三章三話目
「リシェン? どうかしたのか?」
じっと黙り込んでいるリシェンを不思議に思ったらしくエトスが尋ねる。
兄のエトスは昔から大人しく穏やかな性格で、活発なリシェンとは対照的だった。
本を読むのを好み、外の世界への憧れも強かった。
いずれは父と同じように龍を駆って、大空を飛び回るのが夢だと以前話していた。
神官に選ばれてからは、この村を離れることもできず、兄の口から夢の話を聞いたことは一度もなかった。
「ねえ、兄さん。兄さんは神官に選ばれたこと、後悔してる?」
口から出たのは、リシェン自身も思っても見ない言葉だった。
「え?」
それには兄のエトスも面食らう。
自分と同じ深緑の瞳が丸く見開かれる。
リシェンは黙っているのも落ち着かず、話し続ける。
「そ、その。兄さんは昔、外の世界に行きたいと言っていたでしょう? 竜に乗って大空を飛び回りたいと。でも神官に選ばれてから、神殿にこもって外に行くことはできなくなった。兄さんはそんな毎日をどう思ってるの?」
兄のエトスはぽかんと口を開けてリシェンの話を聞いていたが、ややあって笑う。
「そうだなあ。外の世界に行きたいと言っていたあの頃から比べれば、今の生活は少し窮屈かもな」
エトスは笑いながら首の後ろをかく。
「でも、神官になったからこそ、できることもある。ラスティエ様のおかげで、この世界のことも多少わかったし、自分が何をするべきなのかはっきりと理解したような気がする」
そう言って、エトスは雲海の彼方を見据える。
そのまなざしは穏やかだが、強い意志を秘めており、普段の兄とは違って見えた。
リシェンは朝日に照らされた兄の横顔を見て思う。
――わたしは何を心配していたんだろう。あの時剣を向けたことだって、きっと正直に謝ればレインは許してくれるわ。
そう考え直し、リシェンは小さく息を吐き出した。
「ごめんね、兄さん。わたしもこんなことで迷ってたらいけないよね。彼のためにもリタ・ミラの種の行く末を見届けないと」
リシェンは兄と同じように朝日に向かう。
黄金色の光を顔に受け、にこりと笑う。
「辛くなったら、いつでも戻ってきていいんだぞ? おれも母さんも、ずっとここで待っているから」
「うん」
兄の言葉に涙が出そうになるほどうれしかった。
リシェンは懸命に涙をこらえ、小さくうなずいた。
それから旅立ちの荷物をまとめ、神殿での旅立ちの儀式もとどこおりなく執り行われた。
あれから兄と話す機会は一度もなく、リシェンは村人達に見送られて、村の外れの崖の上から白竜サライと一緒に旅立った。
「怪我や病気には気を付けてね、リシェン」
母に見送られ、リシェンは笑顔を向ける。
「行ってきます、母さん」
村人達も口々に別れの言葉を述べる。
「気を付けてね、リシェンちゃん」
「無事お勤めを果たすのよ」
村外れの崖の上は、いつも強い風が吹いている。
リシェンはサライの背中にまたがり、手綱を握る。
「よろしくね、サライ」
リシェンが話しかけると、サライは大きな白い翼を広げ、一声鳴く。
翼を羽ばたかせ、宙に舞いあがった。
どんどん高度を増していく。
「リシェン! もしもの時は、ラスティエ教国の教皇様を訪ねなさい。お父さんはそこにいるから!」
母が地上から大声で叫ぶ。
強い風の音にまぎれ、母の声はリシェンの耳にかろうじて届く。
リシェンは上空から母を見下ろし、大きくうなずいた。
「行こう、サライ」
サライの翼が風を受けて大空を滑る。
リシェンはサライの体にしがみつき、雲海の遥か向こうにある下の大陸を目指した。
それから雲海の中を三時間ほど飛び続け、そろそろ大陸の端が見えてくると言うところで、サライが低いうなり声を上げた。
「サライ、どうしたの?」
警戒するような威嚇するような声に、リシェンは緊張する。
せわしなく辺りを見回す。
次第に雲が薄くなり、徐々に外の様子がはっきりと見えてくる。
雲が途切れて初めてリシェンの目に飛び込んできたのは、数えきれないほど多くの空船の船団だった。
それらがまるでリシェンと白竜のサライを取り囲むように配置されている。
その物々しい雰囲気に、リシェンはぶるりと身を震わせた。
「おや、これは珍しい。竜の民がこんな場所に迷い込んでくるとは。てっきり上空の島にこもって、世界の終末まで一歩も外に出てこないと思っていましたよ」




