静庭の密約
執務室の中でただ一人、リナリアが商人であることを間接的に示させたシルヴィオは涼しい顔をしていた。
「リナリア、婚約者は私だ。お前の価値を他人が測る必要はない」
「ですが…」
「外野など気にしなくていい」
外野と言い捨てられた部下達は居心地悪そうに目を逸らしたが、その中の一人が意を決したようにリナリアに声を掛ける。
「勉強になりました。流石ヴァルクス様の婚約者ですね」
「え?」
「宜しければ、他にも意見を頂きたいのですが」
「この資料に関してもぜひ!」
一人が声を掛けたことを皮切りに、部下達は好意的にリナリアに声を掛ける。予想外の反応に、リナリアは助けを求めるようにシルヴィオを見つめる。
「構わない。教えてやれ」
「…はい!」
リナリアと部下達が机に資料を広げ、議論を始める様子を、アルベリクは愉快そうに見つめる。
「可愛い婚約者殿が囲まれてるが、いいのかい?」
「何がでしょう?」
「内心面白くないと思っているだろう?」
「…殿下、リナリアは優秀です。優秀な者はその力を発揮できる場に身を置くべきです」
面白くない、という指摘を否定することはなく、シルヴィオはさらりと受け流す。議論は白熱しているようで、リナリアは生き生きとした表情で部下達と話している。
「今年は小麦の品質があまり良くありませんでした。加工の割合を増やしたらどうでしょう?その代わり…シルヴィオ?」
「その話は長くなる。一度休憩を挟むぞ」
リナリアと部下達の間にシルヴィオの手が差し込まれる。横で見ていたアルベリクがふっと吹き出す。
「くっ…ふふ、そうだな。一度休憩を挟もう。リナリア嬢、シルヴィオ、行こうか」
「あ、はい。かしこまりました」
「庭園が静かでね。休憩をするにはちょうどいい場所がある」
その言葉に、シルヴィオが一瞬だけ視線を細めたが、すぐに小さく頷いた。
「……承知いたしました」
そのまま三人で執務室を出て、案内されたのは、王城の奥に広がる庭園の一角だった。
丁寧に手入れされた芝生に、色とりどりの花々が咲き誇る。遠くでは噴水の水音が静かに響き、穏やかな風が木々の葉を揺らしていた。
その奥、木立に囲まれるようにして、小さな四阿がひっそりと建っている。外からはほとんど見えない、意図的に隔てられた空間だった。
既に茶の用意が整えられている。
白いクロスの上に並ぶ精緻な茶器。湯気の立つカップからは、やわらかな香りが立ち上っていた。
三人は席につく。
「いや、シルヴィオの面白い姿を見せてもらった」
「殿下。いつまで笑っていらっしゃるので?」
「そうだな、話を変えよう」
アルベリクはカップを手に取り、一口だけ口に含む。そのまま何気ない仕草で周囲へ視線を巡らせた。
揺れる木々、遠くの回廊、気配。
誰もいない。それを確認してから、静かにカップを置く。
「さて」
その一言で、空気が変わった。穏やかだった庭園の空気が、鋭く引き締まる。
「第二王子派が、また動き出した」
リナリアの指先がカップを掴もうとして止まる。
「今回は、国境付近だ。隣国との境に近い街で、盗賊の被害が増えている」
穏やかな口調のまま告げられた重い内容に、空気がわずかに重くなる。説明の続きを引き取るようにシルヴィオが口を開く。
「国境付近は盗賊被害が出やすい。が、どうやら様子が違う。今までの被害と同じように見せているが、被害に遭う荷馬車に偏りがある」
「偏り…?」
「あぁ。鉄、銅、火薬」
シルヴィオはそう言ってゆっくりと視線をリナリアへ向ける。その眼差しは、試すようでありながら、どこか期待を含んでいた。
「商人として、どう見る?」
突然の問い。だが、リナリアはわずかに目を伏せて思考をまとめると、すぐに顔を上げた。
「……無差別であれば、単なる治安の悪化。しかし、積荷に偏りがあるのであれば、それは武力行使を前提とした動きの可能性があります。意図的な襲撃の可能性が高いかと」
アルベリクとシルヴィオが小さく頷いた。自分で導き出した答えとはいえ、その可能性を口にしてゾッとする。
「いい視点だ。実際、報告には妙な点がある。現地からの報告と、こちらに上がってくる書類に、微妙なズレがあるんだ」
「……商会にも確認した。襲撃された荷馬車の詳細は今洗っている」
リナリアがお茶会で必死な間に、事態は進んでいるし、シルヴィオとアルベリク王子は既に情報を集め、対応にあたろうとしている。着いていかなければ。この速さに。アルベリクは淡々と返す。
「それに加えて、盗賊の出現場所も不自然だ。街道の要所を的確に押さえている」
「偶然とは考えにくい」
そのやり取りを聞きながら、リナリアの中でひとつの違和感が形になりかけていた。
(盗賊が……要所を押さえる?)
ただの盗賊にしては、動きが整いすぎている。だが、まだ断定するには、材料が足りない。リナリアは口を閉じたまま、思考を留めた。
アルベリクはその様子を見逃さなかったが、あえて深くは踏み込まない。
代わりに、静かに本題へと入る。
「だからこそ、だ。シルヴィオと共に現地を見てきてほしい」
一瞬、風が止まったように感じた。アルベリクの眼差しは、まるでリナリアの一挙手一投足を見逃さないかのように鋭い。
「盗賊の動き、街の様子、流通の実情、書類では拾いきれない部分を、商会の経験が豊富な君の目で確かめてほしい」
それは依頼であり、同時に試験でもあった。リナリアが信頼に足る人物であるかどうかの。
リナリアはゆっくりと背筋を伸ばす。緊張で胸が痛い。でも、そんなことは表に出してはいけない。
「承知いたしました」
「助かるよ。君がどう判断するのか、興味がある」
アルベリクはリナリアの返答に満足そうに微笑む。シルヴィオは何も言わなかった。
ただ、一瞬だけ、リナリアへ視線を向ける。その瞳には、わずかな肯定と、測るような光が混じっていた。
それだけで十分だった。リナリアは静かに息を整える。ここから先は、机上ではなく現場。
そして、見えない誰かが、確実に動いている。
穏やかな庭園の中で交わされた密談は、静かに次の局面へと繋がっていた。




