第10話 強くなった私 ~マリーシア視点~
朝。
久しぶりに憂鬱を感じることなく目覚める事ができた現実が、少し不思議で嬉しかった。
メイドが起こしに来て開けたカーテンの向こうは、綺麗に晴れ渡っている。
窓の外にある庭園に撒かれた水が、朝の淡い陽光に照らされてキラキラと光り輝いていた。
――久しぶりな気がするわ。
窓の外の景色を「綺麗だな」と思えるのなんて。
私はそんなふうに独り言ちる。
七歳になって、お勉強が始まった。
急に忙しくなり、でもお兄様も通った道で、妹だって見ている。
私もお兄様のように、セシリーのお手本にならないといけない。
そんなふうに思っていて。
――無理していた、のだと思う。
懸命に笑っていた。
大丈夫なふりをしていた。
そんな私を見つけてくれたのは、一番小さな妹だった。
「マリーシアお嬢様、朝食のお時間です」
「ありがとう。行きましょう」
着替えをして身支度を軽く整えて、メイドと一緒に食卓に向かう。
お勉強が始まった今、数少なくなった家族のだんらん。
その場所である食卓に顔を出すと、既にセシリーとお兄様が楽しげに話をしていた。
「おはよう、マリー」
「おはようございます、マリーお姉さま!」
「おはようございます、キリルお兄様、セシリー」
挨拶を交わしながら席に着くと、私が「二人で何の話をしていたのですか?」と聞く前に、質問が飛んでくる。
「ついに今日だね。よく眠れた?」
「はい。思ったよりずっとぐっすりと眠れて、朝も清々しい程にパッチリ目が覚めて、むしろその事に驚いているくらいです」
「そっか、気負いがないようでよかったよ」
お兄様が、そう言って優美に笑う。
顔こそ私の方がお母様に似ている自覚があるけど、お母様の穏やかな性格はお兄様の方がよく引き継いでいる。
少なくとも私は、お兄様が取り乱しているところを見た記憶がない。
私にもセシリーにも当たり前のように優しくて、困りはするけど怒ったところを見た事なんて一度もない。
容姿こそお父様の精悍さも半分引き継いでいるお兄様が笑えば、それだけで場の気温が暖かくなるような錯覚を受ける。
そのお兄様がこうして笑っている現状に、自分自身で『今日という日に気負いはない』と思っていた私だけど、外から見えてもそう見えるのだと実感できた。
それがまた一つ自信となって、自分の胸の内にストンと落ちたような気がした。
「この三日、お姉さまはとってもがんばりました! そのがんばりが、昨日の『ぐっすり』に繋がったんだとおもいます!」
セシリーがそう言って、むんっと胸の前で拳を握りしめる。
可愛らしい妹の肯定に、私はまた一つ落ち着いた。
そうだ。
お母様にお願いして、この三日間はダンス漬けの日々だった。
頑張った。
できる事はやった。
だから大丈夫。
私はあのダンス教師・レイチェル様との勝負に必ず勝てる。
そう、自分を信じてあげていい。
ダンスを「苦手」だと思っていた自分は、もうどこかに吹き飛んでしまった。
「残念ながら今日は見に行けなさそうだけど、昨日ちょっと見ていたよ。上手だった。落ち着いて、気負わず、楽しく踊ったら大丈夫だよ」
兄の激励、妹の献身。
それらを受けて頑張れない妹は、姉はいない。
「はい! ありがとうございます、お兄様! 私、頑張って勝ってきます!」
◆ ◆ ◆
「三日経ちましたので、結果を見に来ましたよ?」
使用人に通されてやってきたレイチェル先生が、いつものダンス部屋の入口に立ってそう言った。
元々難しい人だった。
厳しい人で、分かりにくい指示をし、日によって形容句が変わり、気分によって指摘内容が正反対だったりする事も多かった。
そんな彼女にセシリーが、私の代わりに啖呵を切ってくれたのが、三日前。
その時の私は、一人矢面に立つセシリーの背中を、不安に押しつぶされそうな心を抱えて見ているしかできなかったけれど。
「謝罪の準備はできましたか? 試験なんてしても意味はありません。三週間も私が教えて進歩しなかったものが、たったの三日、しかも教師を付けずに独学でやって上達などできる筈もないのだから――」
「それは、見てからおっしゃったらどうですか?」
あれだけ喉元につっかえて言い返す事ができなかった過去がまるで嘘であるかのように、すんなりと言葉が喉から滑り出す。
「……は?」
ギロリと睨まれた。
その冷たく威圧的で恐ろしい目に、三週間にも渡る厳しい教育を思い出す。
一瞬怖気づきそうになったけど。
――セシリー。
視線の先に、可愛い妹の姿を見つけた。
彼女が全身で「頑張れ」と言ってくれている。
そういう顔をしている。
無駄に全身に力が入っているし。
「ふっ」
思わず笑みがこぼれた。
その瞬間に、重苦しくまとわりついてきていた過去が浄化されたような気分になって。
「見る前から決めつけで降参を求めるなんて、まるで負けるのが怖いように見えますよ」
「なっ」
お母様なら、多分こういうふうに言う。
もう七歳だからと言って、この前他貴族との、内輪のお茶会に行ってきたのだ。
その時に、ちょっと意地悪な相手に対して、お母様は笑顔で似たような事を言っていた。




