花の下で、格は語る
春の光が、庭園にやわらかく降りていた。
花々の色彩は重なり合い、風に揺れるたびに視線を引く。けれど、この場で本当に見られているのは花ではない。人だ。
誰がどこに立ち、誰と語り、誰を選ぶのか。
その流れの中に身を置きながら、リナリアは静かに息を整えていた。先ほどのやり取りは、確かに通じた。だからこそ、油断はしない。
「行けるな?」
「えぇ、問題ありません」
小さく落とされた声に、リナリアはふと顔を上て答える。その拍子に、先ほどまで気付けなかった花の香りがやっと鼻先をくすぐる。
「主要な相手への挨拶はもう少しだ」
「名前と顔がごちゃごちゃしてきました」
「覚えろ。商品名と同じだ」
「それは…流石に違うと思います」
その声音は穏やかで、どこにも無理がない。シルヴィオは、やっとリナリアの肩の力が抜けたのを確認した。まだ大丈夫そうだな、次の挨拶へ移ろうとした、その時。
「ごきげんよう、シルヴィオ様」
甘やかな声が、流れを断ち切った。不意にかけられた声に、二人は同時に振り向いた。振り向いた先に立っていたのは、以前学園で会った時より少しやつれた様子のレオンと、その腕に寄り添うエリシアだった。
シルヴィオの視線が、静かに細まる。
「兄上、お、お久しぶりです…」
「……レオン」
低く、抑えた声。名を呼ばれただけなのに、レオンの身体が小さく震える。
「その女とは関わるなと、父上から言われていたはずだが?」
「そ、それは……」
言葉が続かない。視線が揺れる。その隣で、シルヴィオの冷たい視線を受けてもなお動じないエリシアがくすりと軽やかに笑う。
「まあ、そんなこと。だって私たち、結婚するんですもの。いいじゃありませんか」
ざわり。その様子を遠巻きに見ていた周囲の空気が一変した。
(隣にいる私を見ても、何も言わないということは、学園で会ったことは覚えていないのね)
エリシアが、自分の顔を、そして、自分が誰なのかを知らないというのは好都合だった。
(まだ、今じゃない)
レオンの隣に堂々と婚約者顔して歩くこの女を、断罪するのは今じゃない。
「……あら?あなたが、シルヴィオ様のご婚約者様?ということは、カメリア様の妹さんでいらっしゃいますよね?」
あの時、暗い柱の影で聞いた、エリシアの笑い声。ニコリと無害そうな顔で微笑むこの女の本性。
「えぇ。リナリア・ローデリアと申します」
リナリアはただ静かに礼を返す。それ以上、言葉を重ねない。
エリシアはリナリアを上から下まで不躾に見つめ、無邪気な表情から一転。周囲の同情を得るかのように涙を滲ませた表情を作る。あぁ、虫唾が走る。
「私、カメリア様にいじめられてたんですっ…」
「エリシア、今その話は…!」
「だってレオン様、リナリア様とシルヴィオ様がご結婚なさるということは、私とも家族になるんですよ?私不安でっ…」
わざとだ。リナリアは直感する。周囲に人がいる状況で、わざわざ大きな声で泣き真似することで、同情を引こうとしている。
シルヴィオが、黙ってリナリアと組む腕に力を入れる。分かっている。挑発に乗るなという合図だ。
「シルヴィオ様、リナリア様のお姉様が何をしたかご存知ですかっ?」
「知らん。だが、カメリア嬢も、リナリアも、そんな女ではない」
「……リナリア様に嘘の話を聞いているんですね…!ひどい!姉妹揃って意地が悪いんです!!」
「無礼なのは、お前だ」
シルヴィオが即座に断じた。一切の容赦もない声音。まるでリナリアの代わりに怒ってくれているような。
エリシアは一瞬詰まるが、なおも言葉を重ねようとした、その時。
「失礼、よろしいですか?」
リナリアが、静かに口を開いた。初めて、自分から。エリシアはまるで仇を見るような顔でこちらを見てくる。
「リナリア様!私はもうカメリア様のこと許してます!だから意地悪はしないでくださいね!」
「……そうですわね」
やわらかく頷く。シルヴィオの視線が向いてるのを感じながら、リナリアは自分の中に吹き荒れる怒りを制御する。まだ、まだだ。ここじゃない。
「恐ろしいと感じてしまうのも、無理はありませんわ」
エリシアの表情がわずかに緩む。リナリアはシルヴィオと組んでいた腕を離す。
「なにせ…」
一歩、距離を詰める。
「場も立場も弁えずに振る舞う方にとっては」
静かに、確実に。
「礼を尽くす者は、理解の及ばない存在でしょうから」
リナリアは、静かに、美しく微笑んだ。カメリアのように。エリシアの表情が引き攣る。
「どうかご安心くださいませ」
優しく微笑み、
「あなたと家族になることはございませんので」
言い切る。
見ている誰もが、格の違いを感じる。
さっきまでのしおらしい涙はどこにいったのか、エリシアの顔色が真っ赤に変わる。
「……っ、やっぱり意地悪だわ!」
声を荒げた、その時。
「騒がしいわね」
場を切り裂くような、静かな声。
振り向いた先に立っていたのは、レイナード公爵夫人だった。その一歩で、空気の支配者が入れ替わる。
鋭い視線が、エリシアへと向けられる。
「……どなたかしら?この場で、そのような振る舞いをする娘は」
冷え切った声。一歩、また一歩と近づく。エリシアは怯えたようにレオンの後ろに隠れる。
「私の客人に対して、随分と無礼ね」
シルヴィオとリナリア、レオンとエリシアの間に立つように、レイナード公爵夫人は立ち止まる。
「レオン」
次に凍えるような視線が向けられたのは、震えるだけで何も言えないレオンだ。視線を受け止めたレオンは、グッと唇を噛み締める。
「あなたが連れてきたのでしょう?責任を持ちなさい。私の客人たちに、失礼だわ」
その一言で、完全に勝負は終わった。レオンは顔を青ざめさせ、深く頭を下げる。
「も、申し訳ありません……!」
「レオン様!なぜ謝るのです!!私たちは何もっ…!」
「良いから!行こう!」
レオンは慌ててエリシアの口を塞ぎ、手を掴む。引きずるようにして、その場を去っていった。残されたのは、静まり返った空気と、圧倒的な格の差。
公爵夫人はふっと息を吐き、
「……興が削がれたわね」
そう言ってから、微動だにしないリナリアへ視線を向ける。エリシアと、リナリアの格の違いに、ほんのわずかに、レイナード公爵夫人の口元が緩んだ。
「……いい応対だったわ」
それだけを残し、優雅に去っていく。周囲がざわめく。
評価が、変わったのが分かる。リナリアは静かに息を整えた。
その隣で。
「……よく抑えた」
「あの女にとどめを刺すのは、ここではありませんから」
シルヴィオの低い呟きに、リナリアは笑みを浮かべたまま答える。自分の中の激情を完全に隠し切り、リナリアは静かに決意する。
(……やっと。ここまで来た)
完璧な令嬢のまま。あの女を、叩き落とす。
その一歩を、確かに踏み出していた。




