第11話 結果と悪足掻き ~マリーシア視点~
お母様の真似っこは、どうやら上手く行ったらしい。
彼女は、明らかに怒っているのに言い返してこない。
初めてレイチェル先生に言い返した。
やり返せた。
その事実がまた一つ私の中に、成功体験として蓄積される。
彼女は不機嫌を前面に出して、ドカドカと室内に入ってきた。
用意してあった椅子に乱暴に座る様子は、彼女がいつもよく私への指導文句として使っていた『貴族として当たり前の優雅さ』の欠片もない。
「それでは先生、あらためて。この三日で、マリ―お姉さまがちゃんとダンスを踊れるようになっていれば私たちの勝ちです。あなたには円満に、お姉さまのダンス教師を辞めていただきます」
「マリーシア様が踊れなかったら、私の勝ち。その場合はマリーシア様の指導は継続……いえ、今までより一層厳しくしなければね。《《優しく》》教えても進歩がみられないのだから。その上で、貴女のダンス指導もさせていただくわ。貴族界の常識や礼節・節度も併せて、みっちりと教えてあげるわよ」
脅し文句とも言えるレイチェル先生の言葉に、セシリーはニコリとほほ笑んだ。
すごい。
こんな事を言われたら、普通は怖くなるものだ。
不安になるものだ。
それなのに。
セシリーは私に頷いた。
信じているよ。
大丈夫だよ。
昨日の通りに踊れば、大丈夫だよ絶対に。
そんな信頼が聞こえてきたような気がして、私は目を閉じ、深く息を吸う。
息を吐いた。
同時に、ダンスの課題曲が流れてくる。
聞き慣れたその曲が、耳心地いい。
穏やかな気持ちのまま、ホールドの体勢に。
開いた窓から入ってくるそよ風を頬に感じながら、ここ三日の記憶を呼び起こし、閉じていた目をゆっくりと開けて、一歩目。
右足、左足、右足、ターン。
滑り出すように流れるように、私はステップを踏み始めた。
腕の位置はずっと肩と平行に。
上半身は動かさない。
視線は上、相手の顔へ。
ステップを踏み出す足は、もう行先に迷わない。
昨日、セシリーと二人で剥がしたステップの導線。
まだ記憶に残る見えない軌跡を、なぞるようにしてただ踏めばいい。
Aステップグループが終わったら、次は、B、C、そしてAに戻る。
次がEで、またBへ。
暗記は得意だ。
体を動かすのは苦手だと思っていたけど、暗記した事を、体に刷り込んだ物を順番通りに行うだけなら簡単だ。
苦手意識を持つ必要は最初からなかったのだ。
ステップの途中で見えたセシリーの目が、キラキラと輝いていて少しくすぐったい。
曲は、五分ほどしかない。
音楽が終わりに近づいていく。
あぁ、楽しい。
こんなに楽しいと思えた事が嬉しくて、私は思わず笑ってしまった。
くるりとターンした拍子に気が付く。
出入り口にお兄様が立っている。
――行けそうにない、と言っていたのに。
時間を作って来てくれたのだろうか。
やはりお兄様は優しい人だ。
お兄様が、ちょっと驚いたような、それでいて嬉しそうな顔になっている。
その事が私も嬉しくて、初めて曲に「終わらないで」と願って。
最後の一音が、音楽の再生機から流れた。
私は最後のステップを踏んで、ピタリと止まり、ホールドを解く。
最後の最後で難癖をつけられては勿体ないと、セシリーと二人で考えた通り、レイチェル先生の方に向かって一礼まで忘れずに行った。
セシリーが、小さな手でペチペチと拍手をしてくれる。
大人の拍手はセシリーのメイドのポーラのもので、斜め後ろから聞こえてきたもう一つは、きっとお兄様のものだろう。
昨日、お母様が一度だけ見てくれた。
その時に太鼓判を押してもらった時より、何倍も上手く踊れた実感がある。
大丈夫だという確信と、先生を見返す事ができた爽快感に、私は多分笑っていた。
しかし先生の次の一言で、その顔が凍り付く。
「不合格です。何ですか今のは。まったくもって下手だったわ!」
「え……?」
声が出なかった。
何故、どうして。
そんな言葉だけが頭の中をグルグルと回る。
「何がどう、だめだったのですか?」
セシリーが、先生を睨み上げながら聞く。
「何って、すべてよ! 王族にダンスを教えていた事もあるこの私が、今のダンスに芸術を感じなかった」
具体性がない。
こんなの、言ったもの勝ちだ。
「それどころかここ三日で更に幼稚さが増したのではない? さぁ、勝負は私の勝ちよ。マリーシア様への指導は一層厳しく、セシリア様への指導も、楽しみに――」
「あぁもう本当に。貴女は」
セシリーが小さくそう呟いた、のだと思う。
私の耳に声は聞こえなかったけど、その代わり口の形がそう言っていた。
妹は笑っている。
どうして?
こんな、私だけじゃなく貴女も将来、こんな理不尽な教育を受ける事が確定してしまったのに――。
「私はこの勝負を始める前に、きちんと確認しましたよ? 私たちの勝ちの条件は『マリーお姉さまがダンスを踊れるようになっている事』だと。お姉さまは今回ただの一度も、ダンスを間違えませんでした。つまり【合格】です」
「そんなの、貴女如きに分かる筈が――」
「分かりますよ。お母さまのダンスを暗記しましたから。まぁ、貴女が度々相手にしている王族の――王妃様の友人であり、社交界でも評判だという話の、お母さまのダンスを信用されないのであれば、話は別ですが」
レイチェル先生の言葉を遮って、セシリーがそう言い放つ。
それでも尚食い下がるのが、レイチェル先生だ。
「私は芸術を感じなかったと――!」
「貴女が社交ダンス競技の審判や審査員であるなら、芸術点という類のものを付けても信ぴょう性があるのでしょうが、そうではないでしょう? であれば、芸術かどうかの判断基準は各々の心の中にあり、明確な価値指標などないという事です」
社交ダンス《《競技》》?
そのようなものが存在するの?
「貴女が二週間かけてできなかったことを、私は三日で完了させました。これは貴女の指導能力の欠如、明確な『債務不履行』です」
さいむふりこう?
よく分からないわ。
セシリーは難しい言葉を使うのね……。
でも。
その言葉を叩きつけられた先生の顔が、みるみるうちに顔を赤くしていく。
「その上、暴力行為に精神的苦痛を与える行為……立派な『コンプライアンス違反』です。『立つ鳥跡を濁さず』と言いますし、ここまで来たらもう観念して、せめて美しく終わりませんか?」
「~っ、生意気な、生意気な子どもがぁっ!」
ついに感情が爆発した、という感じだった。
「私は王妃様からの紹介なのよ! 伯爵家ふぜいが私を解雇できると――」
「その物言いは、理解に苦しみますわね」
鈴の音のような、凛とした声が室内に響いた。
優しくも力強い、しなやかで穏やかな、この声は。
「お母、様……?」
その名を呼ぶと、兄の後ろに立っていたお母様がニコリと笑ってくれた。
「クレアリンゼ様?!」
何故ここに。
そう言いたげに表情を歪ませたレイチェル先生に、母の視線が再度向く。
「こんにちは、先生。先程から、たまたまあちらの庭園である方とのお茶会をしておりまして。ちょうどこの部屋が見えておりましたの」
そう言って美しくも不敵に笑ったお母様は、コツリコツリと室内に入ってくる。
「窓も開いておりましたので、きちんと音楽も聞こえておりましたわ。音楽にも合っていたし、姿勢もよかった。楽しそうにできていたし、足運びにも迷いなく、終始ミスなく踊っておりましたわ。なのに、とてもよいダンスを踊っていたから、労いに声をかけに来てみたら……何です? これは」
「い、いえ、その」
「クレアリンゼの末娘の疑問の答え、私も詳しく聞きたいわね」
「お、王妃様!」




