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赤夜 Sekiyo  作者: KIKP
理幻鏡想
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理幻鏡想 19

攻撃が途絶えた事で、硬直が止み、消えかけていた意識を徐々にはっきりと取り戻し、虚ろな赤華は異形が見るその方向を向く。

そこには見覚えのある一人の男性が、酷い息遣いをしながらこっちを見て立っていた。


あれは確か…体力測定の時の…陸上部のコーチの人だっけ…。何で一般人がここに…。いや、そんな事よりも…さっき競って…。


「ナ、ナンデ、ココニ…」

震える声に、何か混乱をしてるように頭を抱え、戦意が明らかに揺らいでいるのを感じる。

今のうちに落ち着かせろ…気が付かれないように深く呼吸を整えて…。


「やっぱり競なんだよな…」

何の返事も返さないが、その様子を見てあっているのだとホッと一先ず安心するように胸をなでおろす。

「良かった…。競…会いたかった…」

「…」

「だけど、競…その姿は一体…ここでその娘と何を…」

何の返答も反応も示さない、その様子に疑問を抱き、心配して様子を伺おうと風道が近づく。


「…ソウ…ソウダヨネ」

「競?どうしたんだ…」

独りでに気味悪く呟くその声に、手を伸ばそうとする。

すると、競はゆらりと腕を上げる。

その動きに反応があったと嬉しい半分、その意図するものが分からず、困惑する風道に向かって振り下ろす。

「えっ…」

そこへ赤華が勢い良く飛び込んで振り下ろされるその腕を掴んで阻止する。

「それは…ダメでしょ…」

「コ…」

何か言おうとするその様子を見て、ギチギチとまだ力強く下ろそうとするそれに踏み耐える。

「コンナトコロ二…コーチガイルハズナンテナイ…ソウコレハ…ワタシノジユウヘノ…ジャマヲスル…ナニカガミセテル…ゲンソウ…コンナコトデワタシヲ…マドワソウトスル…ジャマハ…ユルサナイ」

「なら、何で最初力が入ってなかったの?」

「ア…?」

「本当はその手で確かめるためだったのでしょ。だけどその確かめる手が、傷つける手であったらダメでしょ」

「ウルサイ!ソレハオマエガマドワスタメニ ミセテイルカラ バレタクナイカラダロ」

急に強まるその力に耐えている所に、異形の尾が横腹を突き、崩れたそこへ蹴りを入れて風道諸共吹き飛ばし、木々に叩きつけられた。

「うっ…げほッゴホッ…」

苦しそうに咳き込み、口から血をこぼす。

赤華がクッションになってるとはいえ異形のその蹴りは、風道よりも体格、体積と三倍ほどあり、強化まで加わった蹴り。それは一般人にとっては走行中の自動車にどつかれるようなものだ。

「だ、大丈夫ですか」

心配するその声に手を前に出して、首を横に振る。

「わ、私は。げほ…大丈夫…ですから…」

緊急的な命の別状は無いのを確認し、キッと睨みつけるように競を見ると、独り言をブツブツと呟いていた。

「ダ、ダイジョウブナノヨネ…アレハニセモノ…ニセモノナノダカラ…ネェソウナノヨネ…?…ソウ…ソウダヨネ。ハヤク、オワラセヨウ」

独りでに自問自答を終えて、こちらに駆け迫る。

こっちにこられると、この人まで巻き込まれる。逃げるにしても追ってくるとは限らない。くっ…!

そう自ら、迎え撃つように赤華か競とぶつかり取っ組み合う。回避と受け流しを許されないその現状に、いいように振り回され叩き付けられる。


まだ、動揺と迷いから攻撃にズレがあるから一撃一撃に重みは無いけど、長く耐え切れるものじゃない。どうにか…どうにかしないと…。私の言葉じゃダメだ…。もう一つ…もう一つ何かないか…。


そう、撃ち合いに耐えながら(のぞみ)薄きその一手をただ思考し、求め耐える。


「競!」


女性の呼び掛ける強く通った声が響いて聞こえた。


次は誰と見るとそこには一回り歳を取った夫婦、競の両親であろう二人がそこに立っていた。風道と同じように険しいこの山道をなりふり構わずに走って来たようで、枝木に引っ掛けて素肌には切り傷や擦り傷と服はボロボロの所々破れているのが見える。

その場の状況を見て父親はあたふたと戸惑うが母親の「シャキッとしな」という小さな呟きに言われた通り戸惑いを止め、同じようにこちらをただ静かに見ていた。それ以上に母親から言うことは無いようだ。


すると、また一段と競の力が弱まり、少し押し返し始める。

声を掛けるなら今だ。


「競さん…もう一度問うよ。貴方は何故その姿になったの?」

「ナゼッテ…ウゴカナク…ウシナッテシマッタ…アシノカワリヲテニイレルタメ…。ワタシガ…ジユウニナルタメニ…」

「何故あなたは自由じゃないの?」

「…ワタシハダレヨリモ…ハヤク…ハヤク…ハシラナイト…キロクヲダサナイト…イケナイ…。キタイニコタエナイト…ミトメラレナイト…ヨロコバレナイト… ソレガワタシノ…セキニン…ヤクメ…」

「どうやってその姿になったの?」

「ワタシハ…ハシリツヅケタ…。タダヒタスラニ…ダケド…キロクガノビナヤンデイタ…コノママジャ…ダレニモ…ミトメラレナイ…ヨロコバレナイ…キタイニコタエラレナイ…。ソンナワタシニ…ソレガコエヲカケテクレタ…。イワレタトオリニシタラ…ハヤクナッタ…タノシカッタ…。ダケド…アシガコワレテ…ウゴカナクナッタ…。コーチノ…フタリノ…ミナノキタイヲ…ウラギッテシマッタ…ラクタンサセテシマッタ…。ハシレナイワタシハ…ヤクタタズニナッタ…リヨウカチガ…ナクナッタ…」

「そんな——」

否定しようとする父の口の前に母が手を出して防ぐ。

「ソンナワタシニ…ソレガ…ネガイヲ…アシヲアタエテクレタ…。イママデヨリモ…オモクナイ…ツラクナイ…イタクナイ…ソシテダレヨリモ…ナニヨリモ…ワタシガ…ハヤク…ハヤク…ハシレルアシヲ…ソシテ…ジユウヲオシエテクレタ…」

「貴方は、今の、その姿に満足しているの?」

「ソレハ…マンゾク…シテルニキマッテル…」

「そっか…」

三人がここに現れたことで今、彼女の心は揺らいでいる…。チャンスだ。だけど、かける言葉は間違えるな。今の彼女には偽りや装った言葉なんて意味はない。私の言葉…。違う…私自身をぶつけろ。

「今は分かったように言う事を許してほしい…。確かに私も貴方も通ってきたように、人生というものはとても複雑だ。特に…人という枠組みの世界は難しく、息苦しい、重い、束縛の枷。進めば進むほどに立ち阻む、あの永遠に続く試練の壁。だけど…それでもそれを何とも思わないほどに、一時忘れるほどに、楽しかった…幸せであったこともある筈。貴方の今あり、手に入れようとしているその自由は、確かにいいモノなのかもしれない…。だけどそれは、貴方のこれまでの人としての全てを、捨て去るモノ。それは積み上げてきた経験や努力、繋がりや思い出…本来あったであろう未来、運命…そして可能性を」


既にその手に敵意が完全に消え力がない事に気が付き手をゆっくり導くように下におろして、向かい合い、優しく迎えるように手をつなぐ。


「最後に聞くよ…。貴方の望んでいるその自由は本当に…貴方を思い、心配し、ここまで駆け付け、その変わり果てた姿を見ても、すぐに気が付き声を掛けたあの人達を…顧みずに...無下にできるモノなの?」


その言葉に競は周囲を見渡す。両親はずっと落ち着いてこちらを見て、頷く。風道も心配ないよと手を振って微笑む。そして競は初めて赤華と目と目が合う。穢れ無き純粋無垢、真っ直ぐとした誠実で強い目。そして何よりも安心させてくれる優しい顔。


ここまで一方的にしてきたというのに…なんでこの子は…そんなにも強く、優しくいられるの…。

視界がぼやけ、頬をつたってそれが落ちて気が付く。無意識に湧き出るその涙を、両手で拭う。その様子は初めて諭されて泣く子供の様だった。


私に異形化した人物を元に戻す術は持っていない。だけど、この変異は特殊なものだ。彼女が望んで成った姿。なら、それを解くには他者の力よりも、まず彼女自身の意志、そして言霊が必要不可欠であり、有力な筈だ。


落ち着いてきた、そのタイミングで赤華が口を開く。

「ほら、貴方の今の気持ちを…貴方自身の口で、言葉を聞かせて」


「ワ、ワタシ…ワタシハ…ワタシ…ハ…」

震えるその彼女の言葉をただ、ジッと待ち続ける。


その時、青白き揺らめく火の玉が、ギョロリとオセロが反転するように真っ黒なぎょくと変わる。


「ジユウガイチバンニ キマッテイルダロ」

競の奥底に隠れていたソレが顔を表に出し、唐突に溢れ立ち昇るその禍々しい気配に、赤華が反射的に備えようとするが、逃がさないと繋いでいた左手を握り絞め、ボキボキと骨の関節を外し折る。


激痛に耐えながら残された右手で、振り下ろされるその左拳をいなす。だが、


何…この気配と威力…。ただ拳で躾ける様に振り下ろしているだけだというのに…重すぎる。


そんな中、不意に繋がれた左手から流れる強力な電流に全身が焼かれるように熱く痺れ硬直し、体から黒い煙が上がる。


右手が落ち完全に無防備となった赤華に容赦無く、拳を打ち込み続け骨を砕く。


「やめなさい!」「やめろ!」や、やめないか!」「「「競」」」

いつの間に駆け付けた、三人が激しく動くそれに当たりこらえながら競の体にしがみつき、叫ぶ。


だが、異形の体はそれらを気に留めず、強化を高めた拳を赤華のボロボロの肉体にぶち込む。そして、その衝撃の余波に三人も赤華と共吹き飛ばされる。


「ハァ…マッタク…。ヨク スラスラト ハキケヲモヨオオス コトバガ デルモノダ。ヤハリ キショクワルイ モノダナ  ニンゲンハ」


身に付いた穢れを払うように、体をはたき、両腕を開いて、深く呼吸をする。


「ヒサカタブリノ ココハ ヤハリ イイモノダ…」

そう、空を見上げてニヤリと笑みを浮かべる。

「サテ サッサト ツギヘト イコウ スルトシヨウ  ア?」

何かを感じ取り、先程殴り飛ばした赤華の方を見る。

すると微かに息をする呼吸音が聞える。それは今際を彷徨っているように弱い呼吸。

「マダイキガアルノカ ナゼ…」

確実に殺せる一撃を喰らわせた筈なのにと、暫し考える。

「マアイイ ホットイテモ スグニ シヌダロウガ シッカリト コノテデ トドメヲ ササナイトナ アカガミノ モノハ トクニ」

ソレは赤華の方へと歩み寄りながら、右拳をより確実に殺せるように、殺傷力のある鋭い針を形作る。


『やめて!なんで…なんで…そんなことするの!?』


真っ暗な意識の世界で競が黒き球体に叫ぶ。


『ナンデダト…?キミガ ノゾンダコトダロウ』


『私はこんな事なんか望んでなんかない!これ以上誰も傷つけたくない!』


『ナニヲイマサラ…ジユウガ ホシイノデハナカッタノカ?』


『もう…いいの…』


『ア?』


『私はあなたが与えてくれた足に…。再び立って走れた事に歓喜し、そして教えてくれた自由に憧れ、欲し、望んだ…』


『ナライイデハナイカ ジユウハモウスグソコナノダカラ オトナシクマッテイロ』


『でも、もういいの!自由なんてどうでもいいの!』


『…』


『走れない私を、お母さんが…お父さんが…愛し続けてくれてる。きっとコーチも支えてくれる。それに気が付ついた。それにまだ一生立てない…走れないと決まった訳じゃない。だから私はみんなと一緒に…地道にでも、私の本当の足で進んで行きたいと思ったの。あなたにはここまで感謝してもしきれない事をしてもらった…。今の私に出来ることなんて…大して捧げられるものなんて無いと思う。我がままだって分かっます…。だけどお願いします…。これ以上…誰も…傷つけるようなことはしないでください…お願いします…』


大変至極、申し訳ない身勝手なその申し出をしながら頭を地面にこすりつける。

その様子に球体はただ静寂にその場に浮かんでいた。


『ソウカ…モウ ジユウハイラナイカ』


『はい…』


『マア…キミガ ノゾンデナイノナラ シカタナイナ』


前後ろがあるのか分からないその球体はくるりと振り向くように横に回転し、ゆらりゆらりと土下座する彼女に近づく。


『ホラ ソンナコトシテナイデ カオヲアゲナヨ』


あまりにやさしいその言葉に競は言われた通りに顔を上げていく、喜びを顔に滲み溢れ出しながら。

目の映り、前に浮かぶ黒い球体にいつの間にか口の様なモノが見え、二ッと白い歯を見せていた。


『マア オマエノ キモチナド スデニ ドウデモイインダケドネ』


『え?』


思いにもよらなかったその無慈悲なソレの物言いに、戸惑いの言葉をこぼすと、周囲の黒い世界が触手の様に彼女に勢い良く巻き付いて、有無を言わせないように底なしの、深淵の沼に引きずり込む。


サテ コレデコノニクタイハ ワタシノモノダ。


止まっていた脚を再び進める。


——!?


ドッとぶつかる三人が、その行く手を阻むようにその腕を脚を体にしがみつく。


「私達の子の手を汚させはしない」「ぼ、僕達の子にこれ以上悲しむようなことは許さない」「私の教え子の未来を閉ざさせはしない」「「「返せ!」」」


タダノニンゲンガ ワタシノケハイヲウケナガラ マダウゴクカ… イセイハイイガ ボンジン ソノテイドデ トメラレルトイウ オモイコミ ジツニ ジツニ


「ケガラワシイ」


軽く空いている腕を振るって、殴り払おうとするが。三人はそれに耐える。


ナゼ フリハラエナイ ナゼ シナナイ


赤華に食らわせた一撃に比べたら対して魔力を込めていない。だが、魔力を大して持たず、強化を施していない一般人、ただの人間であれば、これだけで容易く殺すに至る程度に調整している。


ナノニ ナゼ……!?ソレニ コレイジョウ タカマラナイ……。 ソウカ…オマエラカ


ソレの中、真っ黒に染まった存在意識の空間。パズルのラストピース。塵の様に隅に残った小さく、白きモノ。それは競の存在意識であり、全方位から迫り押しつぶそうとする圧に抵抗していた。これだけ存在意識の領域を侵略しているにも拘らず、思う様に行ってないのは、この肉体の核が彼女を基にしているため、優先権利が彼女に少し寄っており抵抗され、三人を殺しきれないのだ。ソレはこうならない様に、一気に存在意識を乗っ取り圧死させようと、数日掛けて準備をし整えていたのだが、不測の事態が起こり、競の存在意識を潰しきれなかった。

その不測の事態とは理鏡の魔術によって、肉体を生成、組合せ、変質して作られた異形。そのベースとなる生物達の肉体の魂が彼女の存在意識を護ったのだ。


ダガ タダノケモノゴトキガ コノチカラニ タエキレルワケガナイ…。 マサカオマエガ ココデ ニンゲンニジョリョクスルトハナ キリン。


麒麟。中国神話に語られる伝説上の生物。形は背丈が五メートルと巨大な鹿であり、顔は龍、牛の尾と馬の蹄をもち、背毛は五色に彩り、毛は黄色く、身体には鱗に、角があるものはないものと、そこに何らかの差があるのかは定かではない。その性格は非常に穏やかで優しく、食物は枯れた草を食べ。足元の虫や植物を踏むことさえ恐れるほど殺生を嫌う。

そんな幻獣が肉体の一部として利用された挙句、自然を破壊しながら争った彼女を救う義理など微塵の欠片すらない。だが、彼女と混ぜられた事に、彼女の境遇を自身ののモノとして重ねた故に、慈悲から彼女を保護したというのもあるが、それ以上に諸悪の根源であるソレの存在を危惧し、勝手を許してはならないと判断し、今尚抵抗する彼女に助力を与え続けている。


「コレハ ソウテイガイダナ…」


幻獣という強力なその助力に存在意識が強まり、二つの意志によって肉体が殺生を拒んでいるのだ。更に黒き世界が少しずつ白く滲んで染まり、肉体が混乱して硬直する。このまま行けば肉体の優先権利が彼女の下に戻る。

そう肉体内で静かにも熾烈な争が起こっている中、唐突に大きな破裂音が鳴り響いた。すると、体にまとわりついていた三人はいつの間にか直立するように体が伸び、身体から煙を上げており、そのまま地面に倒れる。


「マアダカラト ナントイウコトモナイガ」


これまで争っていた通り、主軸として肉体を動かしていたのは競の意志だが、魔術を知らない彼女が雷の魔術を操れるはずはない。彼女の動きに合わせてソレが制御、行使していたのだ。魔術の権利はソレにある。魔術となる雷。それはベースとなっている麒麟のモノ。つまり麒麟であれば容易く魔術の権利を取り返すことができる。だが、現在競の保護、助力している麒麟に魔術の権利に割く力はない。割いてしまえば、一瞬でソレは魔術の権利から手を引き、全力で彼女の存在意識を押し潰すだろう。故に、麒麟は大いに迷うのだが、その思考が無駄であると理解する。


「キサマハ コレイジョウ ダレモキズツケハサセナイ ワタシノカッテハサセナイ ソウタエテイルガ スベテ ムイミダ」


異形を中心に、大きく広範囲の地面が帯電し始める。


お願い…やめて…。


『雷鳴災歌』。それは帯電するその場に落雷を起こす魔術。赤華でさえ、直感的に一撃で瀕死になると判断したもの。当然、その場に倒れている三人は耐えられはしない。即死は不可避。最悪、焼け焦げ、跡形もなくなる可能性すらある。

現在、競を支え、強めているのは大切な人を思う力。その力の根源たる三人の死はそれを容易く崩す、彼女の精神を破壊し殺してしまう。

つまり、このままいても『雷鳴災歌』によって三人の死と共に競も死ぬ。魔術の権利を奪取し防ごうとも、競の存在意識を圧死され、その強靭な肉体で周囲一帯の生物を殺すだろう。そしていずれ、現在宿っている麒麟の魂は肉体から抜けて還り、魔術の権利を得たソレが得る。故にどちらの選択をしても、詰み。


「キサマヲオモウ コイツラノイナイセカイニ ハタシテキサマハ タエルコトガデキルダロウカ」


やめて…。


彼女のか細い願いの声に、ソレは揺るぎはしない。慈悲など一切なく、その場にいる生物を殺し尽くすだろう。

天と大地の帯電が更に激しさを増して、雷雲がゴロゴロと唸り声を上げ始める。


お願い…お願い…誰か…。


「ショウショウ テマドッタガ」


神様でも…悪魔でも…何でもいい…私はどうなっても良いから…。


「ワタシノメザメニハ コレクライセイダイニスルノモ ワルクナイダロウ」


お願い…誰か…助けて…。


『雷鳴災歌』


無慈悲に告げる、その詠唱に、カッと眩しく光を起こし全てを白く染め、その真下に容赦なく幾つもの雷が堕ちる。

者によっては一瞬、ある者にはにも永く思えたその五秒間の落雷。

一帯の木々は引き裂かれ炎を起こし、叩かれた大地は一瞬にして焼け野原と成っていた。有害で禍々しい悪煙が漂っていた。

徐々にその悪煙は晴れ、そこに異形は当然のように立っており、倒れていた三人の姿はその場に跡形も無くなっていた。

それを目にした競は絶望し存在意識の引き合いは止まり、再び黒く侵食され行くそれを、消えぬようにとただ麒麟は保護するのみとなった。それによって肉体の権利を得た、ソレはその感触を確かめるように右手を見ながら開いては締めるを数度繰り返す。


身体能力に優れながらも魔術的耐性が一切なく、精神抵抗力の弱まった彼女の中にソレは潜り込んだ。理鏡の力の一部を使い彼女に幻想を見せ、望みを聞くと同時にリミッターを解除させ肉体を破壊し、絶望したところに付け込み、理から外れた歪にも甘い希望で誘惑し、異形化させながら言葉で操り、更なる望みの為に争わせ、思い込みによって進化を経させる。そして時を見て精神を浸食し、その全てを乗っ取り得る。想定外の事態が起こったものの、それは大したことはなく、今確かに問題なく肉体を得た。受肉したのだ。ここまでソレの計画通りに進んでいる。


肉体の感覚に納得し、ソレは静かに目の前を向く。


ただ一つ。その目に映っている状況をだけを除いて。


悪煙が徐々に晴れ、その影から赤華が膝と両手を地面に着いて姿を現しゆっくりと立ち上がる。


「ふぅ…間に合ってよかった」


その声を聞き小さく下を向いていた競は顔を上げ、目を見開いた。


全身のほとんどの骨を砕かれ、瀕死であった筈の人間がなぜ…動ける…それになんだ…その赤い腕手うでは。


肘から指先にかけての血管が赤く光を発しているように、穏やかに灯っていた。

理解のできないその状況に更に一つ、謎が現れる。

赤華の周りには五匹の大きな狼犬がおり、その口で三人衣服を嚙んで引っ張り避難させていたのだ。器用に協力して背中に乗せる。赤華はその様子を確認し「お願いね」の声に、狼犬達は山を下りるために駆け走っていく。


「ここからは任せてもらっていいから…。貴方はもう休んでて、大丈夫だよ」


彼女から伝わり来る、一時の絶望に凍りつき冷えきっていた心を優しく包み暖め、ゆっくりと解かされる。


ありがとう…。ごめんなさい…。そして…どうか…お願いします…。


そう、感謝を心の中で告げると、安心感から競は眠るように意識を失う。


この場全てに無作為に落ちる落雷。それを避けることなど常識的考えて不可能。直撃は必然。理解できない謎だらけの中、それを見てなぜ雷を避けたのか一時的に理解する。

それは、赤華の立つ狭き一帯だけ、大地が荒れていない。草が青々と残っている。落雷が落ちた痕跡が無いのだ。


考えられる方法は、何らかの魔術で落雷を誘導し、回避した。


謎ばかりが頭を埋め尽くすが、蠟燭ろうそくの火を吹き消すように搔き消す。


分からないことなど、どうでもいい。そんなモノ、考えたところで大した事など無く。結局、無意味となるのだから。


異形は鋭い針に電気を帯電させ、戦闘態勢に構えを取ると、唐突に肉体の疲れが出たようにふらつく赤華に、ソレは駆け迫る。

肉体の完全支配に加え核への影響、加減の必要のない魔術制御と強化によって行われる神速、疾風迅雷の如き一突き。

それを赤華は反対に傾きすり抜けるように回避し、次の一手と斬るように横へ振るうが、そのまま倒れるように紙一重で避け、体を横に半身に回転し荷重移動を行いながら静かに構え、ソレの左横胸部へと、抉る様に腕を捻りながら、赤い右の掌を突き打つ。


赤上流 二式 赫流せきりゅうせん


その一突きは、その巨体に抵抗させる猶予を与えずに吹き飛ばす。

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