第4話 お姉様に何しとんじゃワレェ!!
「はい、おぼえました!」
「え、すごいねセシリー。文字の読み書きは七歳から勉強する内容だよ?」
感心したのはキリルお兄様だ。
彼は今九歳。
もうすぐ社交界デビューという事もあり、既に文字の読み書きを始めとするある程度の教育を終えつつある。
かつて通った道だからこそ、なのだろう。
「僕、暗記は苦手だからなぁ。そんなに早く覚えられるなんて、セシリーはそっちに秀でているのかもしれないね」
いえいえ、ただの転生者です。
頭脳が大人だから下駄を履かせてもらっているだけです……とは言えないので、微笑んで「だったらいいな」と喜んでおく。
対するマリーお姉様は、どうやらちょっと落ち込んでしまったらしい。
「私、全部文字を覚えるのに三日はかかったのに……」
美人なお母様にとてもよく似た顔のお姉様が、困ったように眉尻を下げた。
こんな表情さえ絵になるのだから、美形ってすごい。
可愛い。
しかし、前世に照らし合わせれば、七歳の子どもが三日で文字を習得するなんて、かなり早い方だと思うけどなぁ。
今の私がそれを言ったところで説得力はないから言わないけど、そんなに自信なさげにしなくていいのに。
「マリーは、暗記関連は今のところ順調なんだろ? 苦戦してるのは実技の社交ダンスだって聞いたけど」
私もそれは聞いて知っている。
マリーお姉様に視線を向けると、首肯と共に言葉が続く。
「社交ダンスは、色々と考える事が多くて。それと私、どうやら体を動かすような事は、あまり得意ではなさそうです」
「僕とはちょうど正反対かぁ。才能を足して二で割れはちょうどいいけど、生憎とそれは難しいからなぁ……」
キリルお兄様が「ごめんね」と言った。
きっと悩んでいる妹の力になってあげたかったのだろう。
「こんな事くらいしか言ってあげられないけど、皆通る道だよ。頑張れマリー」
「がんばって!」
お兄様に追従する形で、胸の前でグッと両手のこぶしを握り、私なりに力いっぱい応援をした。
するとマリーお姉様は花の蕾が綻ぶようにフワリと笑い、「ありがとう」と言ってくれた。
可愛い。
そして、守りたいこの笑顔。
「それにしてもセシリア、何故急に文字の読み書きなんて始めたの? 昨日の事があったからかしら」
「昨日の事って?」
「セシリアが、『マリーシアが遊んでくれない』と言うものだから『お勉強で忙しいの』と教えたのよ。そうしたら『自分もマリーシアの年齢になったら、遊べない程忙しくなるのか』と聞いてきて」
お兄様とお姉様が二人して「あー」と、納得半分、憐み半分の表情になった。
そこには少なからぬ心当たりと、これから確実に私に降りかかるであろう未来への同情がありそうだ。
「でも『勉強は嫌』と言って逃げるとか隠れるとかなら分かるけど、何で嫌な勉強をやらなくていいうちから?」
キリルお兄様にそう聞かれ、私は「え、だって」と口を開く。
「どうせやらなきゃいけないんだったら、早めに始めた方が『せいしんえいせいじょう』の『こうりつ』がいいでしょ?」
「セシリー、難しい言葉を知っているね」
今度こそ本気で驚いたような顔になった、キリルお兄様。
私はそれに内心では「やべっ」と思いつつ、にっこり笑ってこう答えた。
「メイドが、この前言ってました!」
「一体どんな話をしたら、そんな言葉を使う会話になるんだろうね?」
笑って誤魔化しておいた。
◆ ◆ ◆
文字を全部覚えたから、今度はお姉様の社交ダンスの授業が見たい。
そうお母様に言ってみたところ、意外と簡単に了承が取れた。
やっぱり先に一つ実績を作っておくと、こういう時に役に立つ。
でも、多分お姉様が快く了承してくれたのも、すんなりと許可が下りた一因だったんだろう。
「少し恥ずかしいけれど」
そう言いつつも「いいよ」と言ってくれるあたり、お姉様は本当に優しい。
天使である。
普通、苦戦している科目の授業を誰かに見られるのって嫌がるんじゃないかと思う。
私ならそうだ。
その可能性だって覚悟していた。
もし断られていたらこっそり見ようと思っていたけど、その必要はなくなった。
しかし、雲行きがよかったのはここまでだ。
「少しでも邪魔をしたら、すぐに追い出しますからね」
お姉様と手を繋いでダンスの練習をする部屋に向かうと、そこには既に一人の女性が待っていた。
目の吊り上がった、人相の怖い人。
私が一緒に来た理由を聞いた彼女の、開口一番がコレである。
窘めや注意なら分かる。
でもこれは、間違いなく私を邪険にしていて、それでも仕方がなく許可してやった……そんな印象を受ける態度である。
お姉様に対しても似たような態度を取っている。
しかしそんな先生に、彼女はまるで抗議する気配がない。
代わりにその顔に張り付いた表情が、私には笑顔を模した仮面のように見えて。
可愛いお姉様の笑顔が、どこにもない。
――すごく、嫌な感じ。
勿論お姉様が、じゃない。
お姉様にこんな顔をさせる、相手の女が。
一緒に来てくれていたポーラが、椅子を持ってきてくれたので座った。
ここからは、ダンス練習用に用意された障害物のない広い部屋が一望できる。
私はそこで、地面に届かない足をブラブラとさせる事もなく、お行儀よく授業の様子を見ていたのだが……直感っていうのは残念ながら、こういう時にはよく当たる。
「もっとドラマティックに!」
「そこのステップは、妖精の瞬きのように!!」
「疲れが見えています! 根性が足りないのですよ、根性がっ!!」
やばい。
思いの他、酷い。
本当にこの人、雇った教師なの?
あまりにも教え方に問題がありすぎる。
前世で年に一度受けさせられていた、ハラスメント講習の悪い例のオンパレードだ。
こりゃあ教わる方はしんどいよ。
ここまでは、そう呆れながら思っていたのだけど。
「そこっ! 違うと何度言えば分かるのですかっ!!」
授業の開始と共に流れ始めたクラシック音楽。
優雅なその音を、バチンという音が引き裂いた。
彼女の持つ指示棒が、マリーお姉様の腕に振り下ろされる。
またパチンという強い音がする。
「もっとこの腕を上げる!」
「申し訳ありません」
お姉様が、痛みに少し顔を歪めながら謝罪した。
……は?
私の可愛いお姉様に何しとんじゃワレェ!!
暴力は流石に論外じゃろがいっ!!




