六 水辺の大捕り物 ②
「それじゃまず姐さん、あんたの売り物からだ」
大柄な男がお延の肩を抱き寄せながら促す。
櫻花は無言で頷くと、膝の前においたさいころ型の葛籠の蓋をあけ、中でカサカサやっている子兎の首の皮を掴んで慎重につまみ出した。
「ほほう」
麻の着流しの若旦那風の男が気取った声をあげ、ずいと膝を進めて子兎を注視する。
「いい白だ。耳だけ黒の斑か」
「かけ合わせれば黒更紗になるかもしれねえな」と、顔に傷のある渡世人風の中年男が顎に手を当てて頷き、櫻花に鋭い目つきを向けてくる。「姐さん、こいつの出所は?」
櫻花は一瞬迷ってから、限りなく事実に近い来歴を話すことにした。
「駿河台の田宮という唐物商の妾宅からだ」
「はあああの田宮寅吉の」と、渡世人風の男が頷き、少々気がかりそうに眉を顰める。「彼奴の妾の子兎を盗ったとなると色々面倒かもしれねえぞ? ありゃ気の荒い男だ」
「案ずるな。田宮の若い妾は粗忽で始終兎を逃がしている。盗まれたということさえ気づいていないだろう」
その気になれば嘘をつける櫻花は心にもないことをつるつると説明した。
実際のところ、櫻花の膝の上で無心にオオバコの葉を食っている子兎は、実は結構しっかり者だった若い妾のお駒に借り賃五円を払って貸してもらった大事な預かり物である。
五円といえば薄給の三等邏卒の月給に等しい。
櫻花としてはこの兎だけは何としても無傷で守り通したかった。
「そういう出所なら、まあ問題はないかね」
若旦那風の男が頷き、またも櫻花に訊ねる。「いくら欲しいんだ?」
櫻花は一瞬考えてから答えた。
「五十円」
途端、お延がハッと喉を鳴らして嗤う。
「姐さん、素人があんまり欲張っちゃいけないよ。そいつはどう見ても三円ってところだ。殆どただの白兎なんだから」
「しかし耳は斑だ」
「耳だけな」と、大柄な男が呆れたように鼻で笑い、
「おい車屋、お前の売り物を見せてやれや」
と、ぞんざいな口調で促した。
「へ、へえ」
人力車夫風の若者がびくりとして応え、微かに震える手で膝の前の篭の蓋をあける。
そして両手でそろそろと中の生き物を抱き上げた。
「ほ――う」
若旦那風の男が感嘆のため息を漏らす。
若者の手が抱き上げているのは白地にびっしりと細かな黒い斑の散った大きな兎だった。
「黒更紗か」
「見事なものでござんしょ?」
お延が自分の兎みたいに得意がる。
もう誰も櫻花の殆ど単なる白兎には目もくれていない。
「――こいつの出所は?」
渡世人風の男が訊ねる。
若者はごくりと息を呑むと、聞き取りにくいほどの小声で囁いた。
「品川です」
大当たりだ――と、櫻花は内心で快哉を叫んだ。
先だって藤七郎が話していた品川の老芸妓が殺されて黒更紗がいなくなった事件はまだ解決していないという。
目の前にいるこの黒更紗が、十中八九、その老芸妓に飼われていた兎なのだろう。
となれば藤七郎に手柄を二つ立てさせてやれる。
そう思うと胸が弾んだ。
時代が変わってもまっすぐに自らの職責を果たそうとする前向きな若者が櫻花には眩しかった。弟か甥にでも抱くような保護者めいた好意を感じている。
「車屋さん、あんたは幾ら欲しいんだい?」
若旦那風の男が妙に物柔らかな口調で訊ねる。
若者が目を泳がせて口ごもったときだった。
不意にその腕に抱えられた黒更紗がじたばたと暴れだした。
「ど、どうしたんだ?」
櫻花の抱える子兎も同様に耳をピンと立て、今にも膝から降りて駆けだしそうな様子で足踏みを繰り返している。
実はもう一人隅っこのほうにいた老女の携える籠の中からも、兎が忙しなく足踏みをするトントンという音が響き始める。
「なんだい? 何が起こっているんだい?」
若旦那風の男が怯えたように腰を浮かせる。
櫻花は子兎を葛籠に戻しながら、わざと怯えたような震え声を作って囁いた。
「狐だ。狐が近くにいる」




