完璧な淑女の復活
応接室へ戻る道をアルベリクと並んで歩きながら、カメリアの鼓動はまだ落ち着いていなかった。
庭園で交わされた会話が、夢のようで、けれど確かに胸の奥へ残っている。隣を歩くアルベリクは、先ほどまでの真剣な空気を少し和らげ、穏やかな笑みを浮かべていた。
応接室の扉が開かれる。
中では、公爵夫妻が落ち着かない様子で待っていた。二人とも、娘の表情を見た瞬間、何かを察したように目を見開く。
カメリアはゆっくりと二人の前へ進み、静かに微笑んだ。
「お父様、お母様。わたくし、殿下と婚約いたします」
その瞬間、母が小さく息を呑み、父は目を見開いた。喜ばしい報せのはずなのに、その表情には安堵よりも先に心配が浮かんでいた。
「カメリア……」
母が不安げに娘を見る。王太子妃になるということが、どれほど重い意味を持つか。まして一度あのような不名誉を受けた娘にとって、再び社交界へ立つことがどれほど苦しいことか、両親には痛いほど分かっていた。
「もちろん、不安がないわけではありませんわ。でも……殿下が支えてくださいます」
そう言って隣を見る瞳は、もう以前のような諦めを含んでいなかった。アルベリクは穏やかに笑い、頷き返す。
それを見た父は、覚悟を決めたようにゆっくりと立ち上がった。
「殿下。無礼を承知で、申し上げます」
深く頭を下げる父に、アルベリクが静かに視線を向ける。
「カメリアは……私たちの決めた婚約によって、深く傷付きました。カメリアは、何も悪くありませんでした。今まで磨き上げてきた名誉を傷つけられても、耐えて、笑って……家族のために振る舞い続けてきました」
母がそっと目元を押さえる。父は震える息を飲み込み、顔を上げた。
「私たちはもう、カメリアに傷付いてほしくはないのです。殿下は……カメリアを幸せにすると、誓ってくださいますか」
カメリアは、普段穏やかな父の気迫に驚きを隠せなかった。だが、その気迫を正面から受け止め、アルベリクは迷うことなく頷いた。
「誓おう。もう二度と、あのような不名誉が彼女を襲うことがないよう、私が守る」
その言葉に偽りはなかった。王太子としてではなく、一人の男として口にした誓いだった。カメリアは目を細め、父へ微笑みかける。
「お父様、心配してくれてありがとうございます。でも、リナリアがあんなに頑張ってくれて……殿下も、ここまで言ってくださるのですもの」
そっと今日現れたばかりの王子様を見上げる。全てを包み込んでくれるその笑顔を見れば、何だか全て上手くような気がした。
「これ以上、心強いことはありませんわ。もう休息は必要ありません。わたくしも、戦います。自分のために」
娘のその笑顔を見た瞬間、父は思わず視線を逸らした。泣きそうだった。傷付いてばかりだった娘が、ようやく未来を見て笑ったのだ。
アルベリクはそんな父の様子を見届けてから、ソファーに腰を下ろし、静かに口を開く。
「カメリアの名誉回復は、次の王族主催のパーティーで行う」
「リナリアから話は聞きました。もう二ヶ月もありませんわね。準備が間に合うか…」
「そこで婚約発表も行う予定だ」
「……急ではありませんか?」
カメリアが少し驚いたように尋ねる。アルベリクは穏やかに、だけど嬉しさか隠しきれないように笑った。
「こういうものは、間を置かない方がいい。それに、リナリアが動いてくれている。ならば私も、惜しみなく協力しよう。だから当日は、私にエスコートさせてくれ」
アルベリクが自然に手を差し出す。カメリアは少し照れたように微笑み、小さく頷きその手を取った。
その時だった。応接室の扉が開く。
「失礼いたします」
入ってきたのはリナリアとシルヴィオだった。応接室の中を確認した途端、リナリアがぴたりと固まる。
「……どういう状況ですか?」
視線が、応接室の様子を高速で確認していく。何故か自然に我が家に馴染んでいる王太子殿下。穏やかな姉。空気が柔らかい父母。そして妙に自然な距離感で座っている二人。
「なぜ殿下が我が家に?どうしてお姉様とそんな仲睦まじく座っていらっしゃるのです?」
混乱が隠し切れていない。しかし、大事な姉に寄り添うアルベリクを、いくら殿下とはいえ見過ごすわけにはいかない。アルベリクはそんなリナリアを見て、少しだけ口元を緩めた。
「落ち着け、リナリア」
「無理です!」
悲鳴のような即答だった。その反応に、シルヴィオが顔を逸らし、珍しく肩を震わせる。
アルベリクは簡潔に事情を説明した。婚約。名誉回復。王家主催のパーティー。話を聞き終えたリナリアは、しばらく無言だった。
「……お姉様と、殿下が、婚約?」
信じられないものを見る顔でカメリアとアルベリクを交互に見る。いまだに現実を受け止めきれないリナリアの肩を、シルヴィオがそっと叩く。
「あぁ。婚約したからには、必ず幸せにすると誓おう」
「殿下はお姉様がお好きなのですか?」
「あぁ。美しいだけでなく、頭も切れる。なにより優しい。こんな素敵な女性はいないな」
あっさり肯定され、リナリアは絶句した。カメリアが、赤い顔を隠すようにアルベリクを嗜める。まったく気付かなかった。アルベリクがカメリアを想っていたことも。こんな急展開になることも。
あまりの衝撃に言葉を失うリナリアの隣で、シルヴィオだけは静かな顔をしていた。まるで、最初から気付いていたかのように。
そんな妹へ、カメリアが優しく微笑む。
「リナリア。あなたのおかげよ」
「……私の、おかげ?」
「えぇ」
その言葉に、リナリアはぱちぱちと瞬きをした。カメリアは幸せそうに笑った。それは、レオンと婚約してた頃には、見られなかった笑顔。
「あなたが、わたくしのために動いてくれたから、私も戦おうと思えたの。あの場に戻る勇気をくれたのは、あなたよ」
リナリアは少しだけ目を伏せる。そこまで言われたら、もう何も言えない。今、社交界で戦うリナリアは、王太子妃になる姉のこれからの苦労が少しだけ想像出来た。それでも。
お姉様は、それさえも飲み込んで、こんな顔で笑えるのだ。
「……お姉様が幸せなら、それで構いません」
そしてちらりとアルベリクを見る。大切な姉を、急に攫って笑顔にしてくれた王子様が、少しだけ羨ましくて。
「少なくとも、レオン様よりは信用できますもの」
「比較対象がひどいな」
アルベリクが苦笑する。するとシルヴィオまで小さく笑った。応接室の空気が和らぐ。その空気を見渡しながら、アルベリクは静かに言った。
「ちょうどいい。こちら側の役者が全員揃ったことだ。パーティーの打ち合わせを始めよう」
アルベリクの一言で、場の空気が一気に実務的なものへ変わっていく。名誉回復のための舞台。王家主催の夜会。そして、カメリアの未来を取り戻すための戦い。
ローデリア家の応接室で、カメリアの名誉を取り戻すための戦いが、静かに始まっていた。




