53話 ヤッッバ♡
カナコの家は埼玉県にある古い一軒家だった。
それなりに大きく庭もあるが、手入れは行き届いておらず雑草が茂り、庭木は伸び放題。
それらが太陽の光を遮り、どこか暗い印象を受ける。
(スマホは持ってるけどお母さんに管理されてるらしいし、やっぱり突撃するしかないよな。まぁカナコが出てくれるとは限らないけど……ええい、ままよ!)
律はインターホンを鳴らし、そして祈るような気持ちで応答を待つ。
そして数秒後、玄関が開いた。
律の祈りは通じなかった。
扉から怪訝な顔を覗かせたのは、中年の女性――カナコの母だったのだ。
「どなた?」
「あー……えっと、カナコさんはいますか? わたし、学校の友達で。忘れ物を届けに来たんです」
話を聞く限り少々変わり者の母親のようだし、追い返されるだろうと思いつつ律は彼女の問いにできるだけ愛想よく答える。
しかし律の予想は外れた。
カナコの母親は満面の笑みを浮かべて律を迎え入れたのである。
「そうなのね! カナコの友達だなんて嬉しいわぁ。あの子、家に人を全然呼ばないし紹介もしてくれないんだもの。あぁ、カナコなら今バイト中よ。良かったら中で待ってて」
「そ、そうですか。それではお邪魔します……」
まさか歓迎されるとは思わず、律は咄嗟にそう返答してしまった。
この判断を律はすぐに後悔することとなる。
まず、居間に通されて早々アルミホイルの帽子を頭にかぶせられた。
「さっ、あなたも"高機能魔力遮断機"をつけるのよ。カナコのを貸してあげるから」
「えっ……これってアルミホイルと違うんですか?」
「ただのアルミホイルなんかと一緒にしないで! これはH&P代表が研究を重ねて製作した人類の叡智なのよ! これがあれば魔力による思考盗聴とマインドコントロールを防ぐことができるの。まったく、政府の人間はなにも分かってないんだから――」
カナコの母は目を血走らせてそう力説する。
効果のほどはよく分からないが、このアルミホイル帽もH&Pの"代表"とやらに金を払って手に入れたものなのだろう。
カルト宗教に騙されて借金を背負ったとプイプイが言っていたが、その時からまるで成長が感じられない。
そして律をウンザリさせる展開は続く。
「このお水はねぇ、空中に浮遊する魔力を体内から洗い出してくれるのよ!」
「あ、はぁ……」
「この壺にはねぇ、悪魔の手先である妖精さんを寄せ付けない効果があるのよ!」
「へぇ……」
「この本はH&Pの代表と悪魔の手先である妖精さん、そして魔法少女との対決を描いたものなの。初めて読んだときは興奮して眠れなかったわ。特に妖精さんと代表が飛行機の上で戦うシーンは手に汗握るわよ。良かったら読んで!」
「あの……眼鏡忘れちゃったので……」
「H&Pは世のため人のために働く素晴らしい組織でね? でも若い会員がいないのよぉ、カナコもなかなか会合に来てくれないし……良かったらあなたも参加しない?」
「……………………」
もう限界が近かった。
いっそトイレにいくフリをしてこのまま逃げてやろうかとすら考え初めたころ。
ようやくカナコが帰ってきた。
そしてアルミホイルの帽子をかぶせられ、ありがたい水を飲まされ、壺とH&P代表の本を抱えさせられたリツを見下ろし、目をパチクリとさせる。
「えっ? リ、リツさん?」
「おかえり、カナコ……」
***
家では落ち着いて話ができないということで、律はカナコと共に近所の公園へと向かった。
小さな公園。唯一の遊具であるブランコに並んで座り、ふたりしてゆらゆらと揺れる。
「ごめんね、急に押しかけて。それでカナコは――」
「あ、すみません。できるだけうつむいて話してもらえますか。多分母に見られていると思うので」
「えっ?」
「この公園、うちの2階からよく見えるんです。母に読唇術とかはさすがにないと思うんですけど、念のため」
「マジ?♡ ヤッッバ♡」
律の口から思わずメスガキ語がこぼれ、慌てて咳払いで誤魔化す。
それくらい動揺していた。感心すらしていたくらいだ。
凄まじい毒親である、と。
先ほど母親の様子をみてよく分かった。
彼女は借金があるにもかかわらず、H&Pにも金を注ぎ込んでいる。
そしてその金を稼いでいるのはカナコだ。
だからカナコを監視し、縛り付けようとするのだろうと律は考えた。
「たくさんバイトしてるってプイプイから聞いたよ。まだ中学生なのに高校生って嘘ついて働いてるんでしょ?」
「はは……そんなことも言っちゃったんですか? プイプイってばおしゃべりですね」
カナコは恥ずかしそうに笑って頭を掻いた。
そして話を逸らすように話題を変える。
「そういえばお礼がまだでした。リュウザキとの戦いのとき、助けていただいてありがとうございました」
「いや、そんなのは全然いいんだけど……」
「わたしもリツさんくらい強ければなぁ。やっぱり才能なかったですよね」
カナコはヘラヘラと笑いながら、しかしその目は悲しげに足下へと注がれている。
涙を堪えているように律には見えた。
「カナコは魔法少女続けたくない? 辞めたいと思ってるの?」
「わたしの意思なんて関係ないですから」
「そうだとしても、カナコがどうしたいのか聞きたいんだよ」
優しく、しかし粘り強く律はそう尋ねる。
長い沈黙。
やがてカナコはぽつりぽつりと話し始めた。
「最初はお金のためにイヤイヤやっていました。怪人と戦うなんて怖かったけど、お母さんの借金を返すにはそれしかなかったから。でも、やってみたら意外と楽しくて。お母さんがあんなだから、わたし学校にあんまり友達いないんです。だからああいう部活動みたいな空気が結構心地よくて。だから、なんというか、つまり――」
そしてカナコは深くうつむく。
どこかで見ているかもしれない母親に怯えているように。
それでも、カナコは律に本音を吐露した。
「できれば辞めたくなかったです」
「なら魔法少女は辞めない方がいいよ」
人の家庭の都合に首を突っ込むべきじゃない。
大人である律は当然そういった分別がついている。
それでも、言わずにはいられなかった。
「このままお母さんのところにいたら絶対に良くないことになるよ。魔法少女としてお金を稼げば中学生でも自立できるし。とにかく離れた方がいい」
間違ったことを言っているつもりはなかった。
大人が10人いれば9人は母親からどうにかして離れろという事案だと律は思った。
なんなら児童相談所に駆け込んでも良いくらいだ。
しかしカナコはそれを望んでいなかった。
「でも……わたしまでいなくなったらお母さんひとりぼっちになっちゃう」
そう言われてしまえば、もはや律に返す言葉はなかった。
どんなにヤバくても母親は母親。
そう簡単に割り切れるものではない。
その気持ちは律にもよく分かる。
――そして、きっとその気持ちが報われないことも。
「じゃあこれあげる!」
律は説得したくなる口を無理やりに閉ざし、代わりに手を差し出した。
その手の中にあるのは透き通ったガラス玉のようなもの。
まるでシャボン玉のごとく七色に輝いており、少しでも力を込めればあっという間に割れてしまいそうなほど薄い。
「これは?」
「お守りだよ。カナコはひとりじゃないってこと、忘れないでね」
律にできるのはそこまで。
家庭内のトラブルに他者が介入するのは非常に難しい。
だから律は待つしかない。
そして、見逃さないようにしなくてはならない。
カナコが発するSOSを。




