理幻鏡想 2
スタート位置に着こうとすると、何か視線がすごく集まっている。
それはクラスメイトだけではない、ほかの種目の場所にいる生徒がそれを止めてまでこちらを見ているのが一通り見渡して分かる。
彼女等が何か言いふらしたのだろうけど、そんなことで記録の測定を止めてまで、注目が集まるものだろうか。
「どうぞ、インコースは譲ってあげるわよ」
競がどうぞと差すと、そこにいたクラスメイト達がそれを見て避ける様に空間を空ける。
確かにインコースは基本的に有利な位置ではあるが····。
「遠慮しておくわ。私達は外側から行くから大丈夫」と断って一番端につく。
「そう。分かったわ」
空けられてあるその場所に彼女は着き、皆のスタートの準備が整う。
皆の視線は斜め先にある白線の内側に設置された黒いタイマーに集まる。
二十秒前にセットされたカウントダウンが残り五秒となり、その時を待ち、零のブザーの合図と共にスタートが切られる。
競が勢いの良いスタートを決めて、先頭に走り出る。それに続くようにインコース側にいた数名が走るも小競り合いで体が当たる中、それをすぐに横から抜き去り、競と並ぶ。
「なっ」
当然それは梓麻と赤華であり、すぐさま競を赤華が抜いて先頭に立ちそれに続くように梓麻、競の順となる。
…最初に前に出て有利を取るつもりね。ペースもかなり速いし素人らしい考えだわ。そんなんじゃ私には通じないわよ。
体育館の二階の窓縁にもたれて、それを眺めながら千和々は煙草を吸っていた。
「なんやエライ事なってますねセンセ」
その声が聞こえると共に階段を登り来る音が近づいてくる。
「ん、ああ。君らも見に来たのか?」
「と言うよりもなんや、測定止められてやらせて貰えへんから仕方なくやけどな」
「全く先生らは何やってんだか」
「それはあんたもですけどね」
「私はいいんだよ。担当じゃないし」
「いや、そっちやないやけどなぁ」
そう言うも伝わってないようで?が出ているのが何となく見える。
この人ら頭良いはずなのに察しが悪いのだろうか?
「やけど、たかが生徒二人の個人的勝負で他の測定を止めてまで、こんなにも注目が集まるもんなんか?」
「まぁ、二人ともそこそこの有名人だからな」
「有名人?」
「ああ。君達のご存知の通り綾嶄寺と、この学校の陸上部エースだからね」
「エース…エースか…ってエースって言ったら大将みたいなもんやろ?それかなり強い人やないんか?」
「まぁね。柳矢競。小中高と陸上の全国大会で常に上位を争い続け、かなり高成績を残してきている一人だよ」
「そ、そんな凄い人と勝負って…梓麻さん大丈夫なの?」
「そうだなぁ。私は二人の実力どうこうは置いといて、中距離走に関しては基本的に理解度の差が出るだろうなぁ」
「理解度?」
「ああ。競技と距離、そして自分自身の理解度さ。中距離、長距離に置いて大切な事は二つ。
一つ目はポジショニング。
良い記録を出すことにおいて最後尾付近は基本的に論外。それは徐々に遅い団体に連れられて先頭と離されるから。中間も基本的に厳しい。スパートを切るのに半分の人を抜かなければならないという点とそれに前の人が合わせると抜こうにも抜けないという事が起きる可能性があるから。だから基本的に先頭がいいが、先頭は全体の速度をコントロールできるが、先頭争いが良く起きて、それに答えていたら体力を無駄に使うからあまり良くない。だから基本的に三番五番までの位置が最も望ましい。駆け引きなどを行う点にもおいてな。
二つ目はどれだけ乱さずに自分のペースを取れるか。
中距離を走る事でペースはとても大切だ。ペース配分を間違えれば、例え最初先頭を走っていたとしても後半になれば疲労で呼吸が辛く足も重くなり、思うように走れずに徐々に抜かれ当然タイムを落としてしまう。
かと言って温存し過ぎても、ゴール時に体力を余らせて勿体ない。
だから短距離と違って長距離はそれなりに複雑な競技なんだよ」
「まぁ長距離のうんぬんかんぬんは何となく分かったけど、結局どうなんや?」
「…大人しく結末を見ておきなよ。すぐに分かるから」
「それもそうやな」
そう楽し気に鳶鷹と心配そうに唯一がそれを見守る。
まあ、長々と話をしたが、実力差でいえばさっきのが無駄話というくらいには、圧倒的なんだけどな。
この学校のグランドは一周二百五十メートル。計測距離は千五百である為、六周することとなる。
女子の部での最高点、十点の記録は五分四十四秒以下で一周五十七秒で走れば達成できる。
だが、陸上選手であり四分二十秒の記録を持つ彼女にとってその記録は何の価値もない。目指すは世界記録。
現在の世界記録は1993年に記録された三分五十一秒台。日本記録は1994年の四分十一秒台。
それらの記録に近づけるには一周約四二秒以内で走る必要がある
だが、あくまでもそれは彼女が今目指し、いつか近いうちに超えべきもの。
間もなく先頭の三人は四周を終えて残り二周となる。
その頃には殆どの生徒が気だるくなる時だが、三人のペースは変わらず真剣そのもので順位の変動はまだ起きていない。
五周目の白線を超えて視界に入るタイマーを見るとそこに映っているタイムを見る。
はぁはぁ…噓でしょ…また!?
彼女の見た時間は二分五十六秒。それはつまり一周四十四秒のペースで走っている事を示す。
噓でしょ…このペースは…私が…私達があの場所で走るペース。帰宅部のアレとただのお嬢様だと思っていたのに…なんで…なんで…そんなにも余裕があるような顔をしているのよ…。
順位は変わらず四周半を越えた。
…見誤ってたけど、もう関係ない。本気であなた達を叩きのめしてあげる。六周目の白線を超えて少ししたら私のターンよ。先頭を取ったら、どんなことをしてでも絶対に譲りはしない。
そう彼女がラストパートに向けてタイミングを整えている、直後。白線の五メートル手前で変化が起きた。
それは徐々に前を走る梓麻との距離が離れ始め、気がついた時には既に前を走る彼女らがラストスパートを掛けていたのだ。
嘘っ…ここで!?
それを追いかけるように急いで駆けて追い抜こうとするも、既に遅くその背中を追い掛けるのがやっとで結果はゴール手前で梓麻が赤華を追い抜き、二人のその後に競がゴールした。
そう深く呼吸を落ち着かせる競はただ地面を見つめる。
はぁ…はぁ…負けた…。私が…あの二人なんかに…。
するとこちらへと歩いてくる音が聞こえ、顔を上げるとそこに陸上部のコーチがいて、その手にはタイムウォッチを持っている。
「タイム…は?」
「四分十八秒五だ」
それを聞いて競は呆然とする。何故なら彼女のこれまでの記録は四分二十秒であり、新記録で本来なら喜ぶところなのだが、それよりも早くゴールした二人は、まだ余裕があるのが見て分かる。
「…あの二人の記録は?」
そう聞くとコーチは少し苦い顔をしながら告げる。
「四分十五秒四だ…」
「十五…」
たった三秒の差だが、タイムを競う競技である彼女にとってその壁はかなり大きい。
そう、落ち込んでいる彼女に梓麻が近寄って腕組みをする。
「ということで私達が勝ったからこれからは私達に変なイチャモンは付けないようにね...とあの三人にも伝えといてね」
「…はい」
「まぁ、ただ普通に話しかけてくるのは良いけど、ともね」
落ち込む彼女のその様子からこれ以上は必要無いと見る。
「じゃあね」
「待っ——」
「まだ何かある…の?」
呼び止める様な声が聞こえて振り返り見る、彼女のその顔に動揺してしまう。
それは何故か顔が青ざめ震えており、明らかに様子がおかしいからだ。
彼女の目は私を見ていない。私の後ろ…。そう彼女の視線の先を振り返って見ると、そこにいるのは鳶鷹と唯一と合流し楽しげに話す赤華の姿。何ら変哲もないその様子なのだが、彼女のその表情はまるで恐ろしいナニカを見ているように思える。
そう私達の視線に気がついて赤華が私に手を振ると「ひっ」と、怯えた声を上げて競は後退り、逃げるように走り去る。
「おい。競!」
心配してコーチの男があとを追いかけて行った。
ぽつんとその場に残されてしまう梓麻と、それを見ていて何がったのか状況が理解できない三人。
何故あんな反応したのかは分からないが、あの様子じゃ先の事を伝える事は出来そうにないな、と後からゴールして疲れ座り込んでいる三人の元へ行き、先の事をそのまま伝える事と三人はまだ納得はできてなさそうにも、渋々了承し不貞腐れながら離れて行った。
そんなちょっとした騒ぎがあったものの、その後直ぐに測定は再開され、何の問題も無く体力測定を終え、続けて身体測定が行われて、今日の大体の予定が終わり残るは掃除だけとなる。
四人は掃除場所である千和々の持つ準備室で掃除を一通り終えて、軽く雑談をしていた。
「それにしても梓麻。思おた以上に運動神経いいんやな」
「まぁ、それなりにはわね」
「それなりにわっちゅーけど。陸上部エースに勝てるって相当やろ。なんかやってたんか?」
「それ、私も気になってた」
「ぼ、ぼくも」
「大したことはしてないわよ」
「大したことだろう」
椅子に深くもたれ掛かり、天井に顔を向けて寝てますよと言わんばかりに本を開いて乗せている千和々が、呟き起きた様にそれを取って背を伸ばす。
「梓麻は前の学校で陸上選手のトレーナーしてたからな」
「トレーナー…?」
「ただの親の手伝いよ。うちがスポンサーとなってる陸上選手の娘のね。同い年、ましてや年下から素直に学ぼうと思える人なんて普通いないからね。ただ単純に黙らせて従わせる為よ。そもそも実力も無い奴から教わる事なんて無いでしょ?」
まぁ確かに。それもそうやな。そうなのかな。と三人が思うも、確かにその理論なら一緒に走ってたりしてるだろうから足が早いのも納得できる。
「まぁ私の事はこのくらいでいいでしょ。それよりも決めることがあるでしょう」
「ん~まだ気になるけど、それもそうやな」
記録の結果をまとめた紙を持って梓麻と鳶鷹が一つの机を挟み向かい合っていた。
「じゃあ、せーので出すぞ」
「分かったわ」
「せーの」
鳶鷹のその掛け声に同時に手に持つその紙を机の上に出す。
体力テスト。高校二年生の評価得点は六十三点以上でA判定となっており、男子の平均点数は五十から五十五点。女子は四十七から五十一点くらいである。
結果は梓麻が八十八点に対して鳶鷹は百八点。互に高得点を出して十点以上の差となった。
「よっしゃ。わいの勝ちやな」
フッフンと子供っぽくと誇らしげに喜ぶその様子を、少し腑に落ちない様に見るも、直ぐに納得したような反応をする。
「そうね。まぁ、ゆっくりと考えときなさいよ。私に頼み事をするのだから」
随分とあっさりとした梓麻のその反応を見るに勝ちも負けもどちらでも良かった様に感じられる。まあ、それも次は彼女から勝負を仕掛ける事ができるという余裕があるからだろう。
「おう、その事なんやけどな、もう決まってるんや」
「そう。じゃあ私に一体何をしてほしいの?」
そんな会話を聞いていると、何か唯一がえっえっと胸元で両手を握って少々挙動が可笑しい反応をしている。
可能な限りのお願いを一つ聞くという事でなんでもという訳では無いのだからそこまで動揺してしまうような頼み事は無いと思いながら、可愛らしいなと赤華が微笑み見る。
「今日はオフって歩地はんから聞いてたし、放課後皆で理鏡様のところ行こうや」
「理鏡…別にそれくらい構わないけど移動はどうするの?その人は確か今、関東の方にいるのでしょ」
「それがな、身体測定の時に噂が流れてきてクラスメイトから聞いたんやけど昨日くらいから、こっち来とるらしいんや。確か商店街付近のビルに居るってな。しかも今日からやるらしいしな」
「へ~わざわざこんな所に…何故?」
「り、理鏡様の誕生日とここの産まれってのもあってしばらく滞在するって…言ってたよ」
「なるほどね。まぁそのくらいなら別に良いわよ。私もそれには少し興味があったから勝負の権利は残して置きなさいよ」
「ええんか?」
「ええ」
「赤華はんもそれでええか?」
「うん。だいじょお…」
最初は嬉しそうに乗り気に返事をしていたのだが、急にその表情が少し曇って言葉が詰まり困り顔になる。
「あっ…」
「ばか」
「すまん」
「ううん。大丈夫だよ。寧ろごめんねせっかく誘ってくれたのに…私の事は気にしなくていいから三人で行ってきてよ」
彼女と軽い喧嘩をしたその夜に赤夜の呪いについて二人を含めて改めて話を聞いたのだ。
この地で生まれたモノが彼女に対して嫌悪感を感じるものなのだが、それらにもしっかりとした効力の変化がある。
それは赤夜の時間である十九時に近づくに連れてその影響が強くなる。反対にその時間から最も遠いい七時から八時二十分までは普通の人と変わらず、呪いの影響による嫌悪感を感じる事はないのだ。彼女が朝走って登校できるのはそれが理由である。
だが、それまでに彼女から感じていたものが無くなる訳ではない。それまでの彼女の印象はしっかりと個々に深く刻まれ根付いていて、彼女と一度出会い嫌悪感を感じたモノはその時間であっても軽度の嫌悪感を感じてしまう。
そして赤夜の時間である十九時から二十時二十分までは問答無用で殺意を向けて攻撃しにくるらしい。
この街そのものを囲う巨大な第一の結界があり、更に学校や移動用の車にそれを緩和する結界が施されている為に学校での生活や移動はそれなりに問題なく過ごせるのだが、学校が終わる放課後は愚か八時十分以降、彼女は外を出歩く事など出来ない。
それは外でパニックにならない様にするのもあるが、一番は彼女の身を案じての事なのだから。
それを聞いておいて何故と言いたいところだが、私自身も抜けていた。移動用の車で千和々に連れて行ってもらうという手はあるにはあるが、その行く所が行列が出来て並ばなければならない。つまり、結界の無いところに身を出さなければならないから無理なのだ。それに加えて目的の理鏡という人物がこの地の生まれとなると尚更だ。
だからこうして話をしておいて赤華を仲間外れにするのは…と暗くどうしようかという空気が漂う。
「行ってくるといいじゃないか」
唐突に千和々がそう告げた。皆が見ると天井を眺め見ながら椅子でクルクルと回っている。
「でも…」
「ああ、もしかして歩地の奴、伝え忘れているのか」
一体何の事を言っているのだろうと皆が彼女を見る。
「私の方から先に歩地に連絡しておくから、心配しなくて大丈夫だよ。私達を信じたまえよ」
「…うん、ありがとう。千和々さん」
何か案があるのだろうと、その言葉を聞いてその曇りは晴れて嬉しそうに返事をすると、それを受け聞く千和々は顔を合わせられないように他所を向いてしまいどうしたのだろうと皆が見る。
「おっしゃ。そうと決まれば放課後は一旦歩地さんとこお邪魔させてもろて、近くの公園に集合やな」
「う、うん」
「分かったわ」
「うん」




