ある敵意へ変換する能力だ。
「でもさ」
スーツ姿の男が、今度は少し身を乗り出して言った。
「実際、何も変わらないじゃないですか。SNSで怒ったって、デモしたって、せいぜい炎上して終わりでしょ」
「そうね」
志門はあっさり認めた。
「たぶん、すぐには何も変わらない。変わらないけど、それでもやるしかないのよ。だって、黙ってたって向こうは勝手に処理してくるんだから」
「向こうって?」
「体制」
「それ、便利な言葉ですね」
「便利よ。便利なくらい巨大だから」
彼女は少しだけ前かがみになった。
「いい? 就活に落ちたのは、あなた個人のせいじゃない。低賃金なのも、奨学金で苦しいのも、結婚できないのも、家が高いのも、老後が不安なのも、ぜんぶ偶然の個別事象として処理されてる。でも本当は、そう見せかけてるだけで、全部つながってるの。だから、まず『これは個人の不運じゃない』って認識を共有する。そこから始めるしかない」
これは、彼女にとって重要な点だった。革命とは、武器を手にする以前に、不幸の責任配置を書き換える作業である。誰が悪いのか。何が悪いのか。その図式を一度塗り替えれば、人間は以前と同じ現実を同じようには見なくなる。
もっとも、彼女は知っている。それが本当に革命へ至るかといえば、ほとんどのケースでは至らない。せいぜい、日々の不快に歴史的な語彙を与えて、少し気分がよくなるだけだ。だが、それで十分な場合もあるし、それで済まない場合もある。彼女が求めているのは、後者だった。
彼女が席を立つころには、若者たちの目つきは少し変わっていた。確信には程遠い。だが、不満に名前が与えられたとき、人間は少しだけ救われる。あるいは、救われた気になる。
それが危険なのだ、と志門は知っていた。だから利用した。
彼女は善人ではない。誰かを救いたいわけでも、社会の傷ついた若者を丁寧に抱きとめたいわけでもない。少なくとも、それだけではない。もっと濁ったものがある。自分が蹴落とされた世界に対して、何らかの形で報復したいという欲望。自分を正当に評価しなかった秩序へ、傷をつけ返したいという執念。
その執念が、彼女の言葉に熱を与えていた。
店を出ると、夕方の街はオレンジ色だった。駅前の大型ビジョンでは、ニュースキャスターが、海外で起きた無差別爆破事件について淡々と喋っている。死者多数。背景不明。犯行声明未確認。現地政府は強く非難。画面の下では通販サイトの広告が流れ、少し遅れてアイドルグループのMVが始まる。
足を止めて見上げている人間は、ほとんどいなかった。
もう誰も、遠くの悲劇には驚かない。それどころか、近くの悲劇にも、たいして驚かない。そうなる余地があったのだから仕方がない。避けられたのに避けなかったから仕方がない。世界は公正であるという誤謬を無意識に信じ込んで、自分の心を守っている。
志門は、そのことに奇妙な興奮を覚えた。
世界が壊れかけている。
しかも、誰も本気で修理する気がない。
「いい兆候だわ」
誰に聞かせるでもなく、彼女は呟いた。
その夜、志門は自室で最終インターの非公開サーバーを開いた。新着メッセージがいくつも来ている。就活の愚痴、非正規労働への怒り、学費、住宅費、恋愛市場、年金、老人、採用担当への悪口、資本主義への雑な呪詛。どれも小さい。どれも汚い。どれも本来なら、個人の不機嫌として発散されて終わる程度のものだ。
だが、彼女は思う。
大きな歴史は、たいてい高邁な理念から始まるのではない。もっとみみっちい不満、もっと湿った屈辱、もっと個人的な逆恨みから始まる。人間は正義のために立ち上がるとは限らない。しばしば、自分が馬鹿にされたことを忘れられないから立ち上がる。
彼女自身がそうであるように。
チャット欄の上にカーソルを置き、少し考えてから、次の文を打ち込む。
予定された人生を拒否せよ。
失敗を個人の責任として受け入れるな。
未来を予定表から奪還せよ。
送信。
それだけのことだった。現時点では。ただの文章。ただのスローガン。ただのオンライン上の煽動。警察に捕まるほどのものですらない。世界を変えるには、あまりに軽い。
だが軽さは、しばしば感染の条件でもある。
志門は、暗い画面に映る自分の顔を見た。まだ若い。まだ何者にもなっていない。だが、その「何者でもなさ」は、もはや空白ではなく、武器になりうる気がした。社会の側に自分の居場所がないなら、社会そのものを居心地悪くしてやればいい。
彼女はそう考えた。革命家というものが、最初から国家の転覆など考えているわけではない。たいていは、自分を傷つけた秩序に、まず一度だけでも仕返ししたいと思うところから始まる。
志門杏里にとって、それが革命の起点だった。




