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姉が悪役令嬢にされたので、商人の妹が嘘を暴きます  作者: ゆきだるま
第一章

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線の向こう側


朝の市場は、いつもと変わらない喧騒に満ちていた。焼きたてのパンの匂いと、果実の甘い香り、荷車の軋む音。人の流れは絶えず、声は重なり、どこか雑然としているのに、そこには確かな秩序があった。


リナリアはエルンが集めてきた報告書を手に、通りの端にある店へと足を踏み入れる。


棚には香水瓶が所狭しと陳列され、帳簿をめくる店主の手は迷いがない。客の出入りも途切れず、淡々とした商売の気配だけが積み重なっている。


「この香水と、同じ形のものを」


リナリアが示したのは、エルンが持ち帰った証拠品と一致する瓶だった。透明なガラスに、やや深い色の液体が収まったもの。華美ではないが、貴族の間で流通するには十分な意匠だ。


店主は一度だけそれを見て、すぐに頷いた。


「おや、お客様もまとめてご購入ですか?」


「まとめて?」


「ええ。最近流行っているんですかね?かなりの数でした。香り違いも含めて、同じ意匠で揃えて」


さらりとした答えだった。そこに悪意も意図もない。ただ、取引の一つとして処理された事実だけがある。


「…失礼ですが、こちらを購入された方の名前を教えていただくことはできますか?」


店主は一瞬だけ目を瞬かせたあと、困ったように笑った。


「申し訳ありませんが、それは少々難しいですね」


「……やはり、ですか」


リナリアがそう返すと、店主は頷きながら、帳簿をそっと閉じた。


「個人のお客様の情報になりますので。どのようなご注文でも、基本的には外には出さない決まりになっております」


その言葉は丁寧だったが、揺るぎがなかった。


店の規模や扱う品を考えれば当然の線引きだ。商いは信用で成り立つ。情報もまた商品と同じように守られる。


リナリアは一度だけ視線を落とし、思考を切り替える。商会の力を使えば教えてもらえるだろう。だが、明確な線引きを破ることはできない。


もしかしたら、家名を言えば、帳簿を見せてもらえる可能性は上がるかもしれない。男爵家より上位の侯爵家ならば、顧客として手に入れたいだろう。でも、ここで嗅ぎ回っていることを知られるのはリスクになる。


「では、発注の仕方だけ、教えていただくことは出来ますか?」


「発注方法を、ですか?」


「まとめてのご注文とおっしゃいましたが、一括納品でしたか?それとも期間を空けて?」


店主は少し考えてから、再び帳簿を開いた。


「一括、ですね。かなり大口で。納品先も一つでしたので」


その一言で、空気の輪郭が少し変わる。

リナリアは静かに息を吐いた。


「……ありがとうございます」


深く頭を下げると、店主は何も気に留めた様子もなく、次の客へと視線を移した。



市場へ戻ったリナリアは、報告書に記されたもう一つの店へと足を向けた。裁縫店だ。


店先では、仕立て途中の布が風に揺れている。針の音と、布を測る声が静かに重なっていた。


「こちらのドレスと同じものを確認したいのですが」


示したのは香水と同じく、エルンが持ち帰ったドレスの記録だった。

店主は一度だけそれを見て、ほとんど間を置かずに頷く。


「……ああ、例の」


「例の、ですか」


「ええ。まとめてのご注文でしたからね。型も色も揃えて、大口で」


帳簿をめくる指先は迷わない。そこに特別な意味はない。ただ、商いとして処理された記録があるだけだった。


「納品は、一括で?」


「ええ。一度きりです」


短いやり取りだった。だが、それ以上を引き出す必要はないと、リナリアは直感する。


(同じだ)


香水の店と、まったく同じ構造。

どちらも同じものが大量に、一度に、同じ場所へ。


それ自体は不自然ではない。貴族が社交用に揃えることもある。だが、違和感は別のところにあった。


使われ方、だ。


リナリアは歩きながら、報告書の別の一枚を取り出す。そこには、エルンが集めた証言が記されていた。


——カメリアが香水瓶を壊した。

——カメリアがドレスを汚した。

——複数の場で同じ話が語られている。


しかし、それらの証言は妙に均一だった。誰もが同じ角度で、同じ言葉で語っている。

まるで、全く同じ状況が、複数の場で繰り返されたかのように。


「……作られている」


小さく呟いた声は、市場の音にすぐ飲まれた。

その時、背後からグンッと肩を引かれた。


「おい、前を見ろ」


「わっ!?え、あ、ありがとうございます…シルヴィオ」


一歩下がった目の前を馬車が駆け抜けていく。

肩を引く手を辿り、振り返るとそこに立っていたのはシルヴィオだった。


「何を熱心に見ていた」


「市場の仕入れ記録です」


リナリアが答えると、シルヴィオは一歩近づき、彼女の手元を一瞥した。


「…何か手掛かりでも見つけたか」


「はい」


短い沈黙。

周囲の喧騒が、二人の間だけ少し遠のいたように感じられる。

リナリアは短く答え、報告書の一枚を軽く指で押さえる。


「香水とドレス。どちらも、同じ形が短期間にまとまって購入されています。発注は一括。納品先も一つでした」


「一つの家に、か」


「はい」


その沈黙の間、馬車の車輪の音が遠くを横切っていく。シルヴィオは視線を上げずに言った。


「それが意図的なら、扱いは少し厄介になる」


「……ええ」


リナリアもそれは理解していた。

物が壊された、という事実そのものよりも、その壊されたという情報が、複数の場で語られていることの方が問題だ。


「市場の店には行ったのか」


「ええ。帳簿は見せていただけませんでしたが、購入は一括で、納品先も一つだと」


そこまで言うと、シルヴィオはようやくリナリアを見た。


「それ以上は?」


「今のところは、そこまでです」


シルヴィオは一度だけ息を吐く。

それは否定でも肯定でもない、ただの現実確認のような吐息だった。


「……動き方は悪くない」


そう言ってから、少し間を置く。


「ただ、これ以上は見えた形のまま追うな」


リナリアは視線だけを上げた。この上司は昔から分かりやすいアドバイスはくれない。けれど、無駄な話もしない。語る言葉には、必ず意味がある。


「形のまま、ですか」


「情報は整いすぎている。揃い方が不自然だ」


言葉は淡々としていたが、警告の温度はあった。

リナリアはすぐに頷く。


「……承知しています」


その反応を見て、シルヴィオはそれ以上は言わなかった。代わりに、ほんのわずかだけ視線を逸らす。


「お前がどこまで踏み込むつもりかは知らないが」


市場のざわめきの中で、聞き慣れた、温度のないその声だけがやけに近く感じられた。


「証言は、真実より先に整えられることがある」


リナリアはその言葉を、胸の内で静かに反芻する。


(整えられた証言)


香水、ドレス、そして同じ語り口の噂。

すべてが、一本の線に繋がる直前で、まだ形を持っていない。


「……ありがとうございます」


そう答えると、シルヴィオは軽く肩をすくめた。


「礼を言うような話じゃない」


一拍。そして、いつもの調子に少し戻る。


「それで、次はどう動く」


リナリアは迷わず前を見た。

市場の奥、人の流れの先。


「確認します。もう一度」


「何をだ」


「語られているものと、実際に起きたもののずれを」


その言葉に、シルヴィオはわずかに目を細めた。

そして何も言わず、ただ短く頷いた。


シルヴィオはそれ以上何も言わず、踵を返す。去り際に一度だけ、彼女を振り返ることなく言葉を落とした。


「……通常業務に支障を出すな」


それだけだった。


市場の喧騒に紛れて、その背中はすぐに人波へ消えていく。リナリアは報告書をもう一度見つめた。


男爵家の名。

それ自体はただの記録だ。だが、その裏で動いているものがある。

証言の均一さ。広がる速度。出来すぎた偶然。


(誰かが、流している)


香水でも、ドレスでもない。

物語、そのものを。


リナリアは静かに報告書を閉じる。

市場の空は、いつの間にか少しだけ陰っていた。


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