四章十話目
――えぇ? 本当に? 気のせいじゃなくて? 本気でお姉さんに恋してるの?
レインは驚きつつも、弟の顔をまじまじと眺める。
姉と話す弟は、レインが今までに見たことの無いほど優しげな顔をしている。
――で、でも、血を分けた姉弟で、道ならぬ恋、と言うのもどうなんだろう? 赤の他人である僕が口を出す資格もないだろうけれど。い、いや、常識的に考えて、それは駄目なんじゃないのかな?
姉弟の何気ない会話を聞きながら、レインは一人で悩んでいた。
「駄目だよ、姉さん。いくら学校の側の通い慣れた道でも、夜に女性が一人で帰るのは危険だよ。暗がりに一人で連れ込まれたら何をされるか、わからないわけじゃないだろう? 世の中には善良な一般市民ばかりではなく、救いようのない屑もいるんだよ? 姉さんはあの時のことを忘れたのかい? あんな奴らを目の当たりにしても、まだ大丈夫だと言っていられるのかい?」
「それは、忘れてはいないけれど。あなたが仕事柄、様々な場面に立ち会ってきたのはわかるわ。わたしのことを心配してくれるのもわかるのだけれど。わたしも子どもではないのだから、いつまでもあなたについて来てもらわなくても大丈夫よ。十分に気を付けて帰るから」
姉は穏やかに笑う。
弟は顔を赤らめ、頬を膨らませる。
「それはそうだけど。もしもって場合もあるし」
姉は困った顔で小さく息を吐き出す。
「あなたにそこまで心配されるなんて、わたしも姉として頼りないわね。あなたがそこまで言うのなら、今日のところはあなたに送ってもらおうかしら」
拗ねていた弟は、表情を明るくする。
「そうだよ、姉さん。僕が付いているからには、不良が出てきても、強姦が出てきても姉さんに指一本触れさせないから安心して!」
すぐそばで見ていたレインは、声を掛けるタイミングを逸してしまった。
――もう、このまま声を掛けない方がいいかもな。
鈴牙人として場の空気を読み、そろそろと後ろに下がる。
くるりと向きを変えて、仲の良い姉弟をそっとしておくことにした。
ミゲロとウルベールは弟を新たな標的にしたらしい。
それから一週間の間、ことあるごとに弟に言いがかりをつけた。
最初の日以来、弟も二人に手を出すことは控えているようだった。
そこであえて無視を決め込んだ。
ミゲロとウルベールが何を言っても、聞こえないふりをしていた。
その様子を見ていたレインは、弟の我慢強さに思わず感心した。
――すごいな。もし僕だったら、とっくに音を上げているだろうに。
仲裁に入ることもできず、レインにはただ見守っていることしか出来なかった。
弟が二人に手を出してから一週間後の放課後。
レインは園芸部の先輩と一緒に外出許可を取り、肥料を買いに街へ出た。
「悪いね、アマナギ君。この肥料の袋は、どうしても一人では持てなくてね。こうしてリヤカーに積むのにも、二人必要なんだよ」
肥料の袋をリヤカーに積み、先輩が前で引き、レインは後ろから押している。
「いえ、構いませんよ、先輩。僕で手伝えることなら、遠慮なく言ってください」
レインは先輩と協力しつつ、肥料の袋が山と積まれたリヤカーを押していく。
そんな時、杖をついた黒髪の女性とすれ違った。
――あれ?
レインが振り返ると、それは神学校の制服を着た姉だった。
――今日は、お姉さん一人なんだ。スミルノフ君は一緒じゃないんだ。
杖で道の障害物を確認しながら、慎重に歩いている。
「ん? アマナギ君、どうかしたのかい?」
足を止めたレインに、先輩が振り返る。
「あ、いえ。何でも」
そう言いつつも、レインは姉の姿から目を離せない。
レインの見ている先で、姉が立ち止まる。
顔を上げ、背の高い見知らぬ男数人と話している。
お世辞にもその男性数人はがらの良い相手とは思えなかった。
レインの見ている前で、男の一人に手を引かれ、姉が細い路地へと連れ込まれる。
――え?
数人の男がぞろぞろと連れ立って姉の消えた路地へと入っていく。
――え? え? こ、これはまずいんじゃ。
レインの顔から血の気が引く。
おろおろと取り乱し、辺りを見回す。
「アマナギ君、さっきからどうしたんだい?」
レインの態度を不思議に思った先輩が聞いてくる。
「あ、あのですね、先輩。実は」
レインは先ほど自分が目にした光景を説明する。
「数人の男が、女生徒を路地に連れ込んだ訳か。これは何か嫌な予感がするね」
「ど、どうしましょう、先輩」
レインは困った顔で先輩に尋ねる。
「ううむ」
先輩は難しい顔で黙り込む。
レインと路地とを見比べる。
「とりあえず、すぐに警察沙汰にするのもどうだと思うから、ぼくは神学校に戻って、先生に報告してくる。アマナギ君は、このままここに残って様子を見ていてくれないか?」
言うが早いか、先輩はリヤカーを置いて走り出した。
「え? えぇ? よ、様子を見ろ、と言われても」
道には肥料を積んだリヤカーと、レインだけが取り残される。
レインはおろおろとしつつ、姉の連れ込まれた路地を振り返る。
人の往来の少ない場所では、助けを求めようにもそれもできない。
道路にはさっきから人一人通りかからない。
――ど、どうしよう。どうしよう?
レインは迷いながら、路地へと駆け寄る。
壁際にくっつき、路地の様子をうかがう。
すると男数人と姉の話し声が聞こえてきた。
「さっきからあなた達はわたしに何の用ですか? 用がないのなら、そこをどいてもらいたいのですが」
「お前にはなくても、こっちには用があるんだよ。あんた、確か弟がいるんだよな? うちの仲間がその弟に、ずいぶん世話になってるみたいでな」
「弟が?」
レインが見ている前で、姉の表情が曇る。
「弟が、あなたたちに迷惑を。そうですか、申し訳ありません。弟の行動は、わたしの責任でもあります。それで弟はあなたたちにどんな迷惑をかけたのでしょうか? わたしが謝ってあなたたちの気持ちが落ち着くのでしたら、いくらでも謝ります」
姉は男たちに深々と頭を下げる。
「い、いや、そんな大したことはしてないんだが」
素直に謝罪する姉に対して、男たちは少し拍子抜けしたようだった。
「そうじゃなくてな、おれたちはお前の弟に用があってな。弟を呼び出すために、あんたに人質にする。そうすれば、弟は絶対にここに来るはずだ」
姉は不思議そうな顔をして、首を傾げる。
「はあ、ええと、あなたたちは弟にはどういったご用件でしょうか?」
数人の男と前にしても物怖じしない姉に、彼らは少々やりにくそうだった。
「いや、用って言ってもな。大したことじゃなくてな。あの二人に頼まれて、弟を呼び出す手伝いをやらされて」
「でしたら、弟に直接来てもらった方が良いのではないですか? 弟のことですから、あなたたちに呼び出されれば、こんなことをしなくても素直に来ると思いますが」




