第6話 品位に関して一件
年次昇進審査は、騎士団本棟の第三会議室で行われる。
長机が三つ並び、奥に審査官が二名座っている。副団長のレンツ卿と、監察官のフーバー殿。手前に被審査者用の椅子が一脚。壁際に、証言者として呼ばれた騎士たちが五名並んで立つ。僕もその一人だった。
ヤン。二十歳。近衛騎士見習い。証言者として審査に立ち会うのは今回が初めてだ。
ディルク・ダナー先輩の審査は、午後の二番目に予定されていた。先輩は実力面では申し分ない。剣術の技量、体力測定、任務遂行の記録、上官からの評価。いずれも水準を超えている。昇進は順当だと、宿舎の誰もが思っていた。
審査には六つの項目がある。技量、体力、任務、規律、指揮適性、そして品位。最初の五つは数値と記録で評価が出る。品位だけは、同僚と部下からの所見を審査官が聴取する形式を取る。
ディルク先輩が椅子に座った。制服の襟が正しく整えられている。顔には緊張がある。以前の先輩なら、審査の場でも余裕のある笑みを見せていたはずだ。最近は笑い方が変わった。
技量から指揮適性まで、順に審査が進んだ。問題はなかった。レンツ副団長が書類を一枚めくり、最後の項目を読み上げる。
「品位について、同僚および部下からの所見を求めます。証言者に問いたい。ダナー騎士の品位に関し、報告すべき事項のある者は申し出よ」
壁際の証言者の列が静かになった。僕の隣に立つ先輩騎士二名が視線を落としている。知っているのだ。酒の席の話を。ただ、自分から言い出すかどうか迷っている。
僕は迷わなかった。迷う理由がない。聞かれたことに事実を答えるのは、見習いの務めだ。
一歩前に出た。
「品位に関して、一件、報告がございます」
審査室の空気が固くなる。ディルク先輩がこちらを見た。目が少し開いている。この場でその話が出ると思っていなかったのだろう。
「ダナー先輩とヘッセ先輩が、令嬢への求愛を賭けの対象にされていた件について報告いたします。春の末の夜会の前後に、ヘッセ先輩がダナー先輩に対し、壁際の令嬢を踊りに誘えるかどうかを賭けとして持ちかけた場に、僕は同席しておりました」
フーバー監察官がペンを走らせ始める。レンツ副団長は表情を変えずに「続けなさい」と言った。
「ダナー先輩はその後三ヶ月にわたり当該令嬢に求愛を続けられました。その間、複数の酒席で、求愛の経過をお話しになっています。僕が直接聞いたのは二回です。一度目は『三ヶ月かけて落とした』、二度目は『向こうも悪い気はしなかったはず』という趣旨の発言でした」
事実を述べた。感想は入れていない。先輩が何を考えてそう言ったのかは僕には分からないし、分からないことを証言に混ぜるのは正しくない。
レンツ副団長が他の証言者にも確認を取る。二名が、同様の酒席での発言を聞いたと認めた。ゴッツ・ヘッセ先輩の名前も挙がった。
先輩は審査官の質問に答えた。賭けがあったことを否定しない。反省している、と短く言った。声は低い。酒席で武勇伝を語っていたときの声とは別の響きだ。
「当該令嬢に対する謝罪は行ったのか」
「直接伺いましたが、受け入れていただけませんでした」
「その経緯を述べよ」
一瞬の間があった。それから先輩は、文書室を訪ねたこと、五分間の面会を受けたこと、来客記録に「所要五分」と書かれたことを話した。もう一度訪ねたが、受付時間を告げられて終わったことも。審査室の中で、何人かの騎士が息を詰めている。来客記録に所要時間を書くという行為の意味が、この場の全員に伝わっている。
「令嬢が訴えを起こす可能性は」
「ございません。あの方は何も求めておられません」
その答えが、審査室の中で一番重い言葉だった。あの方は何も求めておられません。訴えもしない。謝罪も求めない。復縁もしない。怒ってすらいない。何も。
何も求められないということは、何を差し出しても届かないということだ。それが、この件の一番深い傷なのだろう。
審査結果は「昇進保留」だった。追放でも降格でもない。品位の項目で問題が指摘され、半年後に再審査。ゴッツ・ヘッセ先輩にも同様の通達が出ると聞いている。
ディルク先輩は立ち上がり、審査官に敬礼をして部屋を出た。僕のそばを通るとき、目が合った。怒りは見えなかった。怒る相手が僕ではないことを、先輩は分かっている。
審査が終わった後、僕は文書室の前を通りかかった。正確には、通りかかったのは僕ではない。
王立文書館の総裁、テオ・ブルクハルト殿が、文書室の窓口に茶器を置いているのを見た。湯気の立つ杯が一つ。窓口の奥で写本を書いているクローゼ殿のために置いたのだろう。ブルクハルト殿は何も言わなかった。杯を置き、一歩下がり、それだけだ。
クローゼ殿が顔を上げた。杯を見て、それからブルクハルト殿を見た。
「審査の件は、お耳に入りましたか」
クローゼ殿の声は平坦だった。審査の噂はもう文書室にも届いているらしい。質問の形をしているが、感情が載っていない。確認しているだけだ。
「許すかどうかを、周囲があなたに急かすのは間違っています」
ブルクハルト殿はそれだけ言って、会釈をして廊下を去った。急がない足取りだった。振り返りもしない。茶を置いただけ。それ以上の介入をしない。
クローゼ殿は数秒間、去っていく背中を見つめてから、茶を一口飲んだ。杯を机の端に置き、写本に戻る。ペンの動きは、ブルクハルト殿が来る前と同じ速度に見えた。ただ、茶を置いた机の端だけが、さっきまでのあの場所とは少し違っている。何が違うのか、僕には正確に言えない。
僕はその一連の動作を廊下の端から見ていた。見ていて分かったことが一つある。クローゼ殿は、審査の件について何の感想も持っていなかった。結果がどうであれ、彼女の写本の手は止まらない。あの方は最初から、何も仕掛けていない。
宿舎に戻る道で、審査室でのやり取りを振り返った。僕が証言したのは事実だ。事実以外のことは何も言っていない。先輩の人柄が良いとも悪いとも言わなかった。賭けが冗談だったかどうかも判断しなかった。品位に関して報告すべき事項があるか、と聞かれたから、あると答えた。それだけのことだ。
ディルク先輩の昇進が保留になったのは、先輩自身が酒の席で語った言葉が、品位の基準に照らして問題だと判断されたからだ。僕はその言葉を審査室に運んだだけで、言葉を作ったのは先輩自身になる。
あの方は何もしなかった。壊したのは全部、先輩ご自身の言葉だ。




