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02 年を取っていない同級生

 

 朝日が目蓋に突き刺さって、眼球がぢんと痺れる。


 いつもは遮光100パーセントのカーテンで遮って昼過ぎまで寝てるというのに、店から帰ってきたときにカーテンを閉め忘れたのだろうか。いや、カーテンなんてここ数年開けた記憶がない。それなら、合鍵を渡した女が勝手に開いたんだろうか。ちくしょう、売上げのためとはいえ何十本も合鍵をバラまくんじゃなかった。


 込み上げてくる苛立ちにうめき声を漏らしながら、布団を頭までかぶる。だが、すぐさまその布団を無理やり剥ぎ取られた。



「起きろ」



 寒々とした声とともに、背中を軽く蹴り飛ばされる。その衝撃に、うぐっ、と咽喉から鈍い声が漏れた。



「よるくも、もっと優しく起こしてやれ」

「朝になっても起きないこいつが悪い」



 頭上で男たちが喋っている声が聞こえる。声質はそっくりだが、口調が違う。片方の口調は柔らかいが、もう片方の口調は尖っている。


 重たい目蓋をゆっくりとこじ開けると、そっくりな顔立ちをした男二人がこちらを見下ろしていた。片方は腰に片手を当てて苦笑いを浮かべ、もう片方は両腕を組んで顰めっ面をしている。その面を見て、昨夜の途切れ途切れの記憶が一気に脳裏によみがえった。


 思わず布団をはねのける勢いで起き上がって、男たちを指さす。



「あ、あんたらっ……」



 動揺のせいで指先がぶるぶると震える。自身の震える指先を見たとき、不意に気付いた。あらぬ方向へ折れ曲がっていた右腕がまっすぐに戻っている。


 目を見開いたまま、左手でぺたぺたと右肘辺りに触れる。だが、肘は正常な角度をしており、痛みすらない。服も、藍色の着物に着替えさせられていた。



「母さまが治してくださったんだ」

「あとで母さまに礼を言えよ」



 ふんっ、と片方の男が居丈高な口調で言う。


 男たちは『治した』と言うが、骨折を一晩で治すことは可能なんだろうか。俺が知らないだけで、医療はもうそんなにも発達しているのか?


 そこで、ようやくここが自分の家ではないことにも気付いた。い草の柔らかな匂いがする十畳ぐらいの和室に、布団が一組だけ敷かれている。朝日が射し込む方へ視線をやると、ガラス張りの縁側から色とりどりの花が咲き誇る庭が見えた。



「ここ、どこだ……」



 蝶々が飛びかう庭先を眺めながら呆然と呟くと、片方の男が静かな声で答えた。



「ここは僕らの家だ」



 言いながら、男が畳に片膝をついて、俺の顔に手を伸ばしてくる。その指先が頬に触れた瞬間、濡れてもいないのにべちゃりと粘着いた感触が走って、鳥肌が立った。



「顔の傷も綺麗に治っているな」

「だが、無精髭が生えていて不潔だ」



 片割れが嫌そうな声で呟くと、もう一人の男はたしなめるように眉尻を下げた。



「そういうことを言ってやるな、よるくも」

「いいや、こいつを甘やかすな、ひるくも」



 人間はすぐに調子に乗って間違いを犯すのだから。と、よるくもと呼ばれた男が吐き捨てるように言う。

 よるくもとひるくも、その名前も確か昨夜聞いた。あれは夢じゃなかったのか、と呆然としていると、ふと襖が開かれる音が聞こえてきた。



「彼は起きたかい?」



 開いた襖から顔を覗かせた男を見て、俺は口をぽかんと開いた。ひどく懐かしい、見覚えのある顔だ。



「メ……メグル?」



 それは俺の高校時代の同級生の名前だ。


 疑問符をつけて呼んだのは、久々すぎて顔が分からなかったからじゃない。むしろ変わっていないのだ。目の前にいるメグルは高校時代で時が止まってしまったかのように、顔も姿も何もかも、二十年前と同じだった。


 メグルは硬直した俺を見ると、にこりと柔らかな笑顔を浮かべた。高校生のときよりも、ずっと穏やかで自然な表情をしている。昔はキョロキョロと周りの様子をうかがって、自信なさげに強張った笑顔を浮かべていたのに。



「久しぶりだね、オウジ。元気だった?」



 約二十年ぶりだというのに、まるで一週間ぶりにあったような軽やかな口調だった。



「は? お前、なんで? 整形か?」



 頭がこんがらかって、思い付いた言葉がそのまま口から出てくる。だが、何千万出して整形したって、ここまで完璧に若さを保てるものなのだろうか。


 目を白黒させる俺を見ると、メグルは足音もなく近付いてきた。俺の傍らで両膝を落とすと、のんびりとした口調で言う。



「体調はどう? もう痛いところはない? 見つけたところは、うちの妻がすべて治してくれたと思うけど」

「妻ァ?」



 思いもよらない単語が聞こえて、裏返った声が漏れた。


 ふふ、とメグルが密やかな笑い声をあげる。その笑い方も、高校生のときとは全然違う。昔は、周りに合わせてゲラゲラと一際でかい笑い声を無理やりあげていたというのに。



「結婚したからね」

「い、いつ?」

「私が『向こう』に行ったのが二十二歳のときだったから、それぐらいかな」



 記憶を探るように視線を宙に浮かべて、メグルが答える。


『向こう』というのは一体何のことなのか。俺が露骨に怪訝な表情を浮かべていると、メグルはゆったりと笑みを深めた。



「いきなり、うちの子がオウジを連れて帰ってきたから吃驚したよ」

「うちの子?」



 オウム返しに繰り返すと、メグルは二人の男に視線を向けた。途端、よく躾けられた犬みたいに二人の男がメグルを挟んでピシッと正座する。



「うちの息子の、ひるくもとよるくも。見ての通り、双子なんだ」



 左右にいる双子を一人ずつ掌で示しながらメグルが言う。ひるくもは目を細めてわずかに微笑み、よるくもは目を細めて睨み付けてきた。


 息子という一言に、俺はまた口をぽかんと開いた。



「い……いやいやいやっ、勘定が合わねぇだろっ」

「勘定?」

「こいつら二十歳は過ぎてるだろっ」



 三十六歳で二十歳過ぎの子供がいるというのは現実に有り得ない話ではないが、高校時代のメグルにすでに子供がいたとは思えなかった。


 俺が狼狽している理由が分かったのか、メグルは、あぁ、と小さく相槌を漏らした。



「この子たちは『前の私』の息子だからね。年勘定が合わないのはそのせいだ」

「ま、前の私?」



 さっきから、おかしな単語ばかりが耳に入ってくる。理解できずに、頭がぐるぐると空回りする。


 ひるくもとよるくもが、メグルを見つめて口々に言う。



「前でも今でも、僕らは父さまの子供です」

「僕らは父さまが大好きです」



 メグルに対する双子は、まるっきり幼児のように従順で素直だった。『父さま』という古めかしい呼び方を聞いて、チリッと脳の奥が疼くのを感じた。昔、同じような声を聞いた気がする。


 ひるくもとよるくもを順々に見返すと、メグルは口元を柔くほころばせた。



「私もひるくもとよるくもが大好きだよ。二人とも大事な私の息子だ」



 メグルの言葉を聞くと、双子は嬉しそうに表情を緩めた。まるで誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントを同時に貰ったみたいな表情だ。


 それを見て、俺は無意識に顔を顰めた。


 なんとも、家族愛に満ちたやり取りだ。俺には縁遠い、というよりも一度も縁があったことのない、温かく、満ち足りた家庭の光景。


 ドラマなんかでこういう設定の家庭を見る度に、俺はどこか作り物を見せつけられているような薄ら寒さを感じていた。それなのに、どうしてだか目の前の家族からはそれを感じない。それは、きっと目の前の家族が見せかけではなく本物だと分かっているからだ。


 だからこそ、余計に不快感にも似た疎外感を覚えた。なんだかマッチ売りの少女になったみたいな気分だ。マッチの火の向こうには温かい家が見えるが、現実の自分は吹雪の中でひとり凍えている。


 込み上げてくる自己嫌悪に顔を顰めかけたとき、廊下からこちらを覗いている二つの影に気付いて、ギョッと身体が強張った。


 開かれた襖の左右から、小学生ぐらいの子供二人がひょっこりと顔を覗かせている。片方は顔に精巧な狐面をかぶって、もう片方は戦隊レンジャーの安っぽいお面をかぶっていた。



「お客さん?」



 狐面の方が不思議そうに声をあげる。メグルは、肩越しに振り返って答えた。



「そうだよ、お父さんの友達なんだ。二人ともご挨拶をして」



 メグルに促されると、先に戦隊レンジャーのお面をかぶった子供が、お面を片手で上げながら頭を下げた。お面の下から現れたのは、生意気そうな顔立ちをした少年だ。



「こんにちは。ユーマです」



 先を越された狐面が、お面をかぶったままペコッと頭を下げる。



「こんにちは。あけぐもですっ」



 緊張のせいか、語尾が跳ね上がっている。その他愛ない反応を見て、自分でも思いがけず口元が緩んだ。

 二人を見て、メグルが問い掛ける。



「二人とも、ちゃんと朝ご飯は食べた?」

「食べました!」

「食べたっ!」



 ユーマとあけぐもが元気よく答える。



「そう。お客さんがいるから、今日はお庭の方で遊んでくれるかい?」



 メグルがそう頼むと、ユーマとあけぐもは軽く顔を見合わせてから「はぁーい」と声を揃えて答えた。そのまま、バタバタと忙しない足取りで走って行く。すぐさま廊下の方から、二人の楽しげな笑い声が聞こえてきた。


 その姿を見送ってから、メグルが苦笑い混じりに言う。



「ごめんね、騒がしくて」

「あれも、お前んとこの子供か?」

「あぁ、うん。あけぐもは私の子で、ユーマくんは事情があって引き取った子なんだ」



 つまり、養子ということだろうか。そんなことを考えていると、メグルは穏やかな口調で続けた。



「それから、長女もいるよ。ただ、もう長女は結婚して家を出てしまったからね。そろそろ初孫も生まれるんだ」

「まっ……!?」



 先ほどから、とんでもない発言ばかりを聞いている気がする。俺が金と酒と女に溺れている間に、同級生は着々と家庭を築き、養子まで引き取り、更に初孫まで誕生しようとしているとは。あまりの人生の対比に、嫌な動悸が止まらなくなる。


 無意識に左胸を押さえると、メグルは俺の右腕を眺めて微笑んだ。



「良かった。腕の動きも問題なさそうだね」



 その言葉にハッとして、とっさに右腕を見せつけるように持ち上げた。



「お、俺の腕っ、折れてなかったのか?」

「折れていたよ。綺麗に、ポッキリと」



 メグルが少しおどけた声で言う。すると、ひるくもとよるくもが、クスクスと密やかな笑い声を漏らした。



「いや、ポッキリ折れてたなら、一晩で治るわけないだろっ」

「うちの妻なら治せるんだ」



 聞き分けの悪い子供に教えるような口調で言う。その言葉に、俺は唇を戦慄かせた。



「お、お前の嫁は、世界一の名医か何かかよ」



 唖然とした声音でツッコミを入れると、メグルは目を丸くした後、不意に弾けるような笑い声をあげた。ははっ、と高らかな声が部屋に響く。



「そうだね。チカさんは世界一の名医なんだ」



 きっと『チカさん』というのが、メグルの妻の名前なんだろうか。その名前を口に出した瞬間、メグルの表情がとろけるように緩んだ。妻への愛情を隠そうともしていない顔だ。


 その顔を見て『あ、こいつは幸せなんだ』と思った。好きな女と結婚して、可愛い子供たちがいて、満ち足りた日々を送っている。俺とは真逆な人生だ。


 不意に、劣等感と嫉妬が入り交じった感情が腹の底から込み上げて、かすかに吐き気を覚えた。


 高校生の頃は、俺の方がメグルなんかよりもずっとイケていたし、女にだってモテていた。それなのにどうして、幸せな人生を送るメグルに対して、俺はこんな惨めったらしい人生を送っているんだ。


 黙ったままうつむく俺を見ると、メグルは目を細めて微笑んだ。まるで俺の浅はかな心を見透かしているような眼差しだ。



「疲れているだろう? 好きなだけここにいて構わないよ」



 静かに漏らされた言葉に、胡乱げな視線を向ける。メグルはにこりと俺に笑いかけてから、左右に座る双子を見やった。



「ひるくもとよるくもも、君を気に入ってるみたいだし」



 子供が捨て犬でも拾ってきたみたいな言い方だ。


 腹立たしさに唇を開くが、俺が言葉を発する前に、双子が口々に声をあげた。



「いいえ、気に入ってるわけではありません」

「ただ僕らは、この男がまともに生きられるように面倒を見る義務があるんです」



 子供が親に言い訳するみたいな、必死な口調だ。その台詞に、ますます顔が歪んだ。


 気に入ってるわけじゃないとか、面倒を見る義務だとか、こいつらは俺をペットか何かだとでも思っているのか。



「いや、もう帰る」



 短く吐き捨てて、布団を乱暴に払う。すると、メグルは事もなげにうなずいた。



「そう。でも、君が昨日着ていた服はまだ乾かしているところだから、それまでは朝食でも食べていくといいよ。うちの奥さんは料理もうまいんだ」



 さり気なく惚気のろけながら、メグルがのんびりと立ち上がる。メグルの左右に座っていた双子も、すぐさまスクッと膝を伸ばした。


 よるくもが顔を顰めながら言う。



「朝食の前に風呂だ」

「昨夜は、ざっと身体を拭いただけだったからな。ちゃんと綺麗にしないと」



 言いながら、ひるくもが自身の長袖を捲り上げる。その仕草を見て、嫌な予感が走った。



「ひ、ひとりで入れるからな」



 念のためにそう宣言すると、双子は顔を見合わせた。だが、すぐさまその顔に呆れた表情が浮かぶ。



「自分で自分の面倒も見れていない奴が、何を言っている」

「言っただろう? 僕らがちゃんと世話してやるって」



 よるくもとひるくもはそう言うと、俺の両腕をガシッと掴んだ。力強い手の感触に顔を引き攣らせながら、俺はとっさにメグルを見やった。だが、メグルはにこにこと微笑ましそうに笑うばかりだ。



「力加減に気を付けなさい。優しくしてあげるんだよ」



 か弱い生き物に触れる子供を注意するような声音だ。


 メグルの忠告を聞くと、双子は「はい」と聞き分けのいい声を返した。

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このシリーズ大好きであの家族のお話が読めるのとても嬉しいです。 続きも楽しみにしています(本も買います楽しみです)
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