再戦
春の盛り。
レイナード公爵家の庭園は、陽光を受けて柔らかく輝いていた。
咲き誇る花々は色とりどりに配置され、ただ美しいだけではなく、誰にどう見せるかまで計算された空間になっている。
その中心で開かれる、花見の会。選ばれた者だけが招かれる、社交の場。
シルヴィオにエスコートされながら、リナリアは周囲から集まる視線を感じていた。
「……視線が多いな」
「そうですね」
リナリアは小さく頷いた。シルヴィオと並ぶ以上、注目は避けられない。ヴァルクス公爵家とローデリア侯爵家の婚約は、今や社交界で一番の話題だ。
好奇、探り、値踏み。様々な視線が、静かに絡みつく。でも、今回はそんなことは気にならない。この場で、あの方に認められるまでは。
「ごきげんよう、リナリア様」
「ごきげんよう。またお目にかかれて嬉しいですわ」
先日のお茶会で会った令嬢に柔らかく微笑み、自然に挨拶を返す。気負いすぎてはいけない。味方を作ることも必要なのだから。
「本当に見事なお庭ですわね」
「ええ。こうして季節を形にして見せてくださるのは、さすがレイナード公爵家でいらっしゃいますわ」
持ち上げすぎず、軽すぎず。会話は滑らかに流れていく。
そう思った、その時だった。
「……楽しんでいらっしゃるようね」
静かな声。けれど、その場の空気を一瞬で支配してみせる、パーティー主催者。
リナリアは覚悟を決めて振り向いた。
「ごきげんよう、レイナード公爵夫人様」
あの日の悔しさが胸いっぱいに広がる。
そんな事は微塵も表情に出さずに優雅に一礼する。カメリアと、シルヴィオとの特訓が脳裏を駆け巡る。
「ごきげんよう、リナリア嬢」
「本日は、このような素晴らしい会にお招きいただき、誠にありがとうございます」
「ええ。来てくださって嬉しいわ。こうしてお話しするのは三度目ね」
「はい。再びお目にかかる機会をいただき、光栄にございます」
整った応答。けれど、それだけでは終わらない。ここで引けば、もう二度とレイナード公爵夫人と会う機会はなくなる。そんな確信があった。
「前回は、少し印象に残ったわ。今日は、それ以上を見せてくださるのかしら?」
リナリアは、ほんの一拍、間を置いた。沈黙を恐れない。余裕を演出しろ。決して恐れていると思わせてはいけない。
シルヴィオの腕にかける指先に僅かに力が籠る。
「ご期待に添えるかは分かりませんが、少なくとも、前回よりは退屈なお時間にはならないよう努めます」
一歩だけ踏み込み、リナリアは艶やかに笑ってみせた。脳裏に浮かぶのは、カメリアの揺るがない笑顔。同じには、まだ出来ないかもしれないけど、今できるリナリアの精一杯。
出過ぎず、引きすぎず。その均衡。
「では、この場において、ヴァルクス公爵家の婚約者は、何を見ているのかしら」
リナリアは、視線をわずかに巡らせた。庭園。人の配置。距離感。こちらを伺う、複数の目。
「全体の流れでございます」
「流れ?」
相手に考えさせる言葉。大丈夫。カメリアとシルヴィオとの特訓は、リナリアに自信を持って言葉を選ばせる。
「どなたが主導され、どなたがそれを受け、あるいは距離を保っていらっしゃるのか。そうした関係の動きを拝見しております」
やわらかく、輪郭だけを示し、相手の興味を惹きつける。レイナード公爵夫人が扇を口に当て、続きを促す。
「……続けなさい」
「本日は主催者のレイナード公爵夫人がいらっしゃいますので、自然と中心が生まれております」
視線だけ向けるが、直接的には示さない。こちらを見続ける、剣呑な眼差し。第二王子派の貴族達は、レイナード公爵夫人との距離を測ろうとしている。
「その周囲に、様々な温度の会話が重なり合っていて、どこに身を置くかで、得られるものが変わるように感じられます」
言い切らない。
含みを持たせる。
「……なるほど。慣れていないからこそ、俯瞰を選んだのね」
「はい。わたくしはまだ社交に慣れておりませんので、流れを読み取れなければ、流されたまま終わってしまいます」
リナリアの言葉に、レイナード公爵夫人は面白い、といった表情を浮かべて頷いた。それは、前回流されたまま終わった自分自身を指していると、レイナード公爵夫人は気づいている。
「いいでしょう。少なくとも、退屈な返答ではなさったわ」
「恐れ入ります」
静かに頭を下げる。そのとき。レイナード公爵夫人の視線が、ほんの一瞬だけ遠くへ流れた。
庭園の奥。まるでいなくなった誰かを探すような眼差しで。
「そういえば、あなたのお姉様は、お元気かしら」
「はい。姉は、またレイナード公爵夫人様にお会いしたいと、とてもお世話になった方だと話しておりました」
「……そう。本当に、勿体無い方だったわ」
短く返される。ぽつりと零れる。ほんの一瞬だけ、支配する圧が弱くなり、個の感情が滲む。
「けれど」
再び、リナリアと、そして二人のやり取りを黙って見つめるシルヴィオを見る。
「今は、あなたがいる」
試しではない。評価。
「期待しても、よろしいのかしら?」
まっすぐに問われる。リナリアは、ゆっくりと頷く。先ほどのたった一言で、レイナード公爵夫人が姉を大切に思ってくれていたのが伝わる。ならば、期待に応えたい。
「……はい。そのご期待にお応えできるよう、努めてまいります」
「……いいでしょう。カメリア嬢にはまだ遠く及ばないけれど、少なくとも、退屈ではなかったわ」
「お言葉、ありがたく頂戴いたします」
「またお茶会に誘うわ」
その一言を残し、踵を返す。その前に。
「シルヴィオ」
「はい。お久しぶりです」
周囲には聞き取らせない、小さな声。レイナード公爵夫人は扇で口元を隠したまま、シルヴィオへ視線を向ける。
「やっと戻ってきたと思ったら、面白い方を選んだものね」
「光栄にございます」
それ以上は語らない。レイナード公爵夫人は小さく微笑み、その場を後にする。
その背を深く頭を下げて見送りながら、リナリアは、小さく息を吐いた。姉が、シルヴィオが教えてくれたことが、通用した。
張り詰めていた空気が、ゆっくりとほどける。
「……私、少しは認めていただけたのでしょうか」
「元々素直に人を褒める方ではない。次の誘いがあるだけで、十分な結果だ」
「……はい」
声が少し震える。たった数分の出来事。まだ事態は何も進展していない。それでも、この経験は、自分を強くしてくれると、そう実感できた。
「よくやった、リナリア」
その一言で。張り詰めていたものが、一気にほどける。言葉にならない。
「……っ、ありがとうございます」
「顔に出すな」
「はい」
ぼやけそうな視界を慌てて整えるが、遅い。シルヴィオは小さく息を吐いたが、視線はほんの少しだけ柔らかく見える。
「まあいい。次に行くぞ」
「…シルヴィオ」
「なんだ」
「ありがとうございます。あなたのおかげです」
「礼ならカメリア嬢に言うんだな」
ふふ、と笑ってシルヴィオのエスコートに身体を預ける。この人の不器用なまでの優しさを、結果で返すことが出来た。それが堪らなく嬉しい。




