六 水辺の大捕り物 ①
さて、おおよそ半月後である。
はじめの狐火騒動から数えればちょうど一月後の水無月六日《*グレゴリオ暦7月11日》の宵五つ《*午後8時》過ぎ、櫻花は濃紫の御高祖頭巾をすっぽりかぶって顔を隠し、腕にさいころ型の竹細工の葛籠を抱えて、内藤新宿上町の飯盛り旅籠、扇屋の裏口から路地へ出て密かに表通りへと向かっていた。
前を行く提灯の持ち手は、狐ではなく、黒い半襟をかけた粋な鼠色の縞物で装った垢ぬけた年増女――扇屋の女将のお延である。こちらは大胆にも顔を隠さず、手に燈を携えて堂々と歩いている。
櫻花の抱える葛籠の中からは常にカサカサと微かな音がしている。
中に収まる生き物が事前にたっぷりと入れてやったオオバコの葉を食べているのだろう。
「姐さん、生憎だけど、その子兎はそんなに高くは売れないと思うよ」
前を歩くお延が妙に甘ったるい小声で囁いてくる。「せっかく盗ってくるなら今度は黒更紗にしな。あたしがきっと買い手を見つけてやるからさ」
「かたじけない」」
とりあえず応えると、お延はクックッと喉を鳴らして嗤った。「あんた、本当にどこのお姫さまだい? 気の毒なもんだ、乳母日傘のお姫さまが今や枕捜しとはねえ」
嘲る声が蜜のように甘ったるい。
いろいろと気に喰わない女だと櫻花は内心で嘆息した。
他人の不幸を心底喜べる人間がこの世には時々いる。
この女が怖がりのあぐりを脅しつけたのも半分は趣味だったのかもしれない。
お延はそれきり口を噤んで街道を斜めによぎりはじめた。
向かう先ははす向かいのだいぶ先にある荒れ果てた山門だ。
櫻花もこの頃すっかりなじんでしまった重宝院の入り口である。
山門を潜って参道を進み、広い境内を抜けて本堂の濡れ縁へとあがる。
きっちりと立てられた板戸の隙間から細く光が漏れている。
お延が板戸を軽く叩いて声をかける。
「開けとくれ。売り手を連れてきたよ」
「おう入れや」
なかからしゃがれた男の声が返り、板戸が動かされた。
途端、蝋燭の光とともに、むっとするような汗と獣じみた臭いとが流れ出してくる。
本堂のなかに車座になっているのは年頃も素性もまちまちに見える七、八人の男だった。
人力車の車夫みたいな尻端折りの若者もいれば、上等の藍色の麻の着流し姿のどこぞの若旦那みたいな人物もいる。
そのうちの三人が膝の前に籠を置いていた。どの篭からもカサカサと微かな音がする。
「さて、じゃあそろそろ始めるかい」
さっき戸板を動かした大柄な男が促し、いかにも気心の知れた様子でお延に目配せをする。
お延は男の右隣にしなだれかかるように坐ると、櫻花にも坐るように目配せをした。
予想通りだ――と、櫻花は内心で微かな喜びを感じた。
兎の臭いがする――と、あのとき疾風は繰り返していた。
この場所ではおそらく毎月六日に、秘かに盗品の兎の売買が行われているのだろう。
首謀者の一人は目の前のお延だ。




