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姉が悪役令嬢にされたので、商人の妹が嘘を暴きます  作者: ゆきだるま
第一章

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現場確認


その日、リナリアは早朝から商会の机に座っていた。

いくら姉の真相を明らかにしたくても、通常業務を疎かにするわけにはいかない。シルヴィオとの約束もある。何より、自分自身がそれを許さなかった。


整えられた書類の束と、乾いたインクの匂い。

人の動きは少ないが、その分だけ一つひとつの判断が重く沈む空間だった。


窓の外では市場へ向かう荷車の音が遠く響いている。

生活の喧騒とは切り離されたこの場所で、商会の時間だけが規則正しく流れていた。


リナリアは机の一角で、一枚の依頼書に視線を落とす。


「ルーヴェイン王立学園・催事設営」


簡潔な文字の裏で、すでに複数の人間と工程が動いている案件。

アルヴェスト商会が正式に請け負い、その一部は下請けへと流されている。

指先で紙の端を押さえたまま、短く息を吐く。


(なら、次は現場ね)


物の流れは掴んだ。

あとは、それがどう使われたか。

告発の場となり、証言の多くが生まれた場所。

ルーヴェイン王立学園。


「現場を見てくるわ」


その一言に、エルンはすぐに反応した。帳簿を閉じ、必要な書類だけを抜き出していく。


「同行の手配はいたしますか」


「いらない。責任者として確認するだけで十分よ」


迷いのない返答だった。

エルンはそれ以上踏み込まず、商会印の準備へと移る。


手続きは淡々と進み、数分後には現場確認担当としての書類が整えられていた。


「……あまり目立たない方がよろしいかと」


書類を差し出しながら、エルンが低く付け加える。

リナリアはそれを受け取り、小さく頷いた。


「分かってるわ」


シルヴィオに商会の力を使うなと念を押されている以上、通常業務の中で情報を掴んでいけるように仕組む方が効率がいい。

今回の視察は、あくまで通常業務の範疇、ということに仕組んだ。



リナリアは帳場を離れた。

向かう先は、ルーヴェイン王立学園。


 


学園の中庭は、すでに催事の準備で形を成し始めていた。


白い石畳の上に仮設の装飾が組まれ、淡い布が柱から柱へと渡されている。花飾りはまだ配置の途中で、風に揺れるたびに色の濃淡が揺らいだ。


作業をしているのは、アルヴェスト商会が斡旋した下請けの職人たちと、設営を管理する生徒会の人間のみ。


一般の生徒の姿はまだない。


(準備段階。想定通りね)


リナリアは帳面と指示書を手に、現場の導線をなぞるように歩く。


配置、動線、進行の遅れ——どれも問題ない。あくまで仕事としての確認を崩さないまま、視線だけを広く保つ。


そのとき、中庭の奥から足音が近づいてきた。

自然と、場の空気がわずかに整う。


現れたのは、二人。


一人は青年だった。

整った身なりと姿勢。だが、それ以上に印象に残るのは、力の抜け方だった。無駄のない歩き方ではあるが、緊張感が薄い。周囲には目を配っているが、細部まで見ているわけではない。


整っているのに、鋭くない。


公爵家の人間特有の格式はある。だがそれは研ぎ澄まされたものではなく、育ちの良さがそのまま形になったような、どこか柔らかい輪郭だった。


レオン・ヴァルクス。


そしてもう一人。


その半歩後ろに、当然のように寄り添う少女。

明るい栗色の髪を緩くまとめ、歩くたびに軽く跳ねる。装いは整っているが、どこかきっちりしすぎていない。気分のまま選んだような自然さがあった。

表情はよく動く。大きな目も口も、感情がそのまま外へ出ている。


「わあ、すごい!こんなに準備進んでるのね!」


声は明るく、よく通る。

場の空気を押しつぶさず、そのまま弾ませるような軽さ。

天真爛漫。その言葉がそのまま形になったような人物だった。


リナリアは一瞬だけ、二人の並びを観察する。

この二人が、姉の婚約者、そして婚約者を略奪した女。


婚約破棄など、なかったかのようなその距離の近さ。

二人の姿を見るだけで、胸の奥がスッと冷たくなる。


やがてレオンの視線が現場全体をなぞり、その流れでリナリアへ向いた。


「今回の設営を担当している商会の者か」


「はい。アルヴェスト商会、現場責任者のリナリアと申します」


声は落ち着いているが、圧は強くない。

リナリアは丁寧に頭を下げる。あくまで業務上の立場として。

レオンも同じく礼を返した。


「ルーヴェイン王立学園、生徒会運営責任者のレオン・ヴァルクスだ。今回の設営、問題なく進められているか」


「現時点では、滞りなく」


「ならいい」


レオンはそれ以上を深く確認する様子はなく、そのまま視線を外す。そのとき。


「ねえレオン様!」


陽の光を浴びてキラキラと輝く瞳をレオンに向け、男爵令嬢は身体を寄せ、くいと彼の袖を引いた。


「このお花、もうちょっと増やした方が絶対可愛いわよ!ね、そう思わない?」


弾むような声。遠慮がない。

レオンは満更でも無さそうに微笑み、一瞬だけ装飾に目を向け、しょうがないなぁと男爵令嬢の髪を撫でる。


「設計はもう決まっているはずだよ」


「えー、でも絶対その方が可愛いわ!」


「…そうかな?」


否定しきるでもなく、考え込むでもなく、その場で流れそうになる間。結論を出す前に、他人の言葉が入り込む余白。

リナリアはそのやり取りを、静かに見ていた。


(この人は——)


決して無能ではない。だが、自分で押し切る意思が弱い。衝突を避け、流れに合わせることを選ぶ。


視線を、男爵令嬢へ移す。

彼女はそんなことを一切気にする様子もなく、楽しそうに装飾を見ているだけだった。


無防備で、素直で、感情のまま。


(この女が、あの証言を?)


香水瓶。ドレス。繰り返された同じ内容の証言。

あまりにも整いすぎた話。

だが、目の前の人物は、それを構築する側には見えない。

むしろ逆だ。


(流される側)


だからこそ、違和感が残る。


(この女が中心じゃない。なら、誰が形を揃えた?)


リナリアは静かに帳面へ視線を落とす。


情報は揃いつつある。だが、核だけが見えない。

この場で得るべきものは、もう十分だった。


二人の距離。関係。性質。

商人として多くの人を見てきたリナリアの印象は、よく当たる。


そして、どちらも決定打ではないという確信。


リナリアは軽く一礼し、自然な動作で現場の確認へと戻る。視察を続ける。少なくとも、表向きは。


中庭を抜ける風が、布を揺らした。


整えられたはずの空間の中で、どこか一箇所だけが、まだ歪んでいる。


その歪みの正体を、リナリアはまだ掴めていなかった。

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