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第8話 『社交界の天使』によるお手本



 ――お母様の社交ダンスをお手本にする。

 それが、私があの女に勝つための作戦の根幹部だ。


「この後も用事が入っているから、一度しか踊ってあげられないけれど」

「構いません! お手本が欲しいだけですから!!」


 あの女は、マリーお姉様に指摘するばかりで、一度も踊って見せなかった。

 お母様とあの女、どちらのダンスが上手いかは私は知らないけれど『社交界の天使』と呼ばれたお母様の動きをトレースしたダンスなら、七歳の子どもが目指すには十分の筈である。



 まぁ、そのためには一度でお母様のダンスを覚えなければならないけれど。


 ――できるっていう根拠が、私にはあるのよね。


 理由はよく分からないけど、私は何かを記憶するのに長けている。

 たったの四歳で、意味こそ分からなくても大人たちの会話を覚えていたり、まるで写真かのように、『あの時のあの光景』と思えば、本当にその時の光景を鮮明に思い出す事ができる。



 前世に照らし合わせるのなら、画像や音声保管に近い。

 それぞれに簡単なラベルが付いていて、まるでパソコンに保存した内容を探すかのように、単語で検索すると記憶がヒットする。


 何でこんな事ができるのかは、分からないけど。


「ではお母様。お願いします!」


 場所は、マリーお姉様があの女とダンスの練習をしていた、あの部屋だ。


 同じ部屋なのに不思議だ。

 あの教師の横暴さや傲慢さを強調するように見えていた強い斜陽が、お母様が立つだけで暖かな陽光に変わったような気がした。


 佇まいだけで、人の目を引くお母様。

 その姿に、思わず「ほぅ」と見惚れてため息を吐いた私だったけど。


「お母様、お一人で踊るの?」

「あ」


 そうだ。

 社交ダンスは二人一組で作るもの。

 お姉様が練習で一人で踊っていたから今までその存在を忘れていたけど、より完全な形を見たいのなら、パートナーは必須である。


 ……まぁ、どうせ試験はお姉様の一人ダンスなのだし、お母様一人でも問題はないのだけど――。


「お父様か執事を呼んできましょうか?」

「いいえ。皆お忙しいでしょうし、私も彼らの準備を待っている時間が残念ながらありません」


 そうだよね、仕方がない。

 そう思った時だ。


「ですから今日は特別に、ダンス相手を呼びましょう」


 お母様が、そう言って微笑む。


 呼ぶ?

 他の人が来るのを待っている時間はないのに?


 矛盾したことを言うお母様に私が小首をかしげれば、お母様はいつもの穏やかな笑顔にほんの少しだけ、いたずらっ子のような笑みを覗かせた。


「そう。私の呼びかけに応じて今すぐに、ここに来て踊ってくれる相手よ」


 そう言って、彼女はその名を呼ぶ。


「フローリア」


 ふわりと淡い影が舞い降りた。

 半透明の人影は、お母様を見て微笑む。


「お母様、その方は……?」


 お姉様が、その美しく幻想的な人影から目を離せないまま尋ねた。


「お母様の精霊よ」

「精霊?」

「この世には、私たちの生活を助けてくれる存在がいるの。私たちは彼らと契約を結び、共存しているのよ。この子はフローリア。花の精霊なの。――フローリア」


 お母様が呼びかけると、まるで言葉を交わさずともお母様の意図を察したかのように、頷いた。

 そして、フワリと居住まいを正す。

 次の瞬間、私は思わず目を見開いた。


 私にはその精霊が、花冠を頭に付けた女性に見えていた。

 しかしそれがほんの一瞬で、姿を男性へと変える。


「精霊はね、両性なのよ。どちらでもあり、どちらでもないの。だからこんな事も簡単にできるの。やはりダンスのパートナーは男性の姿の方が色々と分かりやすいと思うから」


 フローリアは、麗人と呼ぶに相応しいような容姿になった。

 中性的な顔立ちも相まって、前世で言うところの『おとぎ話の王子様』や『宝塚の男役』のような、物腰の柔らかさと理想を兼ね備えているというか。


 例えば誰かを『芸術作品』と比喩するのなら、きっとこういう人こそが相応しいのだろうと、そう思わせるような説得力があって。


「では始めましょうか」

「はっ! ちょっと待って!!」


 早速始めそうになったお母様を、慌てて止める。


「お母さま、踊り始める前に両足の靴を水で濡らしてほしいの!」

「水で?」

「うん! この部屋の床なら、足跡が残るでしょう? 後でお姉さまと一緒に使うの!」


 私の拙い説明に、お母様は「なるほどね」と頷いた。

 そして「それならもっといい方法があるわよ」と告げる。


「フローリア」


 コクリと、彼が頷く。

 そして、お母様の前に片膝をついて腰を落とすと、その靴に向かって両手を翳した。

 瞬間、淡い光がパァッとお母様の靴を包み込む。


「足跡の代わりに、私の軌跡には花弁が残るわ。半時としないうちに、消えてしまうけれど」

「ありがとうございます、お母さま!」


 お礼を言うと、お母様は目を細めて笑ってくれた。

 そして改めてフローリアと向かい合い、どちらともなくホールドの姿勢に入った。



 ポーラが、お姉さまが踊っていたのと同じ音楽をかける。


「うわぁ……!」


 感嘆の声が、お姉様から上がった。


 彼女の気持ちはよく分かる。

 滑り出したその足運びが、姿勢が、視線が、動きのすべてが美しい。



 右足、左足、ターンして、右足。

 その軌跡に淡く光る花弁が残るのも相まって、まるで絵画の一ページのようだ。


 緩やかな音楽に溶け込むような優雅な光景に、図らずもあの女が社交ダンスを『芸術』と呼んだ気持ちが、少しだけ理解できた。


 でも、それでも。


 ――だからって、何も知らない状態で、最初から芸術を目指すのは違うのよ。


 芸術にも社交ダンスにも前世今世含めて詳しくない私だけど、それでもこれだけは間違いないと分かる。

 この社交ダンスが芸術のレベルまで押し上げられているのは、基礎の上に表現が乗っているからだ。



 準公務員の仕事にマニュアル作業が多いのは、なるべく多くの人間が、いち早く一定水準以上の仕事成果を出せるようにするためだ。

 それを基礎として、+アルファを付けていく。


 +アルファを付けられない人は、マニュアル教育を揶揄されて『お役所仕事』と言われてしまう。

 この+アルファができる人間だけが、周りから『真心のある対応だ』と言われ重宝される。


 そういう人もたくさんいるけど、できない人の方が目立つから、公務員や準公務員は行政と繋がっている事が多いだけに、何かと「できて当たり前」と言われがちだから、できていない人が目について、不満を持たれてすべての公務員や準公務員の仕事を一括りに『お役所仕事』と言われたりする。



 でも、きっとそれは他のどの仕事でも同じだと思う。

 それは、芸術であっても例外じゃない。


 基礎を芸術レベルまでに昇華するためには、確かにたくさんの練習と、センスのようなものが必要なのだろう。

 でも、基礎を一足飛びにしていきなり芸術を求めれば、そりゃあ完成にまでは程遠い。



 そんな事を考えている間にも、音楽は流れ、ダンスは続く。


 お母様のドレスの裾がはためく。

 足さばきが洗練されていて、まるで運動量の多さを感じさせない。


 姿勢がずっと崩れず綺麗だ。

 上がった顔がダンス相手のフローリアを見据え、楽しげな微笑が美しい。



 その光景を、私は脳みそに焼き付けた。

 俯瞰して、しかしきちんと細部まで。


 そうしているうちに、あっという間に一曲が終わり――。


「それじゃあ私は、そろそろ行くわね」


 フローリアがフッと姿を消した。

 お母様がそう言って、お母様付きのメイドを連れて部屋を後にする。


「あ、そうだ。その『足跡』、少し経ったら消えてしまうから」

「分かっています。ありがとうございます、お母さま」

「お母様、とても……とても、お綺麗でしたっ!!」


 頭を下げた私の隣で、お姉様が興奮した様子で声をかけた。

 そんな私たちを交互に見たお母様は、両手でそれぞれに私たちの頭を撫で。


「頑張りなさい」


 そう言って、今度こそ本当に部屋を後にした。



 お姉様は、その後姿を目で追っていた。

 上気した頬は、彼女がまだ夢冷めやらぬ状況だという事を証明している。


 余韻に浸っているところ、少し申し訳ない。

 けれど。


「お姉様、一つお手伝いしてほしいのですが」


 元々水でお母様の足跡を付けるつもりだったので、時間で消えてしまうそれを残す手段をポーラにはあらかじめ相談していた。

 既に作業の準備は万端だ。


「私と一緒に、お母様のこの足跡をテープで順番に繋いでほしいのです! 時間との勝負です。なんせこの足跡は、半刻もしないうちに消えてしまうのですから!!」


 急いで!

 助けて!!

 手伝って!!!



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