静かなる断罪
アルベリクが向けた視線の先、会場の端で静かに立っていたリナリアが、ゆっくりと歩みを進める。
規則正しいヒールの音だけが、静まり返った空間に響いた。一歩、また一歩と進む度に、まるで道が開かれていくように、人々が自然と左右へ退いていく。
濃紺のドレスの裾が静かに揺れる。夜空を映したような深い青。その姿は美しく、そして凛としていた。
会場の後方で、その背中を見つめていたシルヴィオが、ふと口元を緩める。誰よりも近くで見てきた。迷いながらも、悩みながらも、それでも前へ進み続けた少女を。
今、リナリアは一人でこの場に立っている。もう、守られるだけの令嬢ではない。
やがてリナリアは、アルベリクとカメリアの前まで辿り着くと、静かに一礼した。
「お呼びでしょうか、殿下」
「ここからは、リナリア・ローデリアに場を任せる」
「かしこまりました」
リナリアはゆっくりと顔を上げ、振り返る。その翡翠の瞳が、会場の隅を捉える。びくり、と肩を震わせたのは、エリシアとリリーナだった。
リナリアは二人を見つめたまま、にこりと微笑む。けれど、その笑みはあまりにも美しく、あまりにも冷たかった。
「では、事の発端から、説明致しましょう」
会場中の視線が、リナリアへ集中する。リナリアは臆することなく口を開き、断罪を開始した。
「姉、カメリア・ローデリアは、皆様とご存知の通り、レオン様と婚約しておりました。ですが、レオン様と親しくしていたエリシア様へ嫉妬し、陰口や嫌がらせを行っていた、そのような証言が集まり、婚約は破棄。姉は謹慎処分となりました」
淡々とした説明。感情を挟まず、事実だけを述べた分、余計に空気が張り詰める。
「ここまでは、皆様も耳にしたことがおありでしょう。何か、相違ありますか?エリシア様、リリーナ様」
その瞬間。二人の周囲にいた貴族達が、さっと距離を取った。まるで、関わること自体を避けるように。
リナリアと、二人の間に不自然な空間が生まれる。
矛先が向いたことに恐怖を抱き、エリシアは顔を引き攣らせる。震える唇に力を入れ、なんとか言葉を搾り出す。
「わ、私は本当に……っ! カメリア様に脅されて……香水だって壊されて……!」
「そうでしたか」
エリシアの泣き出しそうな声とは対照的な、一切の感情を排除した声。リナリアは会場の入り口に目をやり、合図を送る。
「では、姉が本当にそのような行為をしていたのか、改めて、証言された皆様へ聞いてみましょうか。この場の皆様にも、直接聞いていただきましょう。皆様、どうぞ」
その合図と共に、会場の扉が開かれた。入ってきたのは、かつてカメリアを陥れる為に証言した令嬢達だった。
空気がざわつく。彼女達は明らかに緊張した面持ちで、ゆっくりと階段を上り、リナリアの前まで進む。リナリアは彼女達へ穏やかに微笑む。
エリシアは自分を顧みることもせず通り過ぎ、真っ直ぐリナリアの元へ進むかつての取り巻きたちの背中を、ただ見送ることしか出来なかった。
「皆様の立場は、私が保証致します。どうか、真実を」
静かな声。けれど、その言葉には確かな力があった。令嬢達は顔を見合わせ、そして、一人が震える声で口を開いた。
「……エリシア様に、カメリア様がやったと言いなさい、と言われました」
「わ、私は……実際に嫌がらせを見た訳ではありません……」
「香水が割れる音がして駆けつけた時には、既にエリシア様が泣いていて……」
「リリーナ様も見たと仰っていたので、そうなのだと……」
一人、また一人。証言が覆っていく。空気が変わっていく。先程までカメリアへ向けられていた疑念は、今や別の方向へ向き始めていた。
最後の一人が話し終えると、リナリアは静かに頷いた。
「……よく話してくださいました」
その労うような声音に、令嬢達が安堵したように息を吐く。そして、リナリアは再び、エリシア達へ視線を向けた。
「さて。お二人が集められた証言ですが……どうやら、齟齬があるようですね。ご説明、頂けますか?」
逃げ道を塞ぐような声音だった。エリシアは震える手をぎゅっと握り締める。
どうしよう。どうしよう。どうしようどうしようどうしよう。どうすれば。
そんな思考が透けて見えるほど、彼女の表情は追い詰められていた。
「ち、違うんです……!私は、本当にカメリア様に……っ!リナリア様は妹だから、カメリア様を信じたいだけですよね!?」
エリシアが涙を浮かべて、何の意味も根拠も持たない言葉を必死に訴える。リナリアの背に庇われるように立つ令嬢達をキッと睨みつける。
「この人達だって、公爵家の婚約者であるリナリア様に逆らえなくて、証言を覆したのかもしれないじゃないですか!!」
「では、こちらはいかがですか?」
「は?」
リナリアが取り出したのは、カメリアに壊されたとエリシアが訴えていた香水だった。
「姉に壊されたと言っていましたね。一体、何個壊されたんですか?」
「えっ、と、そんなの一つに決まって…!」
「購入したお店に聞いたんです。随分と大量に仕入れていたそうですね。一体、どうやって使ったんですか?」
エリシアの顔色が青ざめていく。決まっている。証言を作るために、学園の園庭、階段の踊り場、更衣室の中で、割られた、と見せかけるために。
会場の誰もが、もう気付いていた。それでもなお、逃げられると思っているのは、エリシアだけだった。
「私が、どう香水を使ったって関係ないでしょう!?何が言いたいのです!?」
その叫びを聞いてもなお、リナリアは笑顔を崩さなかった。むしろ、その微笑みはぞくりとするほど静かだった。
会場は、既に察していた。リナリアとエリシアの格の違いも、真実がどこにあるのかも。
「……そうですか。では、当事者であるお姉様にも聞いてみましょうか」
会場中の視線が、静かに事の成り行きを見守っていたカメリアへ集まる。リナリアは静かに問い掛けた。
「お姉様は、エリシア様を妬み、嫌がらせを行っていた、それは本当ですか?」
水を打ったような静寂が広がる。カメリアは、縋るようなエリシアの瞳を見返す事もなく、まっすぐ前を見据えたまま答えた。
「いいえ。そのような事実は、一切ございませんわ」
迷いのない言葉。カメリアは弁明すらしなかった。ただ静かに、その事実を否定した。自分の誇りが疑われること自体、意に介していないかのようだった。
「っ……!カメリア様には、罪を犯した自覚がないだけでは!?ねぇ、リリーナも見たわよね!?」
追い詰められたように、エリシアは隣にいたリリーナの腕を掴む。突然話を振られたリリーナは、びくりと肩を震わせた。
顔面は蒼白だった。唇が震えている。
どうしてこうなったのか。ただ父に言われた通り、エリシアの味方をしただけだった。
それなのに、今、会場中の視線が、自分へ突き刺さっている。責めるような視線。見極めるような視線。軽蔑するような視線。
息が苦しい。なんで、なんでこれだけの視線を集めて、あの人達は、平然と立っていられるの。
「わ、わたしはっ…!」
もう言葉を発するのも苦しい。早く楽になりたい。この視線から、逃れたい。
「お父様が、エリシア様に合わせなさいと…!」
もう、お父様だって謹慎処分されて、我が家は落ちぶれるしかない。
言ってしまえば、この視線からも解放される。
その言葉が落ちた瞬間、誰もが、理解してしまった。
――カメリア・ローデリアは、悪意によって嵌められたのだと。
翡翠の瞳が、静かにエリシアを見下ろしていた。




