救いの手
人の波を抜け、まず向かったのは何度かお茶会をしたことのある第一王子派の貴族令嬢たちの輪だった。
「リナリア様……!」
「しばらくお姿が見えなかったので、心配しておりました」
ぱっと花が咲くように笑顔が向けられる。安堵の声が上がり、リナリアは穏やかに微笑みながら応じた。
「ご心配をおかけしました。少し立て込んでおりまして」
「シルヴィオ様が功績を立てられたとか……」
「えぇ、噂になっておりますわ」
「第二王子派の方々は……災難でしたわね」
柔らかく微笑みながら、自然な距離で輪に加わる。言葉はどれも穏やかで、当たり障りがない。けれど、その奥には確かに探りがある。
リナリアは一つ一つに丁寧に応じながら、同時に周囲の空気を読む。
(……やはり)
ふと視線を動かすと、少し離れた場所に、別の令嬢たちの姿があった。かつて第二王子派に繋がっていた家の者たち。
今はもう、その中心は崩れている。だが彼女たちは今も、明らかに怯えたようにこちらを見ていた。
話しかけられるのを恐れているのか、それとも裁かれることを恐れているのか。どちらにせよ、距離を取ることで自分たちを守っているのが分かる。
リナリアは、そっと視線を外した。
「……リナリア様?」
ふと、隣の令嬢が不思議そうに声をかける。リナリアは淑女の鏡のように小さく微笑んだ。
「少し、失礼いたしますね」
その場を離れた。向かう先は当然、その令嬢たちの元だった。近づくほどに、空気が張り詰めていくのが分かる。
彼女たちは逃げるべきか、その場に留まるべきか迷っているようだった。リナリアはその前で足を止め、丁寧に一礼する。
「突然失礼いたします。もしよろしければ……皆様とも、今後交友を深めさせていただければと思いまして」
ぴくりと令嬢たちの肩が揺れる。一瞬の沈黙。リナリアの言葉に、怯えていた令嬢たちの空気が変わる。
「……え……?」
「それは……」
彼女たちにとって、それは差し出された救いの手だった。今回の件で立場を大きく崩した彼女たちにとって、第一王子派の中核にいるリナリアとの繋がりは、何よりも価値がある。
令嬢たちの間に、明らかな動揺と期待が混じった。
(……今、この人に繋がれば)
(まだ、間に合うかもしれない)
そんな思考が透けて見えるほどに、彼女たちの表情は揺れている。一人が、恐る恐る一歩前に出た。
「ぜひ……!」
「こちらこそ、お願いしたく……!」
縋るような視線が一斉に向けられる。
さっきまでの怯えは消え去り、代わりに必死なまでの接近が、そこにあった。その変化を、リナリアは静かに受け止めた。
(……これでいい)
助けるためではない。
姉を陥れ、加担した人達。落ちた者を拾い上げるほど、優しくはない。ただ、使える位置に配置するだけ。
「ありがとうございます。では、改めてご挨拶を」
穏やかな笑顔の裏で、静かに盤面を動かす。その様子を、少し離れた場所から見ている人物がいた。
シルヴィオだ。
パーティー開場の壁際で、一人グラスを傾けながら、視線だけをリナリアへ向ける。
(……上出来だな)
強引でもなく、弱くもない。相手には救いの手を差し伸べたように見せている。相手に選ばせているようで、実際には逃げ道を用意していない。
ふ、とわずかに口元が緩む。
その瞬間。
「……楽しそうね」
横から、含みのある声がかかる。振り向けば、扇を優雅に揺らすレイナード公爵夫人。
「今回は随分と積極的ではなくて?」
「おかげで、動きやすくなりましたよ」
リナリアを視界に入れたまま簡潔に返すと、レイナード公爵夫人はくすくすと笑う。
「本当に面白い子を拾ってきたのね、シルヴィオ」
「拾った覚えはありません」
「ふふ、肋骨を怪我したと聞いていたけれど、上手く隠しているわね」
誰から、とは聞いても無駄なことは分かっている。シルヴィオを上回る人脈、経験、情報網。レイナード公爵夫人の耳に届かない情報はない。
「えぇ。よく無茶をします。内密にしていただけると助かるのですが」
「普通の貴族ではないと思っていたけれど、面白いわ。後でその話を詳しく教えると約束するなら、黙っていてあげるわ」
「お約束しましょう」
扇で口元を隠しながら微笑む。どこか謎めいた瞳で、第二王子派だった令嬢たちと、完璧ともいえる笑顔で接しているリナリアを見つめる。
「あなたみたいな男が選ぶのは、血統書付きの、もっと大人しくて、口答えのしない深窓の令嬢だと思っていたけれど、あの娘を選んだのね」
「えぇ。目が離せないものですから」
「また何か企んでいるのは分かっているわ。わたくしのパーティーを利用するのだから、下手な芝居は許さなくてよ」
「ご期待に応えられるかと」
「健気に頑張る姿は嫌いではないわ。楽しませてちょうだいな」
そう言い残し、愉快そうに微笑みレイナード公爵夫人はドレスの裾を翻した。
一人残されたシルヴィオもまた、自分の仕事を全うするべく歩き始めた。
「どうだった?」
「後日、お茶会を開くことにしました」
シルヴィオと合流したリナリアは、先程まで集めていた情報を報告する。バルコニーに出ると、夜風が人の流れで火照った身体を優しく冷やす。
「これで証言を翻す者達も現れるだろう」
「えぇ。どこまでも、人に流される方達ですね」
リナリアは、いつも通り笑顔を絶やさなかった。しかし、シルヴィオにはリナリアが怒りで暴れ出したくなるのを必死に抑えているのが理解できた。
「似合わん顔だ」
「…ふふ、どんな顔していますか?」
リナリアは毒気を抜かれたように微笑む。シルヴィオが頬に手を当てると、リナリアが嬉しそうにすり寄る。それは結婚を正式に進めると決めたあの日から、リナリアが落ち着きたいときにする癖だった。
「これで全員か?」
「いえ、あと少しだけ…事前に招待客リストをいただけて助かりました。レイナード公爵夫人様にも最後に改めてお礼を」
シルヴィオがレイナード公爵夫人にパーティー前に連絡を入れ、招待客リストを入手してくれたおかげで、事前に第二王子派の招待客の名前を知ることが出来た。
「なら、残りも終わらせるぞ」
「はい。戻りましょうか」
シルヴィオが頬に当てた手を離し、そのまま下に滑らせて腰を抱く。エスコートされるのはまだ慣れない、とリナリアの頬が赤く染まる。
「行くぞ」
「…はい」
それから、他の第二王子派だった令嬢たちとも挨拶を交わし、抑えるべき人物とは交流を持つことが出来た。
あとは、最後の一人。
「やっと来たのね。待っていたわ」
「改めて、お礼を申し上げます。レイナード公爵夫人様」
別室に呼ばれ、部屋の中央で微笑むレイナード公爵夫人に、リナリアは静かに息を整え、視線を上げた。




