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姉が悪役令嬢にされたので、商人の妹が嘘を暴きます  作者: ゆきだるま
第三章

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制裁

王城の執務室には、重たい静寂が落ちていた。


大きな窓からは太陽の光が柔らかく差し込み、机上に積まれた書類へ影を落としている。普段なら政務官たちの足音やペンの音が絶え間なく響くはずの部屋は、今は異様なほど静かだった。


アルベリクは書類へ署名を終えると、羽ペンを置く。そして向かいに立つ男を見上げた。


「地下牢へ行くつもりか」


「えぇ」


シルヴィオは普段通りの感情を読ませない表情のまま、淡々と答える。怒鳴りもしない。苛立ちも見せない。旧友であるアルベリクにも読み取らせない。けれど、シルヴィオの奥底に、煮え滾るような怒りが見える。


アルベリクは小さく息を吐き、椅子へ深く背を預けた。


「別に止めはしないさ」


あの日の光景が脳裏を過ぎる。血塗れになって倒れたリナリア。いまだ自分を責めるカメリア。長い付き合いでも見たことのないような蒼白な顔で、リナリアを抱き上げていたシルヴィオ。


「ただし、殺すなよ。死なれると後処理が面倒だ」


静かな声で釘を刺す。貴族社会には、いかに罪人といえど手順がある。表向きの裁き。処分理由。貴族派閥への影響。感情だけで潰せば、余計な火種になる。


「ご安心を。死ぬ方が楽だった、と思わせるだけです」


濃紺の瞳の奥から、どろりとした怒りが僅かに滲み出る。その言葉に、アルベリクは数秒沈黙したあと、ふっと苦笑した。


「あぁ。だから怖いんだ、お前は」


シルヴィオは何も答えない。ただ静かに一礼し、執務室を後にした。




地下牢へ続く通路は、冷たく湿っていた。石壁には薄暗いランプの光だけが揺れている。


磨き抜かれた革靴が、規則正しい足音を響かせる。牢番たちが緊張したように背筋を伸ばした。


「シルヴィオ様」


「下がっていろ。許可は出ている」


否定を許さない短い命令。それだけで空気が凍り付く。誰も余計な言葉を発さない。


牢番たちが静かに道を開ける、最奥の牢。

そこに、エリシアはいた。


豪奢なドレスも宝石も取り上げられ、艶やかだった髪はボサボサに乱れ、粗末な囚人服へ着替えさせられている。


話し声に顔を上げ、シルヴィオの姿を見た瞬間、ぱっと顔を輝かせた。


「……シルヴィオ様!来てくださったのですね……! わたくし、ずっとお待ちしていたのです!早くここから出してください!!」


錆びついた鉄格子を握り締め、エリシアは必死に隙間からシルヴィオへ手を伸ばす。


「本当にここから出たいか?」


凍えるような声だった。エリシアの笑顔が一瞬固まる。シルヴィオは感情の欠片もない瞳で、彼女を見下ろしていた。まるで汚物でも見るような視線。


「で、出たいに決まってます!!わ、わたくしは騙されていたんです……!」


エリシアが必死に訴える。シルヴィオにどうにか無実を訴えようとひび割れた唇が必死に動く。


「あんなことになるなんて思わなくて……! ただ、少し困らせるだけのつもりで……!」


「そうか」


「リナリア様だって……無事だったではありませんか……!」


その瞬間、湿った空気が、グッと冷え込む。エリシアの本能が危険を察知し、背筋を恐怖が駆け上がる。


ぞわり、と。シルヴィオの瞳が、底冷えするほど冷たく細められる。


「……無事?血塗れで倒れていたあれを、お前は無事と言うのか」


エリシアの喉が、空気を絞り出すようにひゅ、と鳴る。シルヴィオはゆっくり鉄格子の前へ歩み寄った。艶消しされた革手袋を嵌めた指先が、静かに鉄格子へ触れる。


「眠る度に悪夢で震えていた。傷が痛むたびに顔を歪めていた。お前のせいでな」


そこで初めてエリシアは、シルヴィオが何のために地下牢に来たのか察した。シルヴィオの中にある怒りは、もう激情ではない。凍り付いた執念だった。


「お前の処分は決定した」


最早揺るがぬ決定事項を告げる冷酷な声に、エリシアの顔色が変わる。暗がりでも分かるほど、顔色が真っ青になる。


「ま、待ってください……!だって、裁判はまだ!」


「まず、お前の実家の男爵家は取り潰しだ」


「……っ」


「既に通達済みだ。爵位は剥奪。領地は没収。財産も全て差し押さえられる」


淡々と告げられる非情な現実。エリシアの瞳から希望が消えていく。


「お前を含め、一族全員まとめて王都から追放だ。二度とこの地を踏むことは許されない」


逃げ道を一つずつ潰すように、一切の希望も残さないよう、冷静に。確実に。


「やめて……」


「弟の騎士団推薦は取り消し」


「っいや!待ってください!!」


「妹の縁談も白紙だ。どこの貴族も、お前の血筋など欲しがらない。地方へ落ちても、他国への亡命も不可能だ。既に各方面へ通達済みだ」


ガタガタとエリシアの身体が震える。貴族にとって、家を潰されることは死より重い。


「お前自身は修道院送りになる予定だったが――変更した」


シルヴィオはそこで初めて、薄く笑った。エリシアは、乱れた呼吸を必死で落ち着かせる。聞きたくない。これ以上、どんな罰があるというの。


「北部鉱山送りだ」


「……え」


理解した瞬間。エリシアの瞳が絶望で染まった。身体から力が抜けて、ペタリとその場に座り込む。ようやく理解する。目の前に立つ男の怒りを。


北部鉱山。極寒の地。罪人が送られる労働施設。崩落事故も多く、病も蔓延している。罪人の更生施設ではない、ただ、死ぬのを待つためだけの場所。貴族令嬢が生きていける場所ではない。


「い、嫌ぁ……っ!」


「安心しろ。死なせはしない」


シルヴィオの声は静かだった。エリシアだけじゃない。エリシアの一族全員を、地獄に落としたと告げているようなものなのに、何故そんな冷静でいられるのか、エリシアには分からなかった。


「医師を付けてやろう。怪我をしても、栄養失調になっても、自害したくなっても、必ず生かしてやる」


逃げ場を与えないように。壊れ切らない程度に。生かし続ける。


「約束しただろう」


恐怖に震え、シルヴィオを見上げることしか出来ないエリシアと、視線を合わせるように薄汚れた床に膝をつく。


「生きたまま地獄を見せてやると」


「いやぁぁぁぁっ!!」


エリシアが絶叫する。鉄格子へ縋り付き、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫んだ。


「お願い……! 助けて! シルヴィオ様!! 嫌っ! 行きたくない!!」


シルヴィオの表情は一切変わらない。必要事項を伝えた以上、これ以上の長居は必要ない。今後の人生で、エリシアが交わることなど二度とないのだから。


一切の憐憫を向けることもなく、シルヴィオは立ち上がり背を向ける。直立不動で控えていた牢番へ視線を向ける。


「自害など許さん。監視を強化しろ。刃物、紐類は全て排除。爪で首を掻き切らないよう、必要なら拘束しろ」


「はっ!!」


「嫌ぁっ!!」


泣き叫ぶ声が地下牢へ響き渡る。シルヴィオは一度も振り返ることなく、そのまま地下牢を後にした。




執務室へ戻ると、アルベリクが書類を捲りながら口を開いた。


「気は済んだか?」


「えぇ」


そこにはもう、エリシアへの感情すら残っていない。処分の終わった女など、思考へ置いておく価値もない。


シルヴィオはそのまま机へ向かい、残っていた政務を片付け始めた。ペンを走らせる音だけが静かに響く。


「随分と仕事熱心だ」


「迎えがありますので」


その一言だけで、先ほどまで地下牢にいた男とは思えないほど、空気が柔らかくなった。アルベリクは肩を揺らして笑う。


「本当に分かりやすい男だ」


通常より三倍の速さで仕事を終わらせ、シルヴィオが立ち上がる。すると当然のようにアルベリクも席を立った。既に出掛ける準備は整っている。


「……殿下?」


「私も行く」


「必要ありません」


「何を言う。私の妻もお茶会に参加しているんだ」


帰ろうとしていたシルヴィオより先にスタスタと歩き出し、アルベリクは部屋を出る。


「叔母上にいじめられているかもしれない。迎えに行かなければ」


「……会う口実を作りたいだけでは?」


「それでもだ」


そのまま当然のように馬車へ乗り込んでしまう。シルヴィオは小さく溜息を吐きながら、その向かいへ腰を下ろした。


馬車が静かに走り出す。ふと、アルベリクが馬車の外を眺めながら口を開いた。


「リナリア嬢には、エリシアの処分を伝えるのか?」


「いいえ。知る必要はありません」


優しいリナリアのことだ。シルヴィオが手を下したと知れば、あんな女のことでも自分のせいだと自身を責めるかもしれない。


「リナリアが、あの女のことでこれ以上悩むのは時間の無駄です」


アルベリクはシルヴィオが下した処分を思い出し、数秒沈黙し肩を竦めた。敵を排除する容赦の無さと、リナリアへの愛情が組み合わされると、こんなにも歯止めが効かなくなるとは。


「では、適当に話を合わせておこう」


肩をすくめて笑うアルベリクに、シルヴィオは静かに頭を下げる。シルヴィオがどんな処分を下したのか、アルベリクは聞かなくても察している。


だが止める気はなかった。それだけのことを、エリシアはしたのだから。




そして、レイナード公爵家の庭園。薔薇の香りが風に乗る中、リナリアは笑っていた。


「ーーーー彼は、優しい人です。シルヴィオのおかげで、私はお姉様の名誉を取り戻せました。かけがいのない、大切な人です」


嬉しそうに。幸せそうに。翡翠の瞳が、陽の光を受けて、柔らかく輝く。


その言葉を聞いた瞬間、シルヴィオは静かに目を伏せた。胸の奥が熱を持つ。


脳裏を過ぎるのは、血塗れで倒れていた姿。苦痛に顔を歪めながらも、必死に笑おうとしていた顔。自分へ向けられる、無防備な信頼。


「シ、シルヴィオ!?」


聞かれていたことに気付いたリナリアは、驚きに身体を揺らし、頬を赤く染める。


「帰るぞ。まだ病み上がりだ」


差し出した手に乗せられた小さな手を、宝物のように優しく握り締める。


もう二度と、誰にも傷付けさせない。


そう誓いながら、シルヴィオはリナリアを引き寄せた。

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