嫉妬
隣国の使節団を迎えた夜会は、いつも以上に華やいでいた。
磨き上げられた大理石の床。頭上で輝く無数のシャンデリア。弦楽器の優雅な旋律が流れる中、色鮮やかな礼装が行き交う。
その中心で。
リナリアは、控えめな微笑みを浮かべながらも、内心かなり困っていた。
「――本当に、息を呑むほど美しいな」
隣国の侯爵家嫡男、エドワルド・ロードハインは、感嘆を隠そうともしない。
銀灰色の髪に、鮮やかな青の瞳。いかにも女慣れした軽やかな笑みを浮かべる男は、リナリアと顔を合わせて以来、ずっと彼女の傍を離れなかった。
「その翡翠の瞳。まるで宝石だ。君の国の男たちは、よく声を掛けずに我慢できるものだ」
「……恐れ入ります」
リナリアは曖昧に微笑む。無碍に断っていい相手ではない。相手は隣国でも有数の侯爵家。その嫡男を雑に扱えば、外交問題になりかねない。
だからこそ、やんわり距離を取るしかないのだが。
「困った顔も可愛いな」
近い。距離が近すぎる。隣国の文化なのだろうか。さり気なく半歩下がったリナリアを見て、少し離れた場所にいたアルベリクが口を開いた。
「ロードハイン卿。彼女は既に結婚していてね」
「あぁ、聞いたよ」
思わぬ助け舟に、安心していたリナリアだが、エドワルドは気にした様子もなく余裕そうに笑う。
「なに、愛し合った者が勝つ。それだけの話じゃないか」
さらりと言い切り、そのまま慣れた手付きでリナリアの手を取った。
「それに……この堅物が相手かい?」
視線の先。隣国の使節団の相手をしながらも、静かにこちらを見ていたシルヴィオと目が合う。リナリアはシルヴィオを堅物呼ばわりするエドワルドに冷や汗が止まらない。
外交用の柔らかな笑みを浮かべているが、アルベリクは知っている。あれは機嫌が悪い時の顔だ。
シルヴィオはゆっくり歩み寄ると、完璧な所作で礼を取った。
「……妻が何か失礼でも?」
「いや。彼女に非は何も?ただ、私が虜になっているだけだ」
大抵の貴族は、シルヴィオの前に立つだけで萎縮してしまうものだが、エドワルドはむしろ楽しそうですらあった。
「彼女ほど美しい女性なら、国を跨いで奪う価値がある」
(面倒くさい……)
リナリアは内心で頭を抱える。そしてシルヴィオを見る。笑っている。笑ってはいるが、長年一緒にいるリナリアには分かる。あれはそろそろ限界の顔だ。
ふ、と。シルヴィオがアルベリクへ視線を向ける。無言。だが長い付き合いのアルベリクには十分過ぎるほど伝わった。
アルベリクは片手で額を押さえ、盛大にため息を吐く。
(……仕方ない)
隣国貴族を宥めるのと、有能な補佐官の機嫌を損ねるのなら。かろうじて前者の方が被害が少ない。諦めたように頷いた。
その瞬間、シルヴィオの腕が、後ろからリナリアの腰を抱き寄せた。
「……っ」
不意に引き寄せられ、リナリアの身体が小さく揺れる。そのまま自然な動作でエドワルドから距離を取らせると、握られていた手をそっと奪い返した。
そして、長い指先へ、恭しく口づけを落とす。周囲がざわつく。息を呑む気配。視線が一気に集まる。
「シ、ルヴィオ……?」
普段は軽々しく人前で触れてくるような真似はしない。リナリアの方が動揺してしまう。だが本人は涼しい顔のまま。
「彼女を満足させられるのは、私だけですので」
「――――っ!?」
ぼん、と。意味を理解した瞬間、リナリアの顔が一瞬で真っ赤に染まった。
「なっ……!? な、なにを……っ」
わなわな震える。耳まで熱い。普段なら絶対崩さない澄ました顔が、羞恥で見る見るうちに染まっていく。これで諦めるだろうと、シルヴィオがエドワルドに目を向ける。けれど。
「素晴らしい……!そんな顔まで愛らしいとは!」
「……はぁ」
とうとうシルヴィオがエドワルドを目の前にしても遠慮なくため息を吐く。本気で面倒になった時のやつだ。リナリアは嫌な予感しかしない。
「許せ」
耳元で低く囁かれる。
「え――」
言葉が終わる前に、そのままシルヴィオが口づけた。
「――っ!?」
ざわ、と会場が揺れる。人前。しかも隣国貴族も、アルベリクも、周囲の貴族たちも見ている。
なのに、触れた唇は、驚くほど甘かった。腰を抱く腕に逃げ道を塞がれ、熱がじわじわ身体を侵食していく。
リナリアの身体がびくりと震える。触れるだけの優しいキスだったが、やがてゆっくり唇が離れる頃には、リナリアはもう顔を上げられなかった。
シルヴィオは当然のように抱き留め、その顔を隠すように肩を抱いた。
「これ以上の説明は必要ありませんね?」
にこり、と微笑む。だがその瞳は笑っていない。完全に「これ以上絡むな」と言っている目だ。そのままリナリアを連れて立ち去ろうとした、その時。
「……なるほど」
エドワルドが、ふっと笑った。そして、シルヴィオの腕の中でぐったりしているリナリアを、楽しそうに覗き込む。
「翡翠の瞳が蕩けたあなたも、とても美しい」
「……っ」
リナリアの顔がさらに赤くなる。
「堅物に飽きたら、ぜひ私を指名してください」
にやり、と艶っぽく笑う。その瞬間、シルヴィオの瞳から完全に温度が消えた。外交問題一歩手前の、冷え切った視線。
けれどエドワルドは全く怯まない。むしろ楽しげに肩を竦めると、ひらりと片手を振った。
「ではまた、美しい人」
軽やかに去っていく後ろ姿。残されたアルベリクは、深々とため息を吐く。
(……あれを真正面から煽れるの、ある意味すごいな)
そしてその隣では。
「シルヴィオ!!何てことを…!!」
真っ赤なままシルヴィオにぷんぷん怒るリナリアと、
「あれが一番手っ取り早く終わらせられた」
不機嫌そうな顔で顔を逸らすシルヴィオが残っていた。




