散々な一日の終わり
こっそりと抜け出して、こっそりと学校の寮部屋に戻り、購入したものを備え付けの冷蔵庫に入れて、再び制服に着替える。
寮の規則で、休校日以外の日は基本的に制服着用が義務付けられている。今日は平日なので、制服を着ていないと寮監から言われる日だ。抜け出した時には着替えたけどね。
着替えた理由は学生寮の一階の食堂に用があるからだ。
学生寮の食堂には、ティーポット単位でお茶やコーヒーが淹れられるコーナーが存在する。
そこで淹れられるコーヒーは機械を使用しているが、その都度、豆を挽いてから淹れる事が可能だ。コーヒー豆もそれなりに良いものを使用している。故に、コンビニでコーヒーを買うのは勿体無い。色んな意味で。
ティーポットとカップは一階にある備え付けのものしか使用出来ない。だが、逆を言うと、空のポットを用意する手間が省ける。
手ぶらで一階の食堂に向かうと、厨房のカウンター前で真顔で顔を突き合わせている複数の生徒と一人の女性教師がいた。全員、自分と同じく簡易検査を受けたもの達だ。
自分は知らん顔をしてコーヒーが入れられるコーナーへ向かう。
「ん? ……あ! 坂月! 丁度良いところに!」
「やりませんよ」
自分が食堂に入った事に気づいた女性教師の声をスパッと切り捨てた。今にも自分に懇願しそうな顔だったので、スパッと切り捨てた。
「まだ何も言っていないわよ!!」「坂月さんにも関係のある事よ!」
女性教師と女子生徒がほぼ同時に叫んだ。他の生徒も力強く頷いて同意を示した。けれど、複数の生徒と教師がと厨房の前で話し合っていた以上、確実に料理関係する話題の筈だ。違っていたら自分が驚く。
「出来ないから出来る人に全部丸投げしようとか、そんな内容でないのならば、話は聞きますよ」
『う゛っ!?』
言い返したら全員が一斉に呻いた。図星か。
「……とりあえず、話だけでも聞いて」
「話を聞くだけで良いのならば、聞きますよ」
女性教師は項垂れた。周辺の生徒は肩を落とした。
そんな彼らを見て、自分は予想が当たっていた事を確信した。
黙り込んだ彼らに『話す事が無いのなら部屋に戻る』と告げたら、大慌てで自分に『目下最大の危機(?)』について語り始めた。
「お米が炊いてあるのならば、おにぎりを作れば良いじゃないですか? 近くのコンビニかスーパーに行けば、ふりかけや具材は買えますよ。騒ぐような事ではないでしょう……」
目下最大の危機(?)とは、聞いて呆れる事に、夕食の事だった。
高等部の学生寮は『高等部の敷地内』に建っている。つまり、昼に展開された結界の範囲内に学生寮も入っていた。結界内に学生寮があったと言う事は、『寮母や厨房の料理人の人達』にも影響が出た。
結界が展開されると同時に、寮母や厨房の料理人もまた影響を受けた。全員、病院に搬送されたので、学生寮内にはいない。いないにも拘らず、お米が焚いてあるのは、炊飯器の予約炊飯機能のお陰だ。
目下最大の危機(?)の内容は解っただろうか?
簡単に言うとね『食事が作れる人がいない』のよ。マジで聞いて呆れたわ。
「坂月さん。おにぎりを作れと簡単に言うけどね。不器用な人は三角形のおにぎりすら作れないのよ」
「別に三角形である必要は無いですよね? 一口におにぎりと言っても、丸型や俵型の他に『おにぎらず』と言う『海苔で包んだ』ようなものまであるんですよ? 三角形にこだわる理由って何ですか?」
「……無いわね」
女性教師は呻くように『こだわりは無い』と受け取れる発言をした。
「大体、わざわざ握らなくても、茶碗を二つ使えばそれっぽいものは作れます。今はおにぎりメーカーが百円ショップとかで販売されているんです。炊いたご飯を敷き詰めるだけでおにぎりが量産出来る、そう言う便利な料理グッズを使えば良いじゃないですか?」
「……知らなかったわ」
女性教師は膝を崩した。そのまま床の上で四つん這いになった女性教師を、周辺の生徒が慰める。
何とも言えない光景だ。イイ歳をした大人が『夕飯作ってくれる人がいないの!! どうしよう!?』と騒いで子供に泣き付いたのだ。もう『コンビニに行けよ』としか言えん。
気を取り直して、コーヒーを淹れに行こうとしたが、女性教師を慰めていた同じ一年生の女子生徒の一人が立ち上がり自分に向き直った。
「ねぇ、坂月さん。夕食の事は何も思っていないの?」
「何を思えと? そもそも、私一人で全員分の料理を作る事は不可能よ。まさか、本気で私一人で百数十人分以上の料理を作らせるつもりだったの? 人手が足りないから不可能ね」
「は? 百数十人って、そんなに作る必要は無いでしょ?」
自分の回答を聞いた女子生徒は目を白黒させた。駄目だわこいつ、大事な事を忘れている。
「忘れているようだけど、大会に出場した運動部の生徒って、今日はもう帰って来ないんだっけ?」
「……あ」
忘れていた運動部の面々の事を思い出して、女子生徒は呆けた顔になった。
「運動部の男子生徒は一人で三人前ぐらいは余裕で食べるのよ。女子生徒でも一人で二人前近くは食べる。仮に、大会に出場した生徒が昼間の事を考えて今日は戻って来ないとしても、運動部の生徒は沢山残っているわよね? もしかして、忘れたの?」
「え!? あの、でも! 月に一度の異種格闘技戦の時に、料理部が差し入れを作るでしょう?」
「それは料理部全体で三日以上も前から準備しているの。料理部に所属している生徒の人数は四十三人よ。その四十三人で、三日以上の日数を掛けて準備するの。その意味は解る?」
月に一度の異種格闘技戦で料理部は差し入れを作る事になっている。これは校長からの正式な依頼で、部活動として認められている。部活動として認められているので、材料費は学校持ちだ。そうでなければ、退部を検討したかもしれない。
女子生徒は差し入れの裏側を知り、顔を引き攣らせた。また聞きしている生徒の顔も引き攣る。
「そ、そんなに時間が掛かっていたの?」
「そうよ。だから、無理と言ったの」
「し、汁物は……」
「インスタント食品が販売されているわよ。それよりも、そんなに手料理が食べたいのなら、校長に相談して、出前かデリバリーを頼めば良いじゃない」
『あ』
異口同音に呆けた声が上がった。炊いてあるお米の前に、最終手段の存在を忘れていた模様。
こっちは料理、料理と言われると、延期になったデザートが食べられなくなった事を思い出して憂鬱になる。
大事な事だよ。顧問から、『イタリアン料理を中心に様々な料理が学べる』って聞いたから、料理部に入ったのだ。実際に、料理人か料理研究家になった卒業生が、たまに特別講師として来てくれる。
卒業生とは言え、部活動の一環としてプロから直接指導を受けられるのだ。こんな贅沢は滅多に無いわ。
その贅沢が昼の騒動で無くなった。
これはもう、コンビニスイーツを自棄食いするしかない。
呆けたまま何も言わなくなった女子生徒一行を放置して、今度こそコーヒーを淹れようとしたが、荒々しい足音が聞こえて来た。
今度は何かと思えば、男子柔道部元部長で元生徒会長だった男子生徒を先頭に、大会に出場していた柔道部員が食堂内に駆け込んで来た。柔道部元部長の登場に、背後から小さな黄色い声が聞こえた。
「男子柔道部! 只今学校に帰還した! 他の大会に出場していた部活も今日中に戻る! 校長からの指示により、元生徒会長として指揮を取る事になった。生徒間の相談事は俺に相談してくれ」
低くよく通る声で、柔道部元部長はそう言ってから、自分とその背後を視界に収めて尋ねて来た。
「坂月、状況を説明してくれないか?」
名指しされてしまった以上、これは答えるしかない。
……買って来たコンビニスイーツを食べるのは夕食後になりそう。
内心で嘆息してから、自分は柔道部元部長に状況の説明を行った。
「――状況は理解した。確かに坂月一人では作れる量に限度がある。大至急校長と相談するが、坂月は夕食をどうするつもりだったんだ?」
「適当に丼ものか何かを作ります。その前に厨房内のものを使用して良いかどうか、確認する必要が有ります」
「分かった。それについても校長に相談するついでに聞いておく」
校長の許へ行く気なのか、柔道部元部長はクルリと自分に背を向けようとして、何故か中止した。
「言い忘れていたが、サバゲー会が丸ごと無事だった」
「………………ありましたね、そんな同好会」
柔道部元部長から、存在そのものを忘れていた同好会の面々が無事だと教えられて、同時にこの人物の言いたい事に気づいた自分は思わずため息を零してしまった。
サバイバルゲーム同好会。通称サバゲー会。
所属しているメンバー二十二名(内二年生は十名)は全員男子だが、こいつらは活動の一種として夏休みに顧問(大熊先生が兼任している)と一緒に、無人島に行くような荷物を手に二泊三日のキャンプに出掛けている。
二泊三日なので、当然だが泊まり掛けだ。そして食事は全員で作る。
つまりこいつらは、料理が出来る奴らだった。
得意料理はサバイバル料理に限定されるけど、料理は出来るので現状では戦力になるだろう。
思わぬ伏兵の存在を知り、何だか頭が痛くなって来た。
「坂月はここにいてくれ。もしかしたら、指示役を頼むかもしれない」
「は?」
「十分で戻る。ここで待っていろよ!」
柔道部元部長は自分に念を押してから走り去った。
十分で戻るからここにいろ。その言葉の意味は……全員分の夕食を作らせる気なのだろう。
無視しても良いが、監視役として男子柔道部所属のクラスメイトが残っている。心配そうな顔をしているから、このクラスメイトの男子は自分に聞きたい事が有るんだろうね。
自分としては、コーヒーを淹れに食堂に来ただけなのに、どうしてこうなった?
無事で良かったの言葉から始まり、あれこれと色々と聞いて来るクラスメイトに適当に返答しながら、柔道部元部長が戻って来るのを待った。
そして十分後。
柔道部元部長は大熊先生とサバゲー会の面々を連れて戻って来た。
「この状況で言う事ではないが、よもや坂月のカレーが食べられるとは思ってもいなかったな」
「阿呆な事を言っていないで、速くジャガイモの皮を剥いてくれません?」
「済まん。五大不良部の連中が『美味かった』と自慢していたんだぞ」
「そうですか。ここの班が一番遅れているんですから、急いで下さい。芽取りまでやって下さいよ」
「それは一般常識だな」
サバゲー会の所属する三年生の男子生徒からすると、ジャガイモの下処理は一般常識に含まれるらしい。
さっき厨房から追い出した女子生徒は洗って土を落としたジャガイモの皮を剥かず、ジャガイモの芽を取らずに、カットしようとした。
ちなみに、手伝いを立候補した女子生徒はこの生徒で最後だ。
玉ねぎは目に染みるから嫌とか、人参は硬すぎて切れないなどと、『手伝う』と立候補した女子生徒達がこんな我が儘を言ったのでジャガイモの担当にしたのだが……結果はこのザマである。
「芽取り? 何それ? え? 取らないと駄目なの? 加熱でどうにかならない?」
こんな暴言を吐いたので、女子生徒には戦力外通告を出して厨房から出て行って貰った。あの分だと、灰汁取りをお願いしても『どうやるの?』と首を傾げて、『灰汁なんか取らなくても死にはしないでしょ』とか言い出しかねない。
自分を含めた厨房内にいる十九人(自分以外は全員男)の総意として、件の女子生徒には厨房から出て行って貰った。流石にね、野菜の切り方を知らず、包丁を使った経験は無く、ピーラーすら使えず、電子レンジの使い方すら危ういのでは、戦力にならん。小中学校の家庭科の授業で何を学んだのか聞きたくなったわ。
サバゲー会と自分だけでは人手が足りなく、応援を要請して手伝って貰っている側としては苦渋の決断に当たるが、『食の安全を確保する為』に大熊先生が女性生徒の強制退出を命じ、厨房内にいる生徒は同意した。
流石に似たような女子生徒が十数人もいても、全く役に立たない。それどころか、男子に無駄に話掛けるので邪魔だ。
女子生徒達からは文句を言われたが、基礎中の基礎を知らず、喋るだけで作業をしない――と言うか出来ない――事を理由に出て行って貰った。
そんな一悶着があり、厨房内にいるのは、自分と大熊先生にサバゲー会の十二人以外に、簡単な調理は出来ると手伝いを申し出た五大不良部の元部長五名の、合計十九人だ。
「坂月、玉ねぎと人参のカットが終わったぞ」
「オリーブオイルを入れた三つの大鍋に分けて炒めて下さい。塩は一つの大鍋につき一つまみ三回分です。玉ねぎが半透明になったら、水を鍋の八割程度入れて下さい」
玉ねぎと人参の皮剥きとカットをお願いした班から、作業終了の知らせが届いた。次の作業をお願いする。
「? 坂月、面取りはしないのか?」
「完成時刻が遅くなっても良いのなら、個人でやっても良いですよ」
大熊先生から質問が飛んで来たが、『やりたいのならどうぞ』と適当に回答した。
面取りとは、野菜(主に根菜)の角の先を切り落とす作業の事だ。これはカットした野菜一つ一つに行うので、非常に時間が掛かる。煮崩れを防ぐ為には必要なんだよね。
煮崩れは『煮込んでいる時に野菜と野菜が動いてぶつかって起きる』現象なので、野菜が動かないようにすれば、ある程度は防げる。
テレビか何かで知ったのだが、煮物を作る時に行う面取りは、見栄えと味が染み込みやすくする為に行う。
煮物を作る際に行う野菜の飾り切りや切込みにも意味がある。あれは火の通りをよくする以外にも、野菜が煮汁に接する表面積を増やす為に行うのだ。煮汁と接する表面積が広い程、味が染み込みやすくなる。
「……今日は不要だな。手隙は芋の皮剥きを手伝え」
『はーい』
面取りの手間を考えたのか、あるいは食事開始の時刻を考えてか、大熊先生は引き下がった。
何を作っているのか判るだろうか?
カレーである。しかも二百人分だ。香辛料各種が良い感じに揃っていたので、『カレーが作れそう』と呟いたら、サバゲー会の面々の強い希望でカレーを作る事になった。
だが、自分が作るカレーは、甘口に分類される。そこで、大鍋を二つ使い、甘口と辛口を作る事にした。中辛? 個人で甘口と辛口を混ぜて作って貰う事にした。
だが、大鍋二つで足りるのか心配になったので、クリームシチューも作る事にした。
大鍋で野菜を煮るので、カレーの豚肉は別で焼いて後乗せにする。クリームシチューの鶏肉も焼いてから適当にカットし、鍋に投入する。
変則的なやり方だが、大至急、百人分以上を作る都合上こうする事にした。
少々小振りなジャガイモの皮をキッチンナイフで剥き、芽を取ったら一口よりも少し大きめにカット。カットしたジャガイモは水を張ったボウルに入れる。変色を防ぐ為だ。
玉ねぎがが炒め終わった頃になって、漸くジャガイモの下処理が終わった。
ジャガイモは煮崩れしやすいので、人参がちょっと硬いかなぐらいの頃に入れる。ジャガイモは玉ねぎや人参と一緒に炒めた方が煮崩れしないって話を聞くが、今日はやらない。つか出来ん。皮剥きとカットだけで、既に大分時間を取られているのだ。入れるタイミングをずらすしかない。
大鍋に水が投入された。大鍋の様子見をする男子生徒――交代制で、他の手隙の男子生徒と大熊先生は包丁やまな板を洗っている――に水が沸騰し、灰汁が出て来たら、今度は灰汁取りをお願いして、自分は冷蔵庫から使用する豚と鶏の肉を取り出した。
肉は少し凍っているぐらいが一番切りやすい。でも、肉は冷凍保存されていたので、使用する分だけ冷蔵庫に移した。邪魔にならないし、退出して貰った十数名の女子生徒が無断で何かをする事を防げて一石二鳥だ。
大量にある鶏むね肉一枚を厚さが均一に一センチになるように切り開く。この切り方は観音開きだったかな? そんな感じの切り方だ。大量の鶏むね肉に対して全て同じ切り方をする。面倒だから皮は取らない。皮はカリカリになるまで焼けばいい。鶏肉に小麦粉と幾つかのハーブをまぶして焼くまで放置する。
鶏肉が終わったら、次は豚肉だ。豚肉はブロックのものを使う。豚肉をトンカツを作る大きさで厚さ一センチに切り分ける。
豚肉も鶏肉も焼いてからカットするが、塩だけは軽くまぶした。コショウは最後にしないと焦げて苦みの元になってしまう。コショウは塩と一緒に最初に振り掛けてしまいがちだが、本当は最後が良いんだよね。
肉の下処理を終え、包丁とまな板を洗い、ついでに手を洗う。次は複数の香辛料とコンソメキューブを手に大鍋に近づく。
大鍋の様子見をしていた男子生徒に話し掛けると、出て来る灰汁が少なくなったと教えられた。大鍋を見ると、お湯もそこそこ減っていたが、水を追加する程ではない。
人参の硬さを確認してから、ジャガイモを三つの大鍋に投入し、コンソメキューブを投入。味を確認して、ジャガイモが煮えるまでに、クリームシチューに必要なベシャメルソースを作る。
ベシャメルソースはホワイトソースの一種だけど、詳しい説明は時間が無いので割愛する。
火に掛けた鍋の中で融かしたバターに、小麦粉を入れて木べらで混ぜペースト状になったら炒める。ある程度炒めたら、火を弱めて牛乳を少しずつ入れてペーストを伸ばす。
牛乳を全部入れたら、木べらから泡だて器に持ち替えて混ぜる。滑らかになったら塩を少々いれて味を確認。小鍋を持って、クリームシチュー用の大鍋からお玉数三杯分取り分ける。取り分けた分を滑らかになったベシャメルソースに入れて混ぜ、これでクリームシチューに使う分は完成だ。
ジャガイモの煮え具合を確認してから、カレーの大鍋には香辛料各種を味見しながら投入し、水で溶いた小麦粉でとろみをつける。クリームシチューの大鍋にはベシャメルソースとローリの葉を三枚に、粉チーズを投入し、弱火で煮込む。
辛口用のカレーには、辛み成分となるカイエンペッパーを投入した。大熊先生とじゃんけんで勝ち上がった三名に、辛さの確認をして貰った。
ジャガイモが完全に煮えるまでに、大至急肉を焼く。
男子生徒の手を借りてフライパンで肉を焼き、一口大にカットする。豚肉は縦にカットするだけで良いが、鶏肉は一口大に切らねばならない。
焼いてカットした鶏肉をクリームシチューに投入して、更に煮込む。
カレー用の豚肉はカツカレーのように載せるので、カットするだけで良い。
これで、三つの大鍋のジャガイモが煮えたら、料理は完成だが、作業の終わりではない。
手分けして必要な食器をカウンターに用意して、食堂のテーブルを布巾で軽く拭く。使用した調理器具を洗う事も忘れない。
厨房から出て行って貰った女子生徒達は、皆不貞腐れたような顔をして部屋に帰ってしまったのでいない。残っている面々で行った。
全ての作業を終えたら、二十時になっていた。マジで白米に合う料理を出前かデリバリーで頼んだ方が早かったんじゃないかと思ってしまう。
校長は、何を思って生徒に夕食を作らせようと思ったんだか。マジで疲れたわ。
大熊先生が寮内放送で夕食が出来た事を学生達に知らせた。すると学生以外に教師もやって来た。夕食どうしようと騒いでいた一行の女性教師が一番手だった。
料理の盛り付けは個人で行う。皿洗いは食洗機に任せれば良い。だから、配膳担当は必要ない――筈だった。
生徒と教師は皆空腹だったのか、我先にと食堂に駆け込んで来て、順番で揉め始めた。元生徒会長が声を張り上げるも、効果は無かった。
そんな生徒と教師の姿を見て、呆れた大熊先生が一喝して黙らせた結果、急遽、料理を取り分ける配膳担当が必要になった。
誰が配膳を担当したかって? 大熊先生と、名指しで自分だったわ。
そして、二十二時。
食堂にて、自分は大熊先生と二人で『豚の生姜焼き丼』を食べていた。他には誰もいない。
「はぁ~……今日は厄日ですね」
「坂月、済まなかったな」
自分の呟きは食堂に空しく響いた。
二百人分のカレーとクリームシチューは、生徒と教師とちゃっかりいた校長の胃に全て収まった。
尋常じゃない白米の減り方を見た自分は嫌な予感がしたので、急遽、炊飯器でお米を追加で炊く事にした。
予感は的中し、カレーとクリームシチューを自分と大熊先生が口にする事は無かった。
現在食べている豚の生姜焼き丼は、急遽作ったものである。
「それにしても、坂月は昼休みの一件について何も聞いて来ないな」
「火の粉が降り掛かるのならば払いますが、私は静かに平穏に生きると決めているんです」
降り掛かる火の粉を払うのは当然の事だ。だが、
「そうか。現状では坂月が最大戦力になるんだがな」
「知りませんよ。私の都合を一切無視して、都合良く利用される未来しか見えません」
そう言うと、大熊先生の眉間に皺が寄った。だって、現状がそうなのだ。自分はコーヒーを淹れに食堂を訪れただけで、部屋に戻れず、この有様なのだ。購入したコンビニスイーツは寮部屋備え付けの冷蔵庫に入れてあるから問題は無い。
空になった三つの大鍋を見た柔道部元部長はギョッとしてから自分に謝った。
厨房で戦力外通告を受けた十数人の女子生徒達は、空になった大鍋の前に立つ自分を見て『いい気味ね』と嗤っていた。その直後、五大不良部の元部長男子五名に睨まれて、慌てて逃げた。
罪悪感を抱いたのか、五人は片付けの手伝いを申し出てくれた。
豚の生姜焼き丼を食べ終えた自分は席を立つ前に、大熊先生に釘を差す事にした。
「明日からは他人の分の食事は作りませんよ」
「それに関しては大丈夫だ。やらなくていい。校長が中等部の校長と調理人達と交渉して、時間をずらす形でこっちでも作ってくれる事になった。ただ、食材の下拵えをする時間がないから、自炊出来るものは可能な限り自炊して貰う」
「電子レンジの使い方すら危うい生徒がいたのに、自炊出来る生徒がいるんですか?」
カレーとクリームシチューを作っていた時の一幕を思い出してしまい、口から嫌味に似た疑問が出た。
「サバイバルゲーム同好会の面々には、自炊するように言っておいた。坂月も自炊するんだろう? 自炊する場合は朝の五時半から厨房の利用が可能となる。厨房内の食材と調味料は好きに使って良い。自炊しない生徒と教職員の食堂利用可能時間は八時半以降となる」
「大分遅いですが、我慢出来るんですか?」
「幼稚園児じゃないんだ。そこは我慢させる」
夕食が始まる前の騒動を思い出したのか、大熊先生の物言いは辛辣だった。
多分だけど、食堂に最初にやって来たのが教師だから、物言いがキツイんだろう。校長も騒ぎの収拾に動かなかったもんね。
移動の為に食器を手にしたところで、ふと、一つの疑問が湧いて来た。大熊先生は色々知っているようだから、この際だから聞こう。
「大熊先生。休校期間中の校外外出は申請制ですか?」
「基本的には前日申請制だが、……坂月は明日外出するのか?」
「はい。ちょっとストレスの発散をして来ます」
今日は散々だったのだ。明日どこかに食べに行かないと、ストレスがどこかで爆発しそうだ。
「寮の門限はこれまでと同じですよね? 午前中に外出するので、昼食と夕食も外で食べて来ます」
「待て。施設の説明をせねばならん。明日は午後三時頃に戻って来い」
「説明を受けるような施設なんて無いと思いますけど」
入学時の記憶を探り、高等部の敷地内の施設について思い出すが、今になって改めて利用説明を受けるような施設に心当たりは無い。
「正門前で合流した時、私がどこにいるか言ったが、覚えているか?」
「……そう言えば、地下にいたとか言っていましたね」
大熊先生から指摘を受けて自分は思い出した。
正門で合流した面々は『地下を捜索した』と言っていた。
何故、一介の学校に地下施設が存在するのか。それ以前に、校長を始めとした正門で合流した面々の素性を聞くべきなんだろうけど、聞いたら面倒事に巻き込まれると直感が警報を鳴らしている。
興味本位で聞いてはならない。好奇心は猫をも殺すのだ。触らぬ神に祟りなしとも言うのだ。
首を突っ込んだら最後、自分の都合などお構いなしに巻き込まれる未来しか見えない!
「坂月が地下施設を利用するかは不明だが、登録と説明を受けておいて損は無いぞ」
「登録が必要なんですか?」
「そうだ。明日、宇賀神にも説明をするんだ」
大熊先生の口から前世駄目騎士の名を聞き、余りの駄目っぷりを思い出してげんなりした。
「二人纏めて説明した方がこちらの手間も減る。こちらの都合で悪いが、明日は午後三時までに第一武道場に来い」
「……第一武道場、ですか?」
武道場とは、格闘技系の運動部が利用する施設の事を指す。レオーネ学校には複数の格闘技系の部活が存在するので、十棟の武道場が存在する。武道場は体育館並みに広く、複数の部室も存在する。
第一武道場は主に剣道部が利用している武道場だ。
「流石に明日は部活も休みだから、剣道部員と鉢合わせる事は無い」
「そうですか」
自分は少し考えた。
大熊先生から地下施設の説明を受けたら、何かに巻き込まれそうだ。大熊先生の表情を見るに、拒んでも良さそうに思える。
でも大熊先生は、自分が施設を利用しない事を考えた上で説明すると言った。
校長と比べて、かなり自分についても考えてくれている。
それ以前に、拒んだら明日の外出許可が下り無さそうだ。
己の中で損得を考えて、説明だけは受ける事にした。登録は説明を受けた上で考えると、大熊先生に念を押す事も忘れない。
大熊先生は『説明を受けるのならばそれで良い』と言ってくれたので、登録の無理強いはされないだろう。
大熊先生から明日外出する許可を貰い、自分は今度こそ使用した食器を片付けに席を立った。
食堂から出て行く際、ずっと出来なかったコーヒーを淹れる事も忘れない。
ティーポットとカップを手に、自分は個室に戻った。
時間は遅いが、部屋に戻り次第、買って来たコンビニスイーツを食べた。
散々な一日はこうして終わった。




