作られた悲劇
夜の帳がゆっくりと降りるころ、ルーヴェイン王立学園の中庭は、昼間とはまるで別の顔を見せていた。
白い石畳の上に張られた布は柔らかな灯りを受けて淡く輝き、花々は昼よりも濃く色を主張する。楽師の奏でる音が空気を満たし、笑い声とグラスの触れ合う音が、穏やかに重なっていた。
リナリアは中庭の端、装飾の影に紛れるように立っていた。
手には今回のパーティー設計図。視線は落としているが、意識は常に周囲へ向けられている。
(始まったわね)
現場責任者として残ることに、誰も疑問は持たない。
だからこそ、ここは観察できる場所になる。
生徒たちが集まり始めると同時に、空気が変わった。
静かだった準備の場は、一気に噂が流れる場へと変わる。
「ねえ、あの時の話知ってる?」
「婚約破棄のやつでしょ?」
「カメリア様、完璧な淑女って言われてたのにねぇ」
断片的な声が、風に乗って流れてくる。
リナリアは動かない。ただ、拾う。
「香水、わざと壊したんでしょ?」
「ドレスも汚したって…」
「怖くない?いくらレオン様の婚約者といえどね…」
「エリシア様も可哀想よね」
(やっぱり)
令嬢たちの噂の内容は揃っている。
言葉も、温度も。だが、その出所は揃っていない。
「あなた、それ見たの?」
「え?ううん、私はリリーナ様から聞いたの」
「私も。リリーナ様が詳しく話してくださって」
リナリアの指先が、わずかに設計図を押さえた。
(リリーナ、そしてエリシア)
このパーティーで耳にした、カメリアの噂話に出てくる、何度目かの名前。確実に証言に関与している側だ。
そのときだった。
少し離れた場所から、弾むような声が聞こえる。
中庭から外れた、回廊の方だ。
灯りの届きにくいその場所は、賑わいから一歩引いた静けさに包まれていた。
石壁に沿うように並ぶ装飾の影の中、二つの影が重なる。
リナリアは柱の陰に身を寄せたまま、呼吸を浅く整える。
聞こえてきたのは、先ほどとは違う声の温度だった。
くすくす、と小さく笑う。
昼間とも、人前とも違う笑い方。
「ねえ、ほんとにうまくいったわね」
男爵令嬢の声は弾んでいる。隠そうともしない軽やかさ。
その隣に、もう一人。
落ち着いた色合いのドレスを纏った令嬢。
華やかさはないが、視線の置き方が静かに周囲を捉えている。
「思ったより簡単だったわ。だってあの人、全然警戒してなかったもの」
「……周囲の視線が集まる位置で動かれたのは、良い判断でしたわ」
淡々とした評価。
褒めているようで、どこか線を引いた言い方。
男爵令嬢は気にした様子もなく、くるりと軽やかにその場で回る。
「ああいうのって、タイミングよね。ちょっとぶつかるだけで、あんなに大事になるなんて思わなかったけど。香水も、ほら。ちょうどいい高さにあったし」
指先で、空中に何かをなぞるような仕草。
香水が倒れる瞬間をなぞるように。
リナリアの視線が、わずかに細まる。
(やっぱり)
偶然ではない。
すべて、意図された動き。リリーナはその様子を見ながら、わずかに視線を伏せた。
「……あとは、事実の伝え方次第ですわ」
「そうそう、それ!私がぶつかって、あの人が倒れそうになった時、偶然香水に手が触れてしまっただけなのにね!あなたが、カメリア様がわざと私にぶつかって、香水とドレスを壊したって言ってくれたおかげよ」
男爵令嬢は本当に嬉しそうに話を続ける。パーティーで気分が良くなっているみたいだ。
それとも、油断だろうか。まさか学園に自分を陥れる者がいるとは思ってもいないのだろうか。
「リリーナが見てたって言ってくれたから、みんな安心して話せたのよね。カメリア様がぶつかったのを見た気がするって」
エリシアが、くす、と笑う。
無邪気で、悪意の自覚が薄い笑い。
「私が悲鳴をあげて、初めてみんなこっちを見たのにね?でも、本当のことなんてどうでもいいか!」
その一言が、やけに軽く落ちた。
「本当はみんな、あの人が落ちぶれる様が面白いのよ。完璧な淑女とか呼ばれてたのに、嫉妬に狂って嫌がらせするような女に成り下がった、ってね」
夜気が、一瞬だけ冷える。
リリーナはその言葉に対して否定も肯定もしない。
ただ、静かに視線を上げる。
「……エリシア様」
「なに?」
「ここは、学園ですわ」
短い制止。それ以上は言わない。
だが意味は十分だった。
エリシアは一瞬だけきょとんとしたあと、すぐに笑った。
「ああ、そうね。うっかり」
まるで本当に、うっかりしただけのような顔。
けれど、その瞳には反省の色はない。ただ、遊びの延長のような軽さだけが残る。
「でも安心して。ちゃんと可哀想な私でいるから」
くるりと背を向ける。
その仕草すら、どこか楽しげだった。
「エリシア!」
明るい広場の方から、レオンがエリシアを呼ぶ。
エリシアは何の迷いもなく光の方へ歩き出す。
リリーナは一歩遅れて、その背を追った。
去り際、ほんの一瞬だけ。
周囲を確認するように視線を巡らせる。
その目が、柱の影をかすめる。
リナリアは、微動だにしない。
静寂が戻る。
遠くから、再び華やかな笑い声が流れてきた。
(確定ね)
カメリアは、嵌められた。
偶然ではない。
事故でもない。
意図して作られた場と、証言。
そして、
(この二人だけじゃない)
リナリアはゆっくりと息を吐く。
リリーナの言葉は整理されすぎていた。
エリシアの動きも、初めてにしては迷いがない。
誰かが、手順を教えている。
もっと上で。
リナリアは影から離れた。中庭の灯りが視界に戻る。
その光の奥にあるものを見据えるように、静かに歩き出した。




