第2話 以上、全件
目録の清書は、翌日の朝に始めた。
文書室用の目録用紙に、品名、受領日、状態を一行ずつ書き写していく。前夜に下書きした返送目録を元にしている。手順は写本の原典管理と同じだ。受領した物品を記録し、返却に際して状態を確認し、控えを取る。
一行目。花束、六月十三日受領。生花につき枯損。廃棄済み。ただし目録六行目の押し花を除く。
二行目。手紙第一通、六月十五日受領。便箋三枚。封蝋付き。開封済みにつき開封状態で返送。文面は記憶しているが、目録にその要約は書かない。手紙の中身は返送品の状態であって、読んだ私の感想は台帳の記載事項ではないからだ。
三行目。菓子箱。六月二十九日受領。木箱のみ返送。中身は消費済み。
四行目。革手袋、一組。七月十日受領。状態良好。仕立て寸法は私の手に合わせてあり、他者の使用には向かない。その旨を備考に書くかどうか迷い、書かなかった。相手にとって不要な情報だ。
五行目。銀の髪飾り。八月一日受領。状態良好。
六行目でペンが止まった。
押し花、六月十三日受領花束より抜取。一点。
花弁はすでに紙の色に近い。品名欄の罫線の上に載せて見ると、白い花と白い紙の境が曖昧で、品物というより痕跡に近かった。受領日は花束と同日だが、押し花にしたのは私の判断であり、贈り主の意図した品目には含まれない。つまり返送の義務はない。
義務がなくても返す。これは精算だから、帳簿に残高を残してはいけない。
ペンを動かした。押し花、一点。状態、乾燥済み。
七行目から十四行目まで。手紙の残り八通と、受領日順の補足品。すべて書き終えて、末尾に三文字を加えた。
以上、全件。
控えを取り、清書した目録を箱に同封する。箱の中には、目録に記した十四点が受領日順に並んでいる。手袋は元の仕切り紙に包み直した。髪飾りは布袋に入れてある。手紙九通は紐で括り、日付の古い順に重ねた。押し花は品名欄の罫線の形に切った台紙に挟み、仕切りの厚紙の下に入れた。
最後に手紙を一通添える。本文は一行。
「三ヶ月間のお心遣いに感謝いたします。同封の品はすべてお返しいたします」
二行にすることも考えた。だが二行目に書くべき言葉は見つからなかった。恨みでも怒りでもなく、この返送は事務処理なのだから、事務に必要な情報だけで足りる。
文書室の使い走りに頼み、騎士団宿舎への配送を手配した。配送伝票の宛先にディルク・ダナーの名を書く。文字の形は写本と同じ筆圧で、同じ速度だった。伝票を渡すとき、使い走りの少年が箱の重さに少し驚いた顔をした。三ヶ月分の恋の重さは、木箱一つに収まる程度でしかない。
午後になって、文書室の写本に戻った。外交文書の第三稿を清書する仕事が溜まっている。署名欄は空白のまま上官に渡す決まりで、完成した写本に私の名前は残らない。誰が書いたか分からない文書が、どこかの国境で使われる。手が動く。字を書く作業に感情は要らない。文章の意図を正確に読み取り、同じ意図を別の紙の上に再現する。それだけの手順だ。
三日間、その手順を繰り返した。箱を送った日の翌日も、翌々日も、写本の質は変わらなかった。
三日後の午前、文書室の受付窓口にディルク・ダナーが立った。
近衛の制服ではなく、私服の外套を着ている。休みの日に来たのだろう。受付台に両手をついて、息が少し荒い。走ってきたのか、それとも緊張しているのか。どちらでも手続きには影響しない。
来客記録簿を開いた。日付、来訪者名、所属、用件、所要時間。
「ダナー様。ご用件は返送物の確認と伺っております」
伺ってはいない。だが、用件をこちらから規定すれば、会話の範囲をそこに限定できる。写本の校正で覚えた技法だった。文意が曖昧な箇所には、先にこちらから解釈を書き込む。
ディルクの顔が強張った。
「違う、そうじゃない。ネル、あの夜のことだが」
名前を呼ばれた。三ヶ月間、夜会のたびに呼ばれていた名前だ。あの庭でも呼ばれたかもしれない。記憶が曖昧なのは、覚えていたくないからではなく、あの夜の月明かりが全部同じ温度に溶けてしまったからだ。
「誤解なんだ、頼むから話を——」
ディルクの声が低くなる。庭で聞いた声に近い。だが、控室で聞いた声もまた同じ人間の喉から出ていた。二つの声がどちらも本物なら、私が選べるのは、どちらを聞くかだけだ。
「ダナー様」
声を上げず、下げず、受付台ごしの距離を保つ。
「本日のご用件は返送物についてのご確認でしょうか。お品物に破損や不足がございましたら、文書室の書式にてご申告いただけます」
ディルクの手が受付台の上で握られた。関節が白くなっている。
「ネル、頼む。五分でいい」
「はい、五分と承りました」
来客記録簿の所要時間の欄に「五分」と書き込んだ。ディルクの目が、その手元をじっと追っている。書かれた文字の意味を、すぐには理解できなかったのだろう。所要時間を記録するという行為は、面会を業務として処理するという宣言になる。
五分の間、ディルクは話した。あの夜のゴッツとの会話は冗談の延長だったこと。最初は軽い気持ちだったが、途中から本当に、と言いかけて、ディルクの声が詰まる。彼の手が受付台の上で開いたり閉じたりしている。落ち着かない手だった。三ヶ月前、私を踊りに誘った手と同じ手が、今は掴むべきものを見つけられずにいる。
途中から、という言葉の先を、私は処理しなかった。聞こえてはいた。だが写本の仕事では、原典に書かれていない余白の文字を読む技術がある。逆に、書かれていない文字を読まない技術もある。今日の業務には、後者だけが要る。
「他にご用件がなければ、写本に戻ります」
五分が経っていた。来客記録簿の所要時間の欄に「五分」と書いてあるのだから、五分で終わらせる。記録と事実を一致させることは、写本係として当然の作業だ。
ディルクが立ち尽くしたまま、何か言おうとして、言わなかった。外套の裾を直して、一歩下がった。その一歩が重く見えたが、重さの計量は今日の業務に含まれない。
背中が廊下に消えてから、来客記録簿を閉じた。
備考欄には何も書かなかった。備考に書くべき特記事項はない。来訪者ダナー氏、用件は返送物の確認、所要五分。記録と事実は一致している。
窓から差す午後の光が、机の上の写本用紙を照らしていた。次に取りかかるべき外交文書の第三稿が、書見台に開いたまま待っている。
目録の控えを書棚にしまい、私は次の写本に取りかかった。




