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姉が悪役令嬢にされたので、商人の妹が嘘を暴きます  作者: ゆきだるま
第一章

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届かない場所へ


王都、アルヴェスト商会本館。

その最奥にある会長室の前で、リナリアは一度だけ息を整えた。


(……シルヴィオからの、呼び出し)


それだけで、軽い用件ではないと分かる。


「失礼いたします」


「入れ」


短い声。

扉を開けると、シルヴィオは机に向かったまま、書類に目を落としていた。

視線すら寄越さないまま、長く筋張った指が机の前のソファーを指差す。


「来たか。そこに座れ」


「はい」


簡潔な指示に従い、ソファーへ腰を下ろす。

シルヴィオが向かいに座る前に、少しだけ部屋を見渡す。

必要なものだけが、正しい場所に置かれていて、そこに余白はない。

一つでも乱せば、すぐに気づかれてしまいそうなほどに、完成されている空間。


(まるで、この人そのものだ)


視線が自然と、向かいに座る人物へ向く。

濃紺の瞳が、すべてを見透かすように、静かにリナリアを射抜く。


「先ほど、第二王子派の貴族が来た」


唐突な一言。

だが、その重さは十分すぎるほど伝わる。リナリアは静かに背筋を伸ばした。


「要求は単純だ。流通の優先順位を操作しろ」


「……優先順位、ですか」


「ああ。第二王子派の貴族の領地に優先的に供給、それ以外、特に対立側の領地は後回しにする。お前の家も対象になるだろう」


息が詰まる。

カメリアの名誉も回復する為、証拠を集めている間に、相手は容赦なく攻め立ててくる。グッと下唇を噛み締める。


「……議会は」


「通していない。商会の運用の範囲で歪めるつもりだ。理由はいくらでも作れる」


検査の遅延、許可の差し止め、契約条件の変更。

どれも正当な手続きとして処理できる。

断ればどうなるか、なんて聞かなくても理解できる。関所、監査、通行規制。商会にとって致命的な圧力。


(露骨すぎる。…だからこそ、隠す気がない)


「……お受けになるのですか」


「受けた」


短い返答。心臓が一瞬、強く打つ。


「だが、そのまま実行はしない」


続いた言葉に、顔を上げた。


「帳簿と実流通を分ける。表向きは従っているように見せるだけだ。実際の流れは変えない。二重に組む」


理解が、すっと落ちる。一瞬でも動揺した自分が恥ずかしい。シルヴィオが、そんな圧力に屈するはずがないのに。


「……提出用の帳簿を、別に用意するのですね」


「ああ。それを、お前に任せる」


「……私に、ですか」


「この規模の数字を扱える人間は限られる。その中で、口が軽くなく、状況判断ができる。お前が適任だ」


迷いのない断言。そして、寄せられる信頼に、応えたい。その重さを、真正面から受け止める。


「承知いたしまし。第二王子派の要求に沿った提出用帳簿を作成いたします。ただし、実流通との整合性は内部で維持します」


「そうしろ」


「……一点、よろしいでしょうか」


「言え」


「いずれ、第二王子派には、露見するのではありませんか」


静かな問い。

シルヴィオがリナリアを評価しているのは、こういう所だ。疑問に思ったことは、誰に対しても率直に意見を述べることが出来る。


「帳簿上では優先しているにもかかわらず、実際の流通に差が出ない場合、遅延や価格の歪みも生じなければ、不審に思われるかと」


「問題ない。もう手は打っている」


短い一言。だが、それだけで十分だった。

シルヴィオは、貴族達から届いた証拠の書状を机に並べたながら、必要なことだけ述べる。


「これは長く続けるためのものじゃない。必要な分だけ時間を稼ぐ。その間に、押さえるべきものを押さえる」


淡々とした説明。だが、その裏にあるのは、明確な確信。言い切る声に、迷いはない。


「露見する前に終わらせる」


(……この人は、どこまで見えているの)


背筋に、わずかな震えが走る。

敵わない。追いつきたい。この人の部下として、仕事を任せてもらえることが、誇らしい。


「……承知いたしました」


それ以上の言葉は不要だった。





数日後。


リナリアの机の上に並ぶ、二冊の帳簿。

一冊は正式な記録。もう一冊は、提出用。

リナリアは静かにペンを置いた。


(これで、整った)


第二王子派の望む形。だが実際の流通は、何一つ変わっていない。この歪みを知る者は、ほんの一部。

ふと、手が止まる。


(……私は、言われた通りにやっただけ)


それなのに、脳裏に浮かぶのは、あの会長室。

無駄のない空間と、すべてを見通しているような視線。


(シルヴィオは、もうその先にいる)


盤面を整えるだけでは届かない場所。

流れを読むだけでは触れられない領域。


ローデリア家。カメリアの名誉。

踏みにじられたものを、取り戻すためには。


(……足りない)


ぎゅっと、胸元を押さえる。

悔しさとも、焦りともつかない感情が込み上げる。


(このままじゃ、並べない)


ただ守られているだけでは、隣には立てない。


視線が、無意識に自分の手へ落ちる。

商人として積み上げてきたもの。けれど、それだけでは届かない場所がある。


(……だったら)


ゆっくりと、息を吐く。


(自分で、そこに行くしかない)


逃げるように避けてきた場所。踏み込めば、もう戻れない世界。もう、商人ではいられなくなる。


(貴族の中枢に、入り込む)


その為には、社交界に入らなければならない。

そして、


(一番、確実なのは)


ほんのわずかに、指先が震えた。


(……結婚)


言葉にした瞬間、胸の奥が、きしむ。

それでも、目は逸らさなかった。


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