37話 リツにお仕置きしてほしいの?♡
切り裂きジャックを倒した数日後――律は安ビジネスホテルを脱することに成功した。
つまり引っ越し先が見つかったのだ。
「いろいろ探したプイが、律さんを受け入れてくれるマンションはここしかなかったプイ。その、思うところがあっても我慢してほしいプイ……」
と、深刻な表情でプイプイが言うものだから律は一体どんな部屋に連れていかれるのだろうとハラハラしていた。
ネズミの家族が住み着いている公衆衛生という概念を持たないマンションか。
あるいは特殊な獣を飼っている好事家の集まる動物園のごときマンションか。
もしかしてお化けの出る事故物件なのでは……。
などと様々なパターンを考えたが、そのどれでもなかった。
どのパターンよりも酷い、律にとって最も恐ろしいマンションだったのだ。
「えっ……ここ……?」
律は案内されたマンションを見上げて絶句する。
都内の高級住宅地にそびえる、白亜の低層マンション。
都心にありながら周囲は静かで、よく手入れされた木々が緑を添えている。
この場所だけ時間がゆったりと流れているような感覚を覚えるのは気のせいだろうか。
さぞかし心と懐に余裕がある人間が住んでいるのだろう。
しかし律はその美しい建物を見てみるみる顔色を蒼くしていった。
「ほ、本当にこんな高そうなマンションしかなかったの?」
近頃の東京の家賃が上昇していることは律も知っている。
しかもこんな高級住宅街に位置する綺麗なマンションとくれば、家賃は律の社畜時代の月給を大きく上回る額に違いない。
律は冷蔵庫にでも入れられたみたいに震えだした。
「ここここ、こんな高そうなマンションの家賃なんて払えないよ」
「いや、家賃は心配しなくて良いプイ」
「へ?」
そこでようやく律は思い出した。
このマンション、見たことがある。それもつい先日。
ここはセイラとルナが住んでいるマンションだったのだ。
「このマンションはルナとセイラの親御さんがオーナーなんだプイ。ふたりが口添えしてくれたお陰で、一部屋タダで貸してくれることになったんだプイ!」
「えっ……ええっ!? ほ、ほんとに!? こんないい部屋がタダ!?」
「そうプイ。あ、食洗機は備え付けだから買わなくて良いプイよ」
律は目を丸くした。
芸能人が住むようなマンションにタダで住めるなんて、こんなに良い話はない。
しかしそこではたと気付く。
"その、思うところがあっても我慢してほしいプイ……”なんて、プイプイはどうして言ったのか。
理由はすぐ分かった。
部屋にルナが待ち構えていたからである。
「リツ様と一緒のマンションに住めるなんて夢のようです♡ 両親に頼んだ甲斐がありました♡」
「あ……うん……」
「これで四六時中いつでもリツ様にお仕置きされちゃいますね……♡」
「はは……」
ルナのメスガキ堕ちは一時的なもので、次に会ったときには正気に戻っているといいな――なんて律は考えていたが、残念ながらそうはならなかった。
どうして良いか分からず、罪悪感と気まずさから目も合わせられず、相槌を打つのがやっと。
プイプイもルナの豹変をまだ受け入れられていないらしく、少し離れた場所からふたりを見下ろしながら所在なさげに宙を漂っている。
そうこうしていると奥からセイラも出てきた。
「あ、リツさんとプイプイ。こんにちは」
なんだかお疲れの様子だが、精一杯の笑顔を律に向ける。
「すみません……姉ちゃんがどうしてもリツさんに挨拶したいと聞かなくて……」
「わたしはリツ様に負けちゃったよわよわ魔法少女なので♡ なんでも命令してください♡」
ルナは媚び媚びしながら律にすり寄る。
瞬間、今まで気まずそうにしていた律の目の色が変わった。
「なんでも……?」
「……ッ♡」
律の真剣な表情に、ルナはなにかを期待するかのように頬を染めて唇を舐める。
そして――律はルナにこんなお願いをした。
「じゃあさ、魔法を教えてくれない?」
魔法。
それは魔法少女の持つ奇跡の力。
セイラが作ってみせた火の羽衣やルナの魔法による重火器の再現などがそれにあたる。
律が戦闘で使っている“風”や“ステッキでの殴打”は厳密に言えば魔法とは呼べないらしい。
プイプイに何度か教わってはみたものの、妖精さんには人間が魔法を使う感覚が分からないのか、あるいは単に説明が下手なのか、うまくいかなかったのである。
「それはもちろん喜んでお教えしますけど……リツ様に教えられることなんてあるか……」
ルナはなぜかガッカリしたようにそう呟く。
そうなのだ。
プイプイが積極的に律に魔法を教えないのもそこに理由がある。
つまり、“ステッキでの殴打”と“風”のみで問題なく怪人を倒せてしまうので魔法を習得する必要に迫られていないのだ。
確かに魔法を使えなくても怪人は倒せる――しかし律は今回の引っ越しにより別の角度から魔法を使う必要に迫られていた。
「……魔法で家電って作れるかな?」
「か、家電……ですか……?」
結論から言えば、作れた。
以前、律は無限プチプチを魔法で作り出したこともあり、その時の感覚とルナのアドバイスにより家電の生成に成功したのである。
――高い天井際々まで迫る、巨大なドラム型洗濯機が。
「デッッッカ……♡」
高級マンションの広々した部屋を台無しにする巨大洗濯機を見上げて律は愕然とする。
人ひとり――いや、2、3人くらいは入りそうな大容量。
なんとか頑張って小さくしようとしたのだが、この大きさが限界だった。
(無限プチプチは等身大で作れたのに。洗濯機は構造が複雑だからかな? めちゃくちゃ邪魔だけど……まぁ使う時だけ出せばいいし)
と、ポジティブに考えた律は早速巨大洗濯機を使ってみる。
ホテルから持ってきた昨日の服を放り込み、スイッチオン。
地響きの如き爆音を立てながらの洗濯、そして乾燥が終わり。
取り出された律の衣類は見るも無残な消し炭に変わっていた。
「なにこれ♡ 全然ダメじゃん♡ どうなってんの♡」
「多分魔力が強すぎるんだプイね」
「なにそれ♡ そんなの知らないんだけど♡ なんとかしてよこの淫獣♡」
律がプイプイに暴言を吐くと、なぜかルナはうっとりした顔で頬を赤く染める。
「わたしの教え方が悪いばっかりに♡ よわよわ魔法少女な上に教え方もヘタなんて、リツ様にお仕置きされても仕方がありませんね……♡」
「分かってるなら黙っててよざぁこ♡ っていうかさっきからなに?♡ もしかして……リツにお仕置きしてほしいの?♡ そんなわけないよね?♡ お姉さんなのにこんな小さな女の子にお仕置きおねだりだなんて情けないマネするはずないもんね?♡」
「はわわわわ……♡」
両手を赤らんだ頬に添え、蕩けたような笑顔を浮かべるルナ。
しかし次の瞬間、律は変身を解いてしまった。
プイプイが引いていることも、セイラが死んだ顔をしていることも律は気付いていたからだ。
メスガキ煽りが止まり、ルナは物欲しそうな顔でジッと律を見ているが律はそれを無視した。
(前みたいに突っかかってこられるのも嫌だったけど、これはこれで疲れるなぁ……)
「というか、律さんはなんで魔法で洗濯機なんか創りたいんですか?」
「そりゃあ家電を買わなくて済むなら助かるじゃん?」
セイラの疑問に、律は当然といった風に答える。
しかしセイラは納得するどころかますます不思議そうに首を傾げた。
「なんでですか? 魔法でいちいち創って動かすなんて面倒だし、買ったら良くないですか?」
「セイラはおうちがお金持ちだからそんなこと言うんでしょ! こっちはお金ないの!」
「お金が……ない……?」
律の答えに、セイラは信じられないといった顔をする。
「なに? どういうこと? プイプイ横領とかしてる?」
「してないプイ! 律さんは心配性すぎるんだプイ」
「それにしたってさぁ……あ、そろそろ〈黒き森〉を壊滅させたときの配信で稼いだ分とかが振り込まれてるんじゃないですか? 見てみてくださいよ」
「ええ? 配信のお金なんてそんな入ってないでしょ……」
セイラに促され、律は渋々スマホのアプリで通帳を見る。
律は配信文化に触れてこなかったせいで、トップ配信者がいくら稼いでいるのか知らない。
しかも戦闘中、律は配信画面を見ておらず投げ銭の額を正確には把握できていない。
よってお小遣い程度の額しか振り込まれていないはず――ずっとそう思い続けてきていたのだが。
「え」
スマホの画面を凝視したまま、律は固まった。
目を擦り、そしてもう一度、スマホの画面に記されたゼロの数をかぞえる。
「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくまん、せんまん……え? ええ?」
そこに刻まれていたのは、社畜時代の律の年収を大きく上回る額。
今まで警察はおろか魔法少女にすら手出しできなかった〈黒き森〉を瞬く間に壊滅させていった律の活躍はネットで大いに拡散。
同接は新人魔法少女にもかかわらず25万人を記録し、その後のアーカイブの再生回数も伸び続けている。
そして配信中は〈黒き森〉に被害を受けた者はもちろん、彼らに手を出せない歯がゆさを抱えていた一般市民たちからも応援の投げ銭が殺到していたのである。
それだけではない。
魔法少女の仕事は怪人を倒すこと。
それは治安維持のために重要な役割ではあるが、怪人を倒したからといって金が降って湧くわけではない。
魔法少女連盟の活動資金は企業や個人の寄付から成り立っている。
それらは怪人被害者への救済や魔法少女連盟の運営にも使われており、魔法少女の報酬は怪人1体につき30万円がやっと。
しかし〈黒き森〉を壊滅させた功績への報酬がたった100万円ちょっとであるという事実を世間は許さなかった。
英雄である律の功績を讃えようという運動が巻き起こり、律個人に向けられた寄付が殺到したのである。
「だから言ったプイ。お金の心配はしなくていいって」
と呟くプイプイの言葉などもはや律の耳には入っていなかった。
これまで必死に働きながらも貯金額ほぼゼロだった律の口座に初めて振り込まれた凄まじい金額。
長期間飢餓状態だった人間が突然大量の食事を摂ることで死に至る場合があるのは有名な話だが、このときの律も同じようなショックを受けた。
「おおっ……♡」
「リ、リツさん!?」
どんな怪人を相手にしても倒れなかった律が通帳の額に白目を剥いてぶっ倒れる――その光景に、セイラとルナはまたしても信じられないとばかりに目を見開いて視線を交わすのだった。




