静観という選択
王都の一角、石造りの重厚な建物の一室。
アルヴェスト商会、会長室。
の、更に奥、会長の許しがなければ入れない客室にシルヴィオはいた。
分厚い扉で仕切られたその部屋は、中の音を一切漏らさない。
シルヴィオは目の前に腰掛ける三人の貴族たちを一瞥した。
いずれも貴族だが、上位貴族ではない。装いは整っているが、纏う空気はどこか実務的で、権威よりも仕事の色が強い。
「時間をとってくれたこと、感謝するよシルヴィオ殿」
中央に座る男が、形式的な礼を取った。
「急ぎの用件と伺いました」
淡々とした返答。
余計な愛想はない。だが、無礼でもない。その温度に、男たちはわずかに視線を交わした。商人にしては、落ち着きすぎている。
「単刀直入に申し上げます」
「現在、我々は流通の調整を検討しております」
「穀物、塩、保存食――生活に直結する物資です」
「これらの輸送について、優先順位を再編したい」
この男達が、第二王子派の貴族であることは分かっていた。婚約破棄の成功を確信し、次の策を講じてきた。
「優先順位、ですか」
「ええ。特定の領地に対して、より円滑に届くように」
言葉は柔らかい。当然のような顔で、国の施策であるかのように話している。が、意図は明白だった。
「第二王子殿下を支持する領地へ、優先的に」
沈黙。シルヴィオは表情を変えない。
「そして、それ以外の領地、特に第一王子殿下を支持する領地は後回しに」
「結果として、輸送の遅れや価格の変動が生じることになるでしょう」
「……議会の承認は」
静かな問い。当然の確認だった。三人のうち一人が、わずかに口元を歪める。
「表立って行うものではありません」
「あくまで、運用の範囲内での調整です。輸送順序、検査頻度、契約更新、理由はいくらでも立ちます」
「不足は起こりません。ただ、差が出るだけです」
「ヴァルクス殿、お分かりでしょうが、断るというのなら、それ相応の代償を払うことになります」
先ほどまでの穏やかな説明から一転、露骨な脅しだった。
関所、許可、検査——先ほど提示された利益が、そのまま圧力に変わる。
淡々とした説明。
責任を回避しながら、結果だけを歪めるやり方。
「……商会に、その実行を担えと」
「はい」
即答だった。
「アルヴェスト商会は国の指定運搬を担う最大手。貴殿らが動けば、流れは変わる」
「無論、相応の配慮はいたします」
「輸送許可、関所の通行、監査……不都合が出ぬよう調整しましょう」
言外の意味は明確だった。従えば守る。従わなければ締める。選択肢は、最初から一つしかない。
短い沈黙。
やがて、シルヴィオが口を開く。
「……承知しました」
その一言で、空気がわずかに緩む。
愚かだ、と内心で切り捨てながら、そんなことは微塵も出さずに続けた。
「ただし、急激な変更は不自然になります。段階的に調整を行う必要があります。また、我らは一商会。どの領地を優先すべきなのか、誤るわけにはいきません。詳細は書面で頂きたい」
「構いません」
「運用の詳細はこちらで組みます」
「お任せします」
すぐに返答が重なる。完全に乗ったと判断したのだろう。三人の男たちは顔を見合わせて満足げに頷き合っている。
「では、条件については後日書面で」
「ええ。それで結構」
「ご理解に感謝いたします、シルヴィオ殿」
「こちらこそ」
形式的な応答。扉が閉じられ、気配が遠ざかる。
完全な静寂。
その中で、シルヴィオはゆっくりと息を吐いた。
「……浅いな」
ここまで露骨であれば、隠しきる気すらないようなものだ。成功に浮かれている証拠だ。
それとも、これが第二王子派にとっては隠してるつもりか。
(なら、使える)
机の上に残された茶器に視線を落としながら、思考を
巡らせる。
帳簿上は、第二王子派の要望に従った形を作ればいい。だが、実際の荷の流れは渡さない。
二重に組めばいい。
それが、奴らの証拠を掴む一番の近道であることを、シルヴィオは確信していた。
その夜。
王城の奥、限られた者しか入れない私室。
柔らかな灯りの下で、一人の青年が書面に目を落としていた。
金の髪は光を受けて淡く輝き、整った横顔に影を落とす。澄んだ碧眼は静かだが、その奥には絶えず思考が巡っているのが分かる。
アルベリク第一王子
ノック。
「入れ」
短い声。扉が開き、シルヴィオが室内へ入る。
その足取りに、遠慮はない。
王城の奥深く、本来なら限られた上位貴族しか踏み入れぬこの場所においても、彼は躊躇なく足を進める。
部屋にいた護衛、侍女たちはシルヴィオと入れ違うようにして部屋から退出していく。
「……来たか。久しぶりだな、ヴァルクス」
顔を上げずに落とされた一言。
シルヴィオ・ヴァルクス。
公爵家の長男にして、宰相の血を引く男。そして、レオンの兄。
そして、宰相の息子として育った彼と、王太子として育てられたこの王子は、幼少の頃より同じ場で学び、同じ時間を過ごしてきた。
立場は違えど、関係は主従よりも深い。
互いに能力を知り尽くした、対等な間柄。
本来なら、昼間の貴族たちが話しかけるのも恐れ多い大貴族だ。
「呼び出されたか」
「ええ」
シルヴィオは短く答え、アルベリクの机の前に立つ。そこでアルベリクはやっと顔を上げる。
「第二王子派の実務役が三名。流通への圧力をかけてきました」
「……内容は」
簡潔な報告が続く。
穀物、塩、保存食。優先順位の操作。
第一王子派の領地への遅延と価格上昇。
議会を通さない運用操作。
すべてを聞き終えた後、アルベリクは手にしていた書類を机に置く。碧眼が答えを促すようにまっすぐにシルヴィオを射抜く。
「それで?お前はどう答えたんだ、シルヴィオ会長?」
「受けました」
即答だった。わずかに、沈黙が落ちる。
だがアルベリクは驚かない。愉快そうに口の端を緩める。
「理由は?まさか貴族の圧力に屈したのか?」
「証拠を揃えます。関与者、指示系統、圧力の実態……すべて。今回の流通に関して言えば、詳細は書面を寄越すそうなので、証拠を手に入れる手間が省かれました。奴らは随分浮かれているようですね」
アルベリクは苦笑いするだけだった。
この男の手の内で転がされていることを知らず、証拠まで渡そうとする第二王子派が簡単に想像できた。
「実流通は歪めません。帳簿上は第二王子派の領地へ優先しているように処理します。だが実際の配送は切り離し、第一王子派の領地にも従来通り供給を維持する」
シルヴィオは一拍置いて、静かに続ける。だが、長い付き合いの王子には分かる。この男は、怒っている。
「記録と実態を分離します。見える数字は操作し、実際の流通は握ったままにする。民の生活に実害を出すわけにはいかない」
「……二重に回すか」
「はい」
短い肯定。
その言葉に、アルベリクはわずかに息を吐いた。そして、ほんのわずかに笑う。宰相の息子として、市政を知るためにわざわざ商会で働く、真面目すぎる男。信頼に値する友として、安堵する。
「こちらは動かない。向こうに成功していると思わせろ。欲を出させる。限界まで泳がせる。その上で、まとめて押さえる」
「承知しました」
即答。アルベリクは満足気に頷き、何気ない調子で言った。
「……シルヴィオ」
「はい」
「いつまで商人でいるつもりだ」
その問いに、シルヴィオはわずかに目を伏せる。
商会の一員として動く今の立場と、ヴァルクス家の長男として背負うべきもの。
そのどちらも、理解しているからこその沈黙だった。
「さて」
それだけだった。曖昧な返答。
だが王子はそれ以上追及しない。
理解しているからだ。いずれ、この男は前に出る。
その時が来れば、もう隠れてはいられない。そして、その時はもうすぐそこだと。
「好きにしろ。だがその時は、私の側に立て」
わずかにシルヴィオの口元が緩まる。
私のため、つまりは王のために。
冗談のようで、冗談ではない。
シルヴィオはほんのわずかに目を細めた。
「光栄です」
簡潔な返答。それだけで十分だった。




