三章二十三話目
「それはわかってるわ」
マグダレーナはこれ以上フェデリコの機嫌を損ねてはいけないとばかりに言い添える。
「つまりそれらしい相手には既に父が声を掛けて回ったと言うことよ。一応、教皇様にも話を持って行ったらしいんだけど、“こんな老いぼれで娘や孫まであるわたしが、美人で賢くて将来有望なマグダレーナくんの婚約者にはとてもなれないよ”とやんわりと断られたそうよ」
「あんた、教皇様にまで声を掛けてたの?」
フェデリコはマグダレーナに詰め寄る。
マグダレーナは形の良い眉をわずかにひそめる。
「だからあたしじゃなくて、父がよ。いくらあたしでも、あんたの愛しい教皇様を夫にするつもりはないわ。それに教皇様って、もう千年近く生きているんでしょう? 相手は不老不死のラスティエ教国の基礎を築いた生きた聖人なのに。フェデリコにとって(色んな意味で)手の届かない相手を、よくも飽きもせずに追いかけていられるわね」
ひっそりと言ったマグダレーナの言葉に、隣に立っていたジュリアーニだけが聞こえたらしい。
ジュリアーニは顔をひきつらせ、これまでの教皇とフェデリコとのやり取りを思い出す。
実際、フェデリコは教皇アグラダに何度も好意を打ち明けていたが、アグラダはのらりくらりと返事をはぐらかすばかりで、まったく取り合おうとしなかった。
この前など実力行使とばかりに、フェデリコが強引に教皇に迫った時など、教皇自身にあっさり投げ飛ばされ、部屋から叩き出されたのだった。
そんなことをしても、教皇は一向に気にした様子も見せず、フェデリコに大司教の位まで与え、お咎めもないのだからわからない。
教皇との一連のやり取りを思い出したのだろう。
フェデリコは頬を赤らめ、目を輝かせる。
「あら、あれで教皇様はとてもお優しいところがあるのよ?」
マグダレーナが呆れた顔で突っ込む。
「それはわかるけど」
「あんなことがあった後でも、教皇様は以前と変わらずあたしをお傍に置いてくれているの。“若い頃は血気盛んだからね。わたしも若い頃は色々と無茶なことをしたものさ”と笑って許して下さったのよ。あたし、感激しちゃって。一生教皇様についていこう、とその時心に誓ったの」
リシェンはムスタファ司祭と一緒に通路の隅で小さくなりながら、彼らの話を聞いていた。
――教皇、って。口説いてきたあの人のこと?
空船の中で会った男性のことを思い出す。
「ムスタファ司祭様、教皇様、と言うのは」
隣にいるムスタファ司祭を振り返ると、彼もよく事態が呑み込めていないという顔をしている。
「私が教皇と聞いて心当たりがあるのは、ラスティエ教の開祖にして、この国の建国の父、アグラダ様だけだと思いますけど」
小声でささやく。
その会話が聞こえたのだろう。
フェデリコ、マグダレーナ、ジュリアーニの三人がいっせいにリシェンを振り返る。
「そう言えば、ここに宮殿関係者以外の部外者がいたんだった」
「フェデリコが話していたから、ついうっかりしてたけど。確か今日、ティワン教区の司祭がイヴン枢機卿に面会に来るんだっけ。すっかり忘れてたよ」
「何よ、あたしのせい? あたしが悪いって言うの?」
三人は急に声をひそめ、顔を突き合わせる。
小さな声で何事か相談している。
「竜の民の彼女はもう既に教皇様に会っているからいいとして、司祭の方はどうするの?」
「聞かなかったことにしてもらう、ってのも駄目だよなあ」
「わかったわよ。あたしが何とかすればいいんでしょう?」
どうやら結論が出たのか、こちらを振り返る。
「確か、あなたはティワン教区の司祭、名前はムスタファとか言ったかしら?」
「は、はい」
フェデリコよりも年上だが位は下のムスタファ司祭は、緊張した面持ちで答える。
「大司教として、あなたにちょっとお願いがあるんだけど」
フェデリコはムスタファ司祭に歩み寄り、凄味のある笑みを浮かべる。
「あなたも聖職者の端くれなら今更説明する必要もないと思うけど、一応言っておくわね。このラスティエ教国にはかつて教皇と呼ばれる方がいらっしゃった。それは初代教皇アグラダ様のことね。けれど、アグラダ様はもう天空神ラスティエ様の元へ召されて、今はもういない。実質ラスティエ教国を動かしているのは枢機卿や大司教、多くの聖職者達や国民の総意。これはわかるでしょう?」
ムスタファ司祭はこくこくと何度もうなずく。
「そしてこの国の代表、教皇の代理は枢機卿の中から選ばれる。ここまでは知っているわよねえ?」
フェデリコは気持ち悪いくらい甘い声でささやきかける。
「だから、このラスティエ教国に教皇なんて人は、今現在存在しないのよ。あたしたちが話していたのは、伝説上の人物のこと。司祭になるくらい賢いあなたならば、この意味わかるわよねえ? あなただってティワン教区の司祭に任命されて長いのでしょう? 長く親しんだ教区を離れて、いまさら辺境の教区に飛ばされたくはないでしょう?」
隣で聞いていたリシェンは、それが明らかな脅しであることに気が付いた。




