01.一騎駆け
大陸唯一の魔物の生息地と接近しているシェルストレーム辺境伯領。
領内西部に位置するとある丘陵にて――
「おい見ろよあそこから出てくる魔物の数」
「ああ、20は超えているぞ」
近くで哨戒任務に当たっていた2人の兵士が、見張っていた眼前の針葉樹林の入口から出てきた魔物の姿を視認し、戦慄していた。
それも無理からぬことだ。
今ここにいるのは、哨戒中に魔物の群れに気付き、慌てふためきながらこの丘陵へ逃げ込んできた件の兵士2人。
そして兵士たちと同じシェルストレーム辺境伯領を守護する泰西騎士団の従騎士、ブライス・ユンベルグと合わせ、3名だけ。
ブライスに至っては、騎士団中隊長の指示により斥候の任で赴いているだけである。
気取られないようやや離れた丘陵で身を潜めている。とはいえ、これほどの戦力差で敵と相対したのは、彼にとって人生初の経験だった。
「従騎士ブライス様、本当に我々の背後にキールステッド中隊長率いる騎兵隊が続いているんですよね?」
「ああ。……って、大丈夫か? 先ほども私はその隊から偵騎として派遣された者だと云っただろう」
偵察目的で部隊を先行するのは従騎士としてよくある任務である。
「す、すみません。魔物の群れを前にして頭がまだ整理できておらず……」
兵士の一人が顔面蒼白で呟く。何よりその顔色が、すでに軽い混乱をきたしているのを如実に表していた。
「と云いますと、我々にできることはその騎兵隊を待って共に戦うこと、でいいんですよね?」
もう一人の兵士が血走った目を、上官である従騎士に向けながら懇願してくる。
「そうは云ってもだな」
完全に萎縮してしまっている兵士たちに対し、ブライスは思わずぼやいてしまいそうになり、口を噤む。
(この森を抜ければ近傍の村落はすぐ目と鼻の先なんだぞ!?)
冒険者ギルドから魔物退治を請け負っていた傭兵たちから魔物襲来の急報が届いた。
後手から入った行動のため、騎士団の初動が遅れたのは致し方の無いことなのかも知れない。
なるほど確かにキールステッド中隊長が騎兵を率いて急行しているのだ。それしか対抗手段は無いに等しい。
しかしそれでハイそうですかと、この丘陵の上でみすみす見過ごしたとしよう。この害悪の群れが村落に差し迫っているという、現実から目を背けて。
それで将来、本当に胸を張って騎士爵という栄誉に浸ることができるだろうか。
(できる訳がない!)
「よし」
隠れるように屈んでいた身を、意を決して立ち上がる。近くにいた兵士たちが見上げる中、使い古した甲冑から軽く金属音が鳴った。
「狼煙を上げてくれ」
「えっ」
「それでは魔物にこちらの位置がバレてしまいます」
「味方に合図を送るためにここで人身御供になれと云うのか」とは口には出さなかったが、それが表情で感じ取れるくらいに、兵士2人が文字通り血相を変えていた。
「そうだな。だから狼煙は俺が敵を引き付けてから行なうように」
「……はい?」
目を丸くしている兵士を尻目に、ここからさらに距離を置いて待機させていた軍馬のもとへ向かう。
ブライスの愛馬シュテルナは、淡黄色の肌を持つ巨馬だった。
「ど、どうされるおつもりですか」
「敵を引き付けると云っただろう」
鐙に片足を引っ掛け、勢いを付けて騎乗する。
「無茶です!」という声を聞き流し、近くの岩壁に立てかけてあった鋼鉄製の騎槍を手に取る。
「すぐそこまで援軍が来ていると云ったじゃないか。だから狼煙を上げてくれよ」
「ブライス様、貴方様のお役目は斥候です。この状況を一刻も早く中隊長にお報せするのが優先第一では」
「ブライス様、ブライス様、見てくださいよあの魔熊」
「ん?」
ブライスは簡易的なものなら兵卒でも扱えるはずの魔法の制御が覚束ない。遠くを見ることができる魔法も安易に使えない。
目に負荷がかかる魔法制御に失敗したあかつきには、最悪失明もあり得るだろう。
よって、目を細めて正体を判別する。
兵士が指で示した魔物の群れの中から、大きくどす黒い赤色の体毛をした熊が一際目を引いた。
「レイジング・ベアか」
「奴には騎兵突撃すら効きません。いくら騎馬でも――」
「気を付ける」
「あっ」
手綱をしっかりと握り、両の足で軽く愛馬の腹を蹴る。
「ブライス様!」
背にかかる制止の声を気にも留めず、互い金属装甲で身を固めた愛馬シュテルナを駆り、一気呵成に丘陵を駆け下りる。
「来い魔物ども」
ここシェルストレーム辺境領の安全を保つことが、シェルストレーム辺境伯ご令嬢であるナターリエお嬢様に剣を捧げると誓った己が定め。
この一騎駆けに魔物たちも気付くが構いやしない。
魔物の群れから石や矢などが投擲されるが、時折射線ずらしのために小刻みにステップを入れながら最短距離を駆け抜ける。
そもそもたった一騎の駿馬が的だ。そうそう当たりはしない。
こちらに届いた飛来物も全て騎槍で払っていく。
魔物の群れに迫る直前、右手に携えた魔槍をしっかりと構え、騎槍突撃を敢行する。
――接敵。
群れの端に陣取っていた小鬼の姿をしたゴブリンを一突きし、吹き飛ばす。
そのまま突っ切った後、馬首を翻した。
これで奴らの目は完全にこちらに釘付けになった。
再度魔物の群れに飛び込む。
だが次に標的と定めた魔猿には避けられてしまった。
「くそっ。駄目だ」
ある程度動きの素早い魔物にはただの突進だと効果が無い。そこで効果を発揮するのが『人馬一体』と呼ばれる、魔法を駆使した騎馬突撃なのだが。
(使うか、いや)
ブライスは年齢的にはすでに騎士になっていてもおかしくはない。
それがいまだ従騎士に甘んじているのは、「魔法が制御できない」という欠陥があるからだ。
12歳の折り、あることがきっかけで重傷を負った。
それ以来、魔力を制御できなくなってしまったのだ。
制御が下手になったというより溢れる魔力を抑制できなくなった、という表現がより近いだろうか。
王国騎士、特に泰西騎士団の騎士は本来、乗っている馬ごと強化できる『人馬一体』の魔法が扱える。むしろ騎士になるための必須条件でもすらある。
しかし彼がそれを行なうと、魔力干渉が強過ぎて逆に馬を苦しめてしまうのだ。
かぶりを振る。
今なすべきことは、友軍が来るまでの時間稼ぎだ。
そもそも『人馬一体』は連続して行なえるようなものでは無い。
隊列を組んでこそその威力を発揮できる、一戦必勝の切り札だ。
注意するのはレイジング・ベア。これを足止めすることが彼が選んだ責務と云える。
(どちらにせよ魔熊には『人馬一体』は効かないしな)
再び馬首を翻す。狼煙は上がっている。
だが敵の注意はこちらのままだ。
「僥倖だ!」
三度目の突進。
今度は軍馬の速度に合わせて走り抜けに魔狼に横っ腹から飛び付かれる。
慌てて魔剣の鞘で叩き落としたが、危なかった。
走り去って馬首を返し、荒い息のシュテルナを撫でる。
「怖いのに有り難うな、相棒」
できるだけ群れの端を通過するようにしているが、危険なことには代わりない。
そしてまた魔物の群れへと駆け出す。
「っ!?」
魔熊が進路方向の延長線上に現れた。
ブライスは全身が粟立ち、戦慄する。
時間稼ぎは終わりを迎えたのだ。
前面可動式の鉄兜の隙間から映る恐怖は、丘陵から見ていた時の比ではない。
だが、物怖じしている暇すらない。
腹を括り、術式を展開する。周囲の魔素が連動し始めた。
(魔法を使うべき時は、ここだ!)
「『闘神デインよ、主の先兵として戦う我が身に力の恩恵を』!」
魔法を詠唱する。身体強化の魔法。
従騎士でありながらいまだ魔法を制御し切れておらず、今回は反作用として頭痛に襲われる。
しかし背に腹は変えられない。
今度は接敵する直前で騎槍を逆手に持ち替え、投擲する。
唸りを上げた槍は、シュテルナが通る道を拓きながら一直線にに魔熊に向かって行った。
相手の巨躯に見合う大きな爪で弾かれるが、妨害も無く接近に成功する。
シュテルナの背にある鞍から跳躍し、愛馬をそのまま走り去らせる。
こんな魔物の群れの中にも臆せず付いて来てくれる自慢の相棒だ。手塩に掛けた愛馬をこんな所で死なせるわけにはいかない。
得物は腰に下げている両手持ち用の魔剣。
同僚と比べてブライスの背丈は高い。しかしそんな彼より倍近くある体躯を誇るレイジング・ベアの頭上へと、舞い降りるように斬りかかる。
魔剣とは、魔力を帯びた金属で造られた希少な武器だ。そして常人では鞘から抜くことすら能わない。
常人では鞘すら抜けない。
そんな代物を使い熟せるという事実が、落ちこぼれとされるブライスがいまだ兵卒に落とされず、従騎士として名を連ねている証でもある。
それを魔熊の脳天目掛けて渾身の力で振り降ろす。
その直後、激しい金属同士のような衝突音が辺りに甲高く鳴り響く。
こちらの斬撃を爪で弾かれた。
着地とほぼ同時に魔熊の突進を地に転がりながら躱す。
素早く立ち上がる。地に這いつくばるこちらに目がけて群がろうとする他の魔物どもを、両の手で魔剣を旋回させて薙ぎ払った。
ゴブリンやオークといった魔物の中で、今の攻撃で致命傷を与えられたのは2、3体といったところだろう。
それでも斬撃による魔剣特有の剣圧効果もあり、距離を離す。
そんな周囲への警戒も緩めない中、再びブライスに迫り来る魔熊。
今度は全身ではなく、その鋭爪でもって仕留めに掛かってきた。
『身体強化』の魔法を纏った戦士でさえ、一撃で致命傷に追い込まれるほどの攻撃だ。
それを次々に魔剣で捌いていく。
彼が必死で身に付けた、魔剣を使って敵の攻撃を受け流すその戦闘技術は、文字通り自身の生死を分ける術だった。
名の通り、狂ったように鋭爪を四方八方に振り回すレイジング・ベアの攻撃に、他の魔物も近付けないでいた。
頭部全てを覆っている鉄兜の隙間から、ブライスは必死に敵の攻撃を目で追い続ける。それに合わせ、構える魔剣の位置も変えていく。
立ち位置も絶えず入れ替え、背後に隙を作らせないよう警戒しながら。
そんな中、魔熊の咆哮を聞いた時、彼は反攻の時が来たと確信した。
魔熊が一度身を翻し、両の前足を大きく振り被ったかと思ったのも束の間、頭上から両爪を振り降ろしてきた。
いや振り降ろすなどという生易しいものではない。それこそ全体重で押し潰すような勢いだ。
金属製の全身鎧など何の意味を為さない、必殺の一撃がブライスを狙ってくるが、それに怯んでいては活路など残されていない。
躊躇はいらない、いやむしろ考えるよりも先に身体が動いている。前に出なくては。それも敵の出だしよりも速く。
レイジング・ベアが大きく振り被った瞬間には大地を蹴り、瞬時に前進していた。
あの大きな前足では咄嗟に懐へと攻撃方向を転換できないはずだ。
「うおおおおお!」
こちらの元いた場所を、魔熊の両の前足が粉砕した。
その衝撃波を背中に感じながら、集中を切らさず魔剣が相手の左後ろ足を捉える。
そして着地。大地を滑りながら派手な土煙を上げる。
制止に手間取っている場合ではないのだが、制御が上手く行かず想定より大幅に突き進んでしまった。
その場でむりやり方向転換を試みる。
「っ!?」
その瞬間、彼の左足首が、負荷に耐え切れずに挫傷した。
『身体強化』の魔法は、身体能力を跳ね上げる魔法だが、その魔力に耐え得る身体がないとこうやって自滅するというなんとも皮肉の効いた代物だ。
「……まだだ!」
右足の痛みに顔をしかめながらも、その場で横薙ぎに剣を振るって周囲を牽制しながら即座に身を翻し、さらに魔熊の右後ろ足にも渾身の斬撃を振るう。
どちらの後ろ足も切断するような大きな痛手を負わせられなかったが、動きを封じることには成功したようだ。
その証拠に、この巨軀の魔物は先程とは声音の違う咆哮を吐きながらその場でのたうち回り、まともに行動できないでいる。
いつしか遠方から砂塵が上がっていた。
『遠視』の魔法が使える者ならば、離れていてもこちらの戦況を掴むことができる距離である。
ブライスが近くに落ちていた騎槍を回収する。
そして騎馬突撃用の槍と魔剣を左右に握る。
こんな物をそれぞれ片手で振り回している時点で命中精度などたかが知れている。
だが、最優先すべきは敵を倒すことではなく、その注意を引き、時を稼ぐことだ。
味方の存在を気にしなくていいこのような大立ち回りにはむしろおあつらえ向きの装備で、魔物の攻撃を両の武器で後先考えず全開でぶん回して往なしながら、接近してくる友軍を待つ。
そんな中、突如突風が吹き荒れた。
騎兵隊が攻撃態勢に入った証である。
それに気付いた魔猿が騎兵隊目掛けて岩を投擲したり、ゴブリン・アーチャーが矢を放つがもう遅い。
騎兵隊にとっては追い風、魔物たちにとっては向かい風となった魔法の効果でその威力は大きく削がれていた。
魔法により遥か遠くからでも襲歩で整列したまま騎馬突撃できる。しかも風魔法までその速度を支援しているのだからこちらへ到着するのはあっという間だった。
「――ぐっ!?」
しくじった。
ブライスが背中に激痛を感じた時にはもう、その身体は前方へと大きく吹き飛ばされていた。
背後から受けた攻撃は鈍器か、あるいは蹴りだろう。身体が真っ二つにならなかっただけ幸いだった。
「そのまま動くなブライス!」
魔法で膨れ上がった風に乗って、騎兵隊を指揮するキールステッド中隊長の発した大音声が辺りに轟いた。
無様に地面に這いつくばっていたブライスが、顔だけでもなんとか上げる。
その眼前には真横にずらりと並び、こちらへ猛然と疾駆する軍馬の群れが広がっていた。
目を見開き、思わず息を飲む。
騎乗した騎兵たちは皆槍を脇に構え、そして――
鎧袖一触。
間断なく整列された騎馬隊が魔物の群れを撫でた瞬間、大地を揺るがす轟音が辺りに鳴り響いた。
初投稿です。ここまで読んで下さり有難うございます!




