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姉が悪役令嬢にされたので、商人の妹が嘘を暴きます  作者: ゆきだるま
第三章

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静かな午後の終わり


まるで、衝動を押し殺すように深い呼吸を繰り返す。シルヴィオの夜空を閉じ込めたような濃紺の瞳が、色濃くなったような気がする。


「……本当に、俺を煽るのが上手くなったな」


「え?」


「落ち着いたと言ったな?」


「はい」


「なら、続きの話をする」


何事もなかったかのように、すっと距離を取るシルヴィオ。けれど、その目の奥にさっきとは違う熱が宿っているのを、リナリアは見逃さなかった。


「婚約はそのまま継続だ。正式に進める」


「……正式、に……?」


「結婚の話だ」


思考が、一瞬止まる。ぽかんとしたまま固まるリナリアを見て、シルヴィオは当然のように話を進める。


「今さら何を驚く。隣にいると言ったのは、お前だろう」


先ほど自分が言った言葉が、じわじわと胸に広がる。今度は、ちゃんと笑って頷けた。それを見て、シルヴィオは満足そうに息を吐く。


「お前は賢いのに、時々、本当に理解が遅いな」


「……だって……」


「婚約を継続する、と言っただろう」


「はい……」


「正式に進める、とも言った」


「……はい……」


一つ一つなぞるように言われて、ようやく、じわじわと現実が形を持ち始める。


「つまり、結婚だ」


「……っ、はい……」


今度は、はっきりと頷く。その様子を見て、シルヴィオはほんのわずかに目を細めた。


「不安か?」


「…はい。私で、役不足ではないでしょうか」


さっきまで泣いていたのとは違う。今度は、逃げではなくて、ちゃんと向き合おうとしている不安だった。少しの沈黙。それから、シルヴィオがゆっくりと口を開く。


「……今さらだな。お前はもう、十分に俺の隣に立っている」


あまりにもあっさりと言われて、一瞬理解が追いつかない。


「商会で動いていた時も、貴族の場での立ち回りも、今回の件でも結果を出した」


淡々と並べられる言葉。けれど、それは全部、自分がやってきたことだった。誰よりも近くで見てきたシルヴィオが、認めてくれている。


「それでも足りないと言うなら、基準が高すぎる。少なくとも、俺はそうは思っていない。それでも不安なら」


長い腕が伸びてきて、肋骨の怪我に障らないよう、優しく腰が攫われる。シルヴィオの前髪が、頬を掠める。


「隣で慣れろ」


「……隣に、いていいんですね」


「そのための結婚だ」


あまりにもシルヴィオらしいその言い方に、思わず笑みが溢れてしまう。


「完璧である必要はない。足りない部分は埋めればいい」


「ふふ、はい……」


その一言に、胸の奥がじんわりと温かくなる。今度は、迷わず頷けた。その様子を見て、シルヴィオはリナリアを腕の中から解放し、ソファーに座らせる。


「それと、先に言っておくが、忙しくなるぞ」


「……え……?」


「花嫁修行、式の準備、各家への連絡、王家への報告、社交界への正式発表」


先程までの甘い雰囲気は消えた。指折り数えるように、淡々と続けられる余りにも容赦のない現実。聞いているだけで頭がクラクラしそうだ。


「加えて、お前の教育も再調整する」


「……再調整……?」


「公爵夫人としてのものに切り替える」


これから始まるであろう怒涛の予定に、リナリアは違う意味で泣きたくなった。社交界に慣れるだけでひぃひぃ言っていたあの頃が懐かしく思える。


「時間は有限だからな」


「はい、頑張らせていただきます…」


「泣いている暇はないと思え」


からかわれている、と顔を上げるとほんの少しだけ、意地悪そうな表情のシルヴィオと目が合う。けれど、その目はどこか楽しそうだった。


「……でも」


「なんだ」


「……少しくらいは、いいですか」


「何がだ」


一瞬だけ迷って、それから、目の前に立つシルヴィオの手を握り、少し力を込めて引き寄せ、頬に押し当てる。


「……その……嬉しいので……」


「それくらいは許す」


ぶっきらぼうな声。くす、と小さく笑いが零れる。さっきまで泣いていたのが嘘みたいに、心が軽い。


静かな午後は、もう戻らない。

代わりに始まるのは、もっと騒がしくて、きっと忙しい日々。


それでも。


(……隣に、いられるなら)


それだけで、十分だった。シルヴィオの温もりを感じながら、リナリアはそっと目を閉じる。

短い休息のあとに始まる未来を、ほんの少しだけ楽しみにしながら。



数日後、リナリアはシルヴィオと共にレイナード公爵夫人が開催する夜会に参加していた。


高く吊られたシャンデリアの光が、磨き上げられた大理石の床に揺れている。楽団の奏でる旋律は柔らかく、笑い声は絹のように軽い。


その中を、ひときわ目を引く二人が歩いていた。


リナリアは淡青色のドレスを見に纏い、胸元にはシルヴィオから贈られた濃紺の宝石が輝く。シルヴィオは紺の礼装に金糸の刺繍を鮮やかに施した装いに身を包んでいる。


視線が一斉に集まるのを感じながらも、リナリアは表情を崩さない。シルヴィオもまた、必要最低限の会釈だけで周囲を流していく。


「まあ、よくいらしてくださったわ」


シルヴィオとリナリアが揃って立ち止まり、この夜会の主催者、レイナード公爵夫人の前で礼を取る。年齢を感じさせない優雅な微笑みで、二人を見つめる。


「シルヴィオ、リナリア嬢。今夜は……ふふ、いったい何を見せてくださるのかしら?」


冗談めかしたその言葉に、シルヴィオはわずかに目を細めただけで返す。


「ご期待に沿えれば幸いです」


「まあ、相変わらずつれないこと」


公爵夫人は楽しそうに扇を揺らしながら、視線をリナリアへと移す。その視線には、値踏みと興味が半分ずつ混ざっていた。


リナリアは丁寧に一礼し、柔らかく微笑む。その所作に、レイナード公爵夫人は満足そうに頷く。


「お招きいただき、光栄です」


「しばらくどこの社交にも姿を見せなかったようね?」


「えぇ。少し花嫁修行が立て込んでおりまして…。久しぶりにお会いできて嬉しく思います」


まるでリナリアが何をしていたのか分かっているような口振りに、内心どこまで知っているのか動揺が広がるが、表面には一切出さずに微笑み返す。


「ふふ。まぁいいわ。さあ、お好きになさいな。今夜は見せ場が多そうですもの」


意味深な言葉を残し、彼女は優雅に去っていく。その姿を見送り、そリナリアはシルヴィオからそっと距離を取った。


「少し、回ってきます」


「好きにしろ。ただし視界には入れ」


「……はい」


短いやり取りのあと、リナリアは人の流れへと歩みを溶かした。


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