地下水脈
地球防衛軍による十一月の群発攻撃以後、日本の空気は目に見えるほどには変わらなかった。電車は走る。コンビニは開く。役所も学校も一応は動く。ニュース番組は専門家を並べて「冷静な対応」を呼びかけ、企業は災害対策マニュアルの改訂を始め、与党も野党も相手の初動の遅れを責め合った。大きな破局はまだ来ていない。そのことが、かえって不気味だった。
人間は、目の前で建物が爆発しているときよりも、それが終わった後の平穏のほうに強く腐ることがある。何かが起きた。自分の住んでいる国も無傷ではないと知った。にもかかわらず、結局はまたいつか元の生活へ戻ってしまう。そのとき人は、現実に安心するのではない。現実がどれほど壊れやすいかを知ったまま、それでも出勤し、買い物をし、恋愛の話をし、会議に出る自分自身の鈍さに、薄く傷つくのである。
その薄い傷を、志門杏里は見逃さなかった。
彼女の管理する非公開サーバーには、十一月末から明らかに人が増え始めていた。急増、と言うほど派手ではない。ニュースになるような数字でもない。だが、確実に質が変わった。大学生、院生、既卒、非正規、契約社員、生活保護の相談をしたい者、教職からこぼれた者、自治体の臨時職員、物流倉庫の夜勤、コールセンター、コンビニ本部、派遣のSE、病院の事務、フードデリバリー、そういう人間が、まるで別々の場所から同じ湿った匂いを嗅ぎつけたように、少しずつ流れ込んでくる。
彼らは必ずしも社会主義者ではなかった。マルクスを読んでもいない。レーニンの名前を知っているかも怪しい。資本論の一巻目を開いて三ページで寝たことのある人間すら多い。だが、そんなことは大した問題ではなかった。志門は最初から、教義で人を集めていたわけではない。彼女が配っていたのは理論ではなく、敵意の輪郭だった。
世界がおかしい。何かが間違っている。失敗を個人の責任にされるのはおかしい。頑張っても先が見えない。
努力を要求する制度の側が、もう壊れている。
その程度の認識で十分だった。むしろ、それ以上の純化は邪魔になる。現代の革命がどこから始まるかといえば、綱領ではなく、共通の嫌悪からだからだ。
志門は、群発攻撃の直後に、それまでのサーバー構成をかなりの部分で作り替えた。読書会用のチャンネルは残したが、中心ではなくした。代わりに増えたのは、労働相談、家賃滞納、解雇通知、奨学金、警察対応、病院同行、自治体窓口テンプレ、停電時の連絡方法、食料の共同確保、簡易発電機とモバイルバッテリーの共同購入、SNSでの論戦手引き、匿名通報回避、広域物流障害時の生活術、そういう実務の部屋だった。
彼女は、かなり冷静に理解していた。革命思想というものは、飢えた人間にそれ自体としては売れない。売れるのは、飢えたときにどこへ行けば食えるか、解雇されたときにどの書式で返信すればいいか、警察が家へ来たときに何を言わずに済ませればいいか、そういう具体だ。理念は、そのあとに乗る。現代人は、抽象を信じる前に、まず自分の生活が翌月まで持つかを確認する。確認できたときだけ、ようやく思想が入る余地が生まれる。
だから最終インターナショナルは、十一月以後、目立つ代わりに長持ちしない街頭活動よりも、地味で、汚く、見栄えのしない拡大を選び始めた。勉強会は、居酒屋の二階からファミレスの深夜席へ移った。政治集会ではなく、生活相談会と銘打たれるようになった。ビラは、革命の檄文よりも、電気料金値上げと非正規化と就活市場と介護離職を一枚に押し込んだ粗い比較表になった。言葉は少し薄まった。薄まった分だけ、入ってくる人間は増えた。
志門はそのことに、軽い嫌悪と実利の両方を感じていた。
ぬるくなった。
たしかにそうだ。
だが、ぬるい水のほうが、広い場所へ流れる。
しかも日本だけではなかった。
サーバーの一角に、いつの間にか翻訳専用の部屋ができていた。最初はただの英訳だった。次にスペイン語。次にドイツ語。フランス語。韓国語。繁体字中国語。ひどい機械翻訳も多かったが、それでも意味は渡る。そもそも、こういう思想は正確な翻訳によって広がるのではない。半分ほど誤訳されたときに、むしろ土地の事情へ食い込みやすくなる。
予定された人生を拒否せよ。
失敗を個人の責任として受け入れるな。
未来を予定表から奪還せよ。
志門が日本語で作ったスローガンは、やがて各国で少しずつ別の語へ変形した。アメリカでは学生ローンと医療費とドラッグとホームレスの文脈に接続された。ドイツでは移民と物価と住宅市場の疲弊に乗った。韓国語圏では兵役と就職と学歴競争の絶望と結びついた。繁体字圏では半ば論壇用語のような顔をして流通し始めた。どこでも内容は違う。違うが、違うまま同じ苛立ちに収束していく。
それは思想というより感染に近かった。
海外支部と呼べるほどの組織は、まだなかった。だが、名前を先に与えれば組織はあとから寄ってくる。最終インターナショナル、という過剰な名前は、その点だけはよくできていた。大げさで、空虚で、だからこそ、まだ何も持たない若者が自分を投影しやすい。
最初に強い存在感を見せたのは、アメリカ側の連中だった。
ある夜、志門は日本時間の深夜に開いた通話で、その男の声を初めて聞いた。映像は出ない。音声だけ。通信環境が悪く、ときどきノイズが混じる。英語は荒っぽく、単語の選び方に妙な明瞭さがあった。
「君たちは、敵を言語化するところまではやった」
男は言った。
「その先は?」
志門は、少し苛立って応じた。
「国が違う。日本で同じやり方が通ると思わないで」
「違うよ。だからこそ聞いてる。違う国で、どこから国家を腐らせるつもりなんだ?」
通話に入っていた何人かが黙った。相手の口ぶりが気に食わなかったのもあるが、それ以上に、問いそのものが厄介だったからだ。彼らは長らく、言葉による対抗と、ゆるい組織化と、思想の啓蒙で自分たちの役目を済ませた気になっていた。日本では武装蜂起など無理だ。だから回り道をするしかない。志門もそう言ってきた。実際それは嘘ではない。だが、回り道しかないことと、回り道の先を考えなくていいことは別だった。
「蜂起の予定はない」
志門は言った。
「予定表の社会を批判する組織が、予定を持たないのは面白いな」
「皮肉を言うために来たの?」
「違う。実務の話をしに来た」
男は名をジュリアス・イーデンと名乗った。年齢は志門より少し上。アメリカ支部というにはまだ小さすぎる集まりを束ねているらしかった。彼の話し方には、活動家特有の陶酔がなかった。その代わり、危険なほど実務的だった。
「革命ってのは、スローガンの尖り方じゃない。どれだけ日常の機能を別の回路へ引き受けられるかだ。食料、薬、通信、記録、逃走、法的支援、病院、街区。国家が持ってるものを一つずつ横取りしていく。その総和が革命だ」
誰かが反発した。
「そんなのアメリカだから言える」
「違う。アメリカだから先に腐るだけだ。そっちは遅れて同じ穴へ落ちる」
その言い方が、室内の空気を少し変えた。乱暴だが、妙に真面目だった。志門は不愉快だった。不愉快だったが、その不愉快さの何割かは、自分が薄々同じことを考えていたせいでもあった。
最終インターの中で、アメリカ側の存在感はその頃から少しずつ大きくなっていく。彼らは日本支部ほど、言葉の綺麗さにこだわらなかった。労働相談がどうとか、表現の精度がどうとか、思想史的にどうとか、そういう話を軽蔑しているわけではない。ただ、それだけで足りるとは全く思っていなかった。国家は口喧嘩では倒れない。制度は炎上では折れない。そういう当然のことを、当然のまま言える連中だった。
だから危険だった。
現代の若者は、極端な思想よりも、極端に現実的な人間に惹かれる。
一方、その頃、衛村真木は祈り方を忘れかけていた。
彼女は出版社に勤める二十六歳の女で、敬虔なキリスト教徒だった。少なくとも、そういうつもりで長く生きてきた。日曜には礼拝へ行き、食前に祈り、聖句を覚え、困っている人間を見たら何かしら手を貸す。それが自分の生き方の形式だと思っていたし、その形式が世界の汚さに対する最低限の抵抗になると信じていた。
最終インターナショナルに最初から深く共感していたわけではない。むしろ逆で、彼女はそこへ「紛れ込んだ」というほうが近かった。怒っている若者たちがいる。既存の政党や社会運動では掬われない層がいる。ならば、その場所にキリスト教社会主義的な倫理を持ち込めないか。せめて彼らの憎悪が完全な腐敗へ落ちる前に、どこかで踏みとどまらせられないか。そんな程度の、やや傲慢な善意だった。
だが、十一月の群発攻撃以後、その善意は少しずつ軋み始めた。
編集部には、相変わらず綺麗な言葉があふれていた。危機の時代に心を守る方法。分断を煽らないための対話。傷ついた社会に必要なのは共感です。祈りとケアの共同体。そういう原稿が、ちゃんとした活字になって並ぶ。書いている人間も、たぶん本気なのだろう。だからこそ、余計に気持ちが悪かった。
真木はある日、校正紙の上に赤字を入れながら、ふと手を止めた。
この文章は、いったい何を遅らせるのだろう。
停電を止めるか。
失業を止めるか。
自殺を止めるか。
暴力を止めるか。
神の不在を埋めるか。
何一つ止めない。
止めないまま、人を穏当にさせる。
その穏当さが、ひどく腹立たしかった。
教会でも似たような感覚があった。牧師は、世界が乱れているときこそ祈りが必要だと言う。年配の信者たちは、試練の中にある人々へ手を差し伸べましょうと言う。間違ってはいない。言っていること自体は何一つ間違っていない。だが、正しい言葉が正しい順番で並べられているとき、人は逆に、その背後の無力を見てしまうことがある。
真木は、昔なら慰めだったはずの聖句の中に、最近は別のものを聞くようになっていた。救いではなく、遅延。赦しではなく、先送り。忍耐ではなく、現実への降伏。信仰というものが、神の側へ近づくための梯子ではなく、ひたすら自分を静かにさせるための装置に思え始めたとき、彼女ははじめて、自分がかなり危ない場所に来ていることを理解した。
それでも彼女はまだ神を捨ててはいなかった。捨てるほど強くもなかった。ただ、神が自分たちを救うという考えが、少しずつ現実味を失っていく。もっと嫌な言い方をすれば、神はいるかもしれないが、間に合わない、と思い始めていた。
その「間に合わなさ」が、彼女を最終インターへもう一歩だけ押し込んだ。
真木は以後、サーバー内で翻訳と校正の役割を引き受けるようになった。英語の声明文を整え、海外から来る荒い文章を日本語へ移し替え、ビラの語感を直し、露骨すぎる憎悪表現をぎりぎり公に出せる程度まで加工する。実務だった。しかも地味な実務である。だが地味な実務ほど、人を深く巻き込む。街頭で拳を振り上げるより先に、深夜のデスクで原稿の言い回しを直しているうちに、人は気づけば自分の持ち場を失う。
彼女はその変化を自覚していた。
私は奉仕しているのではない。
加担している。
だが、その認識は彼女を止めなかった。むしろ少し楽にした。善意の仮面を被ったまま汚れていくほうが、よほど気持ち悪かったからだ。
国内での拡大は、派手なものではなかった。
札幌では、大学院をやめた男が、配達員たちの休憩チャットを使って生活相談の窓口を作った。仙台では、県庁の非正規職員が、福祉申請の通し方を匿名で共有し始めた。東京では、広告代理店を辞めた女が、動画編集の技術で短い政治的切り抜きを量産した。名古屋では、物流会社の夜勤が、倉庫の動線と欠品情報を雑談の形で流した。大阪では、劇団崩れの男が、笑い話の体裁で社会保障の穴を語った。福岡では、看護助手の女が、夜勤中にだけ開くチャットで「死なないための連絡先一覧」を回した。
どれも革命らしくない。
だからこそ厄介だった。
国家はたいてい、派手な反逆を想定している。爆弾。銃。デモ。占拠。燃える車。そういう分かりやすい象徴を探す。だが、最終インターナショナルがその頃やっていたのは、もっとぬるく、もっと長持ちする浸潤だった。人を一気に立ち上がらせるのではない。明日会社に行く気を少しだけ削る。学校や職場や家庭が正当なものだという感覚を、一ミリずつ腐らせる。制度を信じる筋肉を、静かに弱らせる。革命前夜という言葉は、普通、街頭の熱を連想させる。だが実際には、前夜とはこういうものかもしれなかった。何も起きていないように見える日々の底で、帰属だけがゆっくり死んでいく。
志門は、その変化を見ながら、自分たちの組織が初期の想定から離れていくのを感じていた。愚痴の共同体ではなくなりつつある。かといって、まだ前衛党でもない。武装組織でもない。慈善団体でも、労組でも、宗教でもない。何者でもないからこそ、あらゆる不満の受け皿になれる。彼女はそのことに、手応えと、薄い恐怖の両方を覚えていた。
組織は大きくなるほど、創設者の人格から離れていく。
それは成功であると同時に、敗北でもある。
最終インターは、もう志門一人の悪口の延長ではなかった。
海外から別の言葉が入り、国内では別の必要に応じて形を変え、信仰を持つ者、無神論者、生活困窮者、知識人、実務屋、怒っているだけの若者、飽きて抜ける者、途中から急に真剣になる者、そういう雑多な人間を抱え込みながら、少しずつ広がっていた。
地下水脈に似ていた。
地上では見えない。
だが、見えないからこそ、どこへでも回る。
その頃、同じ国の別の場所では、古国良平たちが、放送、通信、電力、交通、警察中枢をどう押さえるかについて静かに議論していた。彼らは国家を上から奪おうとしていた。最終インターの若者たちは、国家の下で人間の帰属を腐らせようとしていた。方向は違う。理念も違う。階級も違う。年齢も、作法も、夢の見方も違う。
だが、共通していたものが一つだけある。
誰も、この国がこのまま続くとは、もう本気では思っていなかったのである。




