三章二十五話目
アグラダは毛布にくるまりながら、震えている。
「それはそうだろう。このことはわたしが墓まで持って行こうと思っていたことだ。しかしだからこそ、彼女に会うのが怖いんだ。最初に彼女に会った時、イプシェがあの世から蘇って来たのかと思った。千年前の記憶が昨日のことのように思い出され、わたしは天空神ラスティエの起こした運命の悪戯に戸惑った」
アグラダはそこで言葉を切り、イヴンを振り返り困ったように笑う。
「わたしは天空神ラスティエの起こした運命の悪戯を、嘆くべきなのか、感謝をしていいのかわからなかったのだ。わたしは弱い人間だからな。この年になっても迷うことをやめられないようだ。亡き妻には悪いが、イプシェにそっくりな彼女を放ってはおけなかったのだ。それで、あんなことに」
イヴン枢機卿は黙ってアグラダの話を聞いていた。
眉間にしわを寄せ、難しい顔をする。
「教皇様の言い分はわかります。しかし、そのまま毛布にくるまって震えているのでは、教皇様のお体にもよろしくありません。そこでどうでしょう。リシェンさんと会って、仲直りをするのと言うのは。もちろん、ムスタファ司祭や不肖私めも口添えをさせていただきますので、これ以上仲がこじれる、ということはないかと思いますが」
首都セラフに教皇が帰ってきてから数日。
教皇アグラダはずっと体調が優れないと言って、寝室にこもっていた。
普段から元気な教皇が床に臥せると、宮殿は静まり返った。
そば仕えの大司祭たちは青い顔でおろおろ歩き、噂好きの修道女たちも声を落として話すのだった。
寝室に様子を見に行った若い大司祭たちは、教皇アグラダが「いよいよわたしも天空神ラスティエの御元へ召されるか」と言うものだから本気にして、公務で出張予定だったイヴンが急遽仕事をキャンセルしてこうしてそば仕えに任じられたのだった。
「失礼いたします」
部屋の扉の外から控え目なノックの音が聞こえる。
アグラダはびくりと体を震わせ、イヴンは扉を振り返った。
「イヴン枢機卿、ティワン教区のムスタファ司祭とリシェンさんがお見えです」
その声は案内役の大司祭のようだった。
イヴンはアグラダのすがるような視線を無視して、答える。
「通してくれ」
アグラダは青い目を見開き、悲しげに叫ぶ。
「イヴンの裏切り者~!」
地団太を踏む。
アグラダとは付き合いの長い方であるイヴン枢機卿は、国の指導者に珍しい教皇の優しさや考えの柔軟さがラスティエ教国の政治に良い影響を与えていることを知っていた。
一人の君主が長年国を統治するという政治体制は、下手をすれば独裁政権に陥ってしまう危険があるのだが、アグラダは教皇と言っても他の聖職者の意見を聞き、民の声に耳を傾け、強硬に意見を主張することはあまりなかった。
それどころか隙があれば、宮殿を抜け出し、街へ下りたり、谷間の修道院に行ってしまうのだった。
もちろんそんな教皇を快く思わない若い連中も中にはいるが、アグラダが「じゃあ、わたしは教皇の位を退くから、国のことはよろしく頼むよ」と言うと、彼らは困った顔をして「や、やっぱり、もう少しの間、教皇を続けていてもらえませんか? おれらには千年も生きることは無理ですから」と言うのだった。
実際、教皇アグラダほど法術に長けた者もいなかったし、明らかに教皇を嫌っているアヴィニヨン枢機卿も、その実力には一目置いてるようだった。
イヴンはアグラダのくるまっている白い毛布の端をつかむ。
「あなたも、いつまで毛布にくるまっているんですか。教皇でありながら、ムスタファ司祭やリシェンさんにそんな無様な姿を見せるつもりですか?」
アグラダの毛布を引っぺがす。
その時、部屋の扉が開かれた。
アグラダは目にも止まらぬ早さで床を這い、物陰へと隠れた。
後には白い毛布を持ったイヴン枢機卿が残された。
「逃げられたか」
イヴンは舌打ちをし、部屋の扉を開けたまま立ち尽くしているそば仕えの大司祭をはじめ、ムスタファ司祭やリシェンたちに向き直った。
「ようこそ遠いところ、長旅で疲れただろう。話は伺っている。どうぞ部屋に入ってくれ」
白い毛布を背後に隠し、イヴンは枢機卿らしくリシェンたちをねぎらった。
「し、失礼いたします」
ムスタファ司祭が一礼して、リシェンがその後に続く。
三人が部屋に入ったところで、部屋の扉は閉められた。
イヴンはわずかに目を見張る。
リシェンの隣には、呼ばれてもいないフェデリコ大司教が険しい顔で立っていた。
フェデリコはきょろきょろと部屋の中を見回す。
「失礼ですが、こちらにはイヴン枢機卿がお一人ですか? 教皇様はご一緒にいらっしゃらないのですか?」
四名家の一つ、ブルゴス家の一員であるフェデリコ大司教が何の用だろう、とイヴンはいぶかったが、ムスタファ司祭の苦笑いと、しょげ返ったリシェンの顔を見た。
教皇を尊敬しているフェデリコの怒った顔を見て、大体の事態は把握した。
「教皇様でしたら、あちらにおられます」
イヴンは笑顔で、アグラダの隠れた家具の影を指さした。




