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第54話 助けられた敵兵

ドルガ砦の跡では、王国軍の工兵たちが瓦礫を前に頭を抱えていた。


街道は大きく抉れ、砦があった場所には崩れた石材が積み重なっている。煙の残る地面は所々が崩れやすく、うかつに足を踏み入れれば救助する側まで動けなくなりかねなかった。


「そこ、踏むな! 下が空いてる!」


先行していたロディオの声に、工兵が足を止めた。


「右から回れる。そこの石は動かすなよ、まとめて崩れるぞ」


「分かった。しかし、よく見つけられるな、そんな道」


「見つけないと俺たちも通れないからな」


ロディオの示した場所に、工兵たちが目印を置いていく。城門を破るために運んできた破城槌は、少し離れたところに置かれたままだ。


「門を壊す仕事がなくなったと思ったら、今度は道を造るのか」


「仕事がなくならなくてよかったじゃないか」


「加減ってものがあるだろ!」


口では文句を言いながらも、工兵たちは縄と梃子を手に働いていた。


ルシエラは、崩れた石壁の向こうを見つめていた。


「……誰か、見つかった?」


「まだだ。奥はこれから調べる」


エイルは足場を確かめ、ルシエラに自分の後ろを歩くよう促した。


城壁の上には、確かに兵士たちがいた。雨のように降り注いだ雷の中へ、その姿は消えてしまった。ルシエラは何度も瓦礫の方へ目を向ける。誰か一人でも、無事でいてほしかった。


そのとき、先へ進んだロディオが手を振った。


「エイル! こっちだ! 生きてるやつがいる!」


◇


崩れた石壁の陰に、魔族兵が一人倒れていた。


角も鎧も土埃にまみれ、片脚は血に染まっている。脇には剣が転がっていたが、エイルたちが近づいても手を伸ばさなかった。


「剣は預かるぞ」


ロディオが拾い上げると、魔族兵は力なく頷いた。


「……好きにしろ。どうせ立てん」


「戦う気はないんだな?」


エイルが尋ねると、兵士は傷ついた脚を指さした。


「この脚でどう戦えと」


クラウスがしゃがんで傷を確かめる。


「かなり深いですね。出血も続いています」


「じゃあ、私が治すね」


ルシエラがエイルの後ろから進み出た。


「……は?」


魔族兵は顔を上げ、思わず身を引こうとした。その途端、脚に痛みが走る。


「動かないで! 傷が開いちゃう!」


ルシエラの声に、兵士は反射的に動きを止めた。


「……あ」


「素直じゃねえか」


ロディオが笑うと、魔族兵は悔しそうに顔をしかめた。


「違う! 今のは痛かっただけだ!」


「ロディオ、からかうな。……ルシエラ、俺のそばから離れるなよ」


「うん。分かってる」


魔族兵は「ルシエラ」という名前を小さく繰り返した。少女はそれにも気づかず、傷口に手をかざしている。


「《ヒール》」


柔らかな光が脚を包み、開いた傷が塞がっていく。魔族兵は呆然とそれを見下ろした。


「……おい、本当に治したのか」


「うん。痛みはどう?」


魔族兵が恐る恐る立ち上がる。脚に体重をかけ、二、三歩歩いてみた。痛みはない。


魔族兵は少女の顔を見た。歩けるようになったことを自分以上に喜んでいる。その様子に、聞きたかったことが喉の奥で止まってしまった。


エイルは兵士の動きを確かめてから、盾を下ろした。


「もう戦わないなら、行っていい。ただし剣は置いていけよ」


「……帰してくれるのか?」


「こっちも、まだ生存者を探さなきゃならないからな」


魔族兵はロディオが預かった剣を一度見たが、取り戻そうとはしなかった。少し前まで仲間と守っていた砦は、跡形もない。怒りが消えたわけではなかったが、今は生きて帰りたかった。


歩き出す前に、兵士はルシエラへぎこちなく頭を下げた。


「……助かった。礼は言っておく」


「うん。気をつけてね!」


ルシエラが手を振ると、魔族兵は戸惑ったように一度振り返り、ドルガ市街の方角へ歩いていった。


「……あいつ、帰ったら何て説明するんだろうな」


ロディオの呟きに、エイルは小さく肩をすくめた。


「さあな。とにかく、次を探そう」


クラウスも頷き、四人は再び瓦礫の中へ向かった。


◇


前線の指揮官は、机に広げた作戦図を見つめていた。


図にはドルガ砦の城門と、そこへ向かう工兵隊の進路が描かれている。城壁を制圧し、門を破り、歩兵を突入させる。何度も確認した手順だった。


今、そのすべてが使えなくなっている。敵を追い払って砦を占領し、そこへ物資を運び込むはずだった。地図の上にはまだ砦があるのに、実際には兵を休ませる壁すら残っていない。


「……ドルガ市街への道は?」


「砦跡の中央が崩れています。人が通れる場所は見つかりましたが、馬車や補給隊はまだ通せません」


「敵の動きは」


「市街に守備兵が残っています。兵力の詳細は調査中です」


指揮官は地図の先、ドルガ市街の位置に指を置いた。


ガルベルトとヴェルナーは不在。前方の砦も失われた。今が攻め時であることは分かっている。ここで時間をかければ、敵に守りを固め直す機会を与えてしまう。


「軽装の部隊だけでも先へ出せませんか」


士官の一人が提案した。


「守備が整う前なら、市街の入口まで進めるかもしれません」


「進んだ後はどうする」


「……後続が追いつくまで、持ちこたえるしか」


「補給が通らず、退路も不確かだ。ガルベルトが戻ってきたら、前へ出した兵を助けに行けるのか?」


士官は口をつぐんだ。


進まなければ好機を失う。だが、急いで進めば兵を孤立させるかもしれない。後続の補給が追いつかなければ、市街に踏み込めたとしても長くは留まれない。指揮官は地図から手を離し、深く息を吐いた。


そこへ、別の士官が報告書を差し出した。


「指揮官殿、王都への戦果報告ですが……『敵拠点の無力化に成功。ただし、進軍は一時延期』と記してよろしいでしょうか」


「……それでいい」


「成功と延期を、同じ報告に並べることになりますが」


「ほかにどう書けと言うのだ。事実なのだから仕方あるまい」


士官は困った顔のまま、筆を走らせた。


書類の上では大戦果でも、現場で失われた時間までは取り戻せない。


「工兵には街道の復旧を急がせろ。ただし救助を後回しにするな。斥候は市街の守備と迂回路を確認。全軍の進撃は、その報告を受けてからだ」


「はっ!」


命令を受けた士官たちは散っていく。指揮官はその背中を見送りながら、もう一度ドルガへの道を指でなぞった。


判断を下したものの、指揮官の表情は晴れなかった。ガルベルトたちが戻る前に動くべきではないのか。その考えはまだ頭から離れない。


そこへユリウスが訪れた。


「賢者殿。先ほどの魔法がああなった原因は、分かりましたか」


「……いえ。術式にも、込めた魔力にも、思い当たる異常はありません」


「威力を抑えて使うことは?」


「それができなかったのです。あの時も抑えようとしましたが、制御が利きませんでした。市街で同じことが起きれば、被害がどこまで及ぶか……」


ユリウスはそこで言葉を切った。


指揮官は再びドルガの位置を見た。奪い返したいのは、消し去りたい土地ではない。


「分かりました。原因が判明するまでは、あの術を作戦に組み込みません」


「……ありがとうございます」


「礼を言うのはこちらです。ただ、次の手を考える時間まで失ってしまったのは、少々痛いですな」


ユリウスは返す言葉を探したが、見つからなかった。


◇


そのころ王都の軍本部では、ドルガ奪還作戦を受けて、ヴィクトルとレオンハルトが地図を囲んでいた。


「砦を奪い返せれば、次はドルガ市街だ。だが、王都からでは現地の報告を待つだけで日が過ぎる」


「司令部をリゼルへ前進させましょう。オスカー大佐の駐屯地なら、補給と伝令の手配ができます。前線との連絡も短くなります」


「よし。受け入れ準備を命じろ。我々も移る」


話を聞いていたメルディアが顔を上げた。


「私も一緒に行っていい?」


「エイルたちに会うためか?」


レオンハルトが尋ねると、メルディアは頷いた。


「うん。どうしても、直接話したいことがあるの」


ヴィクトルは少し考え、地図のリゼルを指さした。


「司令部の先行隊に同行するといい。護衛と替え馬を手配しよう。ただし、移動中は軍の指示に従ってもらうぞ」


「ありがとうございます!」


メルディアはほっと息をついた。リゼルまで行けば、仲間たちとの距離はずっと縮まる。


三人が見つめる地図には、ドルガ砦がまだ描かれていた。


◇


ドルガ市街の魔王軍守備隊に、砦から一人の兵士が戻ってきた。


鎧はへこみ、全身が土埃にまみれている。武器もない。将校はすぐに報告を求めた。


「砦はどうなった?」


「……消えました。王国軍の魔法で、城壁も建物も全部です」


「守備隊は?」


「分かりません。俺は外側にいて、飛んできた石に当たりました。ほかの者の姿は……」


兵士は言葉を詰まらせた。助けを呼ぶ声さえ、あの雷鳴の中では聞こえなかった。


将校はしばらく黙り、目の前の兵士に視線を戻した。


「負傷したのか」


「脚を。立てないほどでした」


「なら、どうやってここまで戻った」


「……人間に治療されました」


「人間に?」


「若い女です。回復魔法で傷を治して、それで帰してくれました」


「何か要求されたのか。こちらの配置などを聞かれたか?」


「何も。ただ、戦うつもりはあるかと聞かれました」


「……なぜ助けたんだ」


「怪我をしているから、と」


将校は報告書に目を落とした。


「……その女の名は?」


「仲間がルシエラと呼んでいました。何者かは知りません」


将校はその名前を書き留め、兵士に休むよう命じた。


戸口まで歩いたところで、兵士が振り返る。


「将校殿。敵なのは分かっています。でも、助けられたのは本当です」


「……分かった。報告にはそのまま記す」


兵士を見送ってから、将校はもう一度書類を確かめた。


砦は失われた。守備隊の安否も分からない。そして、生還者の一人は敵の少女に治療され、見逃されたという。


『王国軍側にルシエラと呼ばれる少女。負傷した当軍兵士を治療し、解放』


将校はその一文を書き添え、伝令を呼んだ。


砦消滅の報告とともに、これも上へ送らなければならない。


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