閃光の合図
森の奥へと続く道は、徐々に細く、暗くなっていく。湿った土の匂い。踏みしめる度に沈む足音。
その先頭を歩くのは、縛られた盗賊だった。
「……この先だ」
低く吐き出される声。その背後、一定の距離を保ってシルヴィオ達が続く。気配を殺し、足音を極限まで抑えながら。
「……止まれ」
シルヴィオの手が、静かに上がる。視線の先。木々の隙間に、人工的に切り開かれた空間が見えた。
粗雑に組まれた木柵。その奥に、複数の建物。焚き火の煙が細く立ち上っている。
盗賊の根城。
「見張りは二、いや三か」
「……荷の襲撃に人手を割いているのでしょう。予定より見張りが少ない」
シルヴィオの声は静かだった。後ろに続く隊長が、周囲を見回して見張りの数を確認する。その横で、リナリアが一歩前に出る。
「行きます」
誰も止めない。止められないことを、全員が理解している。シルヴィオの視線だけが、鋭く彼女を射抜いた。
だが、何も言わない。その代わりに、ほんのわずかに、顎を引いた。
その合図を受けて、リナリアは森から一歩、外へ出た。わざと足音を立てる。枝を踏み、バランスを崩しながら柵の前に姿を現す。
「……っ、あれ……?」
「誰だ!!」
頼りない声を夜気に溶かすと、見張りの男が一人、松明を持って姿を現す。リナリアはわざと怯えたような表情で男を見上げた。
「……っ、す、すみません……道に迷って…明かりが見えたものですから…」
「こんな時間に、一人でか?」
「ヴァルディアにいる祖父が、病で倒れたと聞いて…旅路を急いでおりましたら道を外れてしまったようで…」
震える声。視線を泳がせ、完全に無防備な旅人を演じる。見張りの男は、旅支度で現れたリナリアに疑念の目を向ける。だが、警戒はまだ浅い。
「村に……行くはずが……」
「おーい、どうした!」
「女だ!迷子だとよ!!」
言葉を途切れさせ、困惑した表情で俯く。その隙にもう二人、見張りが近付いてくる。三人引きつけた。
(……よし)
「ふーん、可愛い顔してるなァ」
「中で話を聞いてやるよ!」
「あ、あのっ…離してください…!」
「大丈夫だって!何もしねぇよ!多分な!」
腕を掴まれる。ビクッと大袈裟に身体を震わせて、僅かな抵抗を見せてみるが、男達はニヤニヤと下卑た表情で、ズルズルとリナリアの身体を引き摺るようにして中に連れて行く。
木柵の中へ。そして。盗賊たちの根城へと、足を踏み入れた。
中は、思った以上に整っていた。
粗雑なだけではない。武器は整理され、見張りの配置も機能している。ただの野盗じゃない。奥へ、奥へと連れていかれる。視線が集まる。値踏みするような目。
木製の扉が音を立てて閉まる。全員、入った。
(今ね)
袖の内側。発火具に、そっと指を伸ばす。
その瞬間。
「何してんだ」
ドンッ、と衝撃が腹に突き刺さった。
「っ——!?」
息が、消える。視界が揺れる。そのまま身体が宙を舞い、壁に叩きつけられた。
「がっ……!」
「おいおい、可哀想だろー!女の腹蹴るなんて!」
「ギャハハ!動けなくなってるじゃねぇか」
肺から空気が強制的に吐き出される。衝撃で、痛みで、呼吸ができない。蹴られた腹部と、壁にぶつかった背中に鈍い痛みが走る。
(……肋骨、折れたな…)
考える余裕すらない。盗賊達の下品な笑い声が聞こえる。髪を掴まれ、無理やり顔を引き起こされる。
腕が伸びてきて、リナリアの細い首を片手で掴み、身体ごと持ち上げた。足が床から浮く。
「……お前、何しようとした?」
「っ……」
「おいおい!それじゃ話せないだろ!」
低い声が間近で落ちる。喉が圧迫されて、空気が入らない。息が出来ない。視界が、滲む。
「最初からおかしいと思ってたんだよなぁ」
「こんな時間に女が一人で出歩くなんて、何かありますって言ってるようなもんだ」
「……っ…!」
指に力がこもる。気道が、完全に潰される。質問しているようで、これはただの暴力だ。話させるつもりなんてない。殺した方が早いからだ。
痛い。苦しい。酸欠で、頭がぼやける。それでも。リナリアは、無理やり口を開いた。
「……私を、入れた時点で、もう終わりよ」
「何を言ってやがる。お前は死ぬんだよ」
途切れ途切れの声で、それでも、笑った。盗賊の眉が、ぴくりと動く。その隙だった。
指先が、袖の中の発火具に触れる。最後の力を振り絞って、床に叩きつけた。閃光。爆ぜるような白。空間が、一瞬で光に呑まれる。
「なっ!?」
「目が!!」
盗賊たちの叫び。視界が潰れる。動きが止まる。場が混乱状態になる。
その直後。
「突入!」
「制圧しろ!」
外から声が響いた。扉が吹き飛び、兵士達が雪崩れ込む。その先頭。風のように踏み込んできた影が、一人。
「離せ」
底に落ちるような低い声が、空間を裂いた。リナリアの首を掴んでいた男の腕が、捻り上げられる。
加えられた痛みに耐えきれず、男がリナリアの首を離すと、横に吹き飛ばされる。そのまま壁に叩きつけられ、力無く崩れ落ちる。
支えを失い、リナリアの身体が崩れ落ちる。床に手をつき、必死に空気を吸う。
「はっ……は……っ……!」
喉が焼けるように痛い。息がうまく整わない。酸欠で頭の奥がモヤがかかったように痛む。
その身体を、ぐっと引き寄せられた。嗅ぎ慣れた香りが、鼻腔をくすぐる。
「……無事か」
すぐ近くに濃紺の瞳。言葉が出ない。ちゃんと、やり切ったと報告したいのに。上手く話せなくて、色んな感情が溢れて、ただ、頷く。
無意識に庇っていた脇腹に、シルヴィオが目をやる。
「……折れたか」
「た、たぶん…」
引き攣ったような、掠れた声。圧迫されていたリナリアの白い首には、男の指の跡がくっきりと残っている。
そのまま、抱き上げられる。
「下がっていろ。お前の役目は終わりだ。よくやったリナリア」
シルヴィオの視線はすでに戦場へ。リナリアは力を抜き、一番信頼する男へ身体を預けた。
「一人も逃がすな」
地を這うような低い声が落ちる。空気が張り詰めるほど、その声には深い怒気が込められている。
そのまま、シルヴィオは前へ出た。
同時刻。
街道。襲撃地点。
「来たぞぉ!!」
統率された動きの盗賊たちが、ガルド達が待ち構える荷馬車へと飛びかかる。
その瞬間。
「今だ!!」
ガルドの号令を合図に、積荷に掛けられた布が跳ね上がる。中から現れたのは、武装した兵士たち。
「かかったなぁ!!」
「なっ!!罠だ!!撤退ー!!」
「潰せ!!」
大剣が振り下ろされる。重い一撃が、盗賊を叩き潰す。兵たちも一斉に動く。連携、統率、速度。すべてが盗賊達より上だ。
「逃がすな!全部狩れ!!」
戦場が、一気に傾いた。
再び、根城。
戦いは、長くは続かなかった。
視界を奪われ、奇襲を受けた盗賊たちに、立て直す余裕はない。
一人、また一人と制圧されていく。
やがて、最後の一人が地に伏した。
静寂が戻る。荒い息遣いだけが、空間に残る。
「……制圧完了です」
隊長が後ろからシルヴィオに報告する。シルヴィオは、無言で頷いた。
その視線が、ふと下へ向く。
リナリアは、極度の緊張から解放されたのか、意識を手放していた。肋骨が折れているのだろう、痛みからか、眉間には深い皺が刻まれている。その姿を、ほんの一瞬だけ見て。
「帰還する」
短く告げた。
夜が、終わる。
盗賊討伐戦は、完全な勝利で、幕を閉じた。




