エピローグ.1
さて、ここから先の話は蛇足です。
自慢話に聞こえるかもしれませんし、いい加減聞き飽きるかもしれませんが、後少しだけお付き合いください。
僕はあの奪還戦の後、しばらく台地での防衛任務についていましたが、新たな作戦が開始され、そこにとどまることは出来ませんでした。
スターリングラードの攻防戦に終止符を打つべく、大反抗作戦「天王星作戦」が開始されたからです。
作戦の詳細は省きます。簡単に言えば都市を包囲していたドイツ軍の南北両翼を攻撃、都市を横目に前進した後、北軍は南下、南軍は北上してカラチという場所で合流し、包囲されている街を更に包囲するという逆包囲の形になります。
この作戦が成功すれば都市を包囲するドイツ軍と補給部隊とを分断出来、相手は物資不足に陥り、弱っていきます。後は徐々に包囲の輪を狭めていけばどうにでもなりますね。
予備兵も動員した大規模作戦だけあって、もし失敗すれば大勢の兵士とコーカサス地方での支配権が奪われたでしょう。
コーカサス地方が奪われるということは、ソビエトにとって戦争の敗北を意味します。
まさに独ソ戦の天王山と言える戦いです。
天王山の戦いに天王星作戦を用いる。偶然ですが何やら言葉遊びみたいで面白いですね。
僕はその北軍攻撃部隊に参加していました。戦闘中の僕の役目は奪還作戦と同じでした。兵士たちに神の言葉を伝え奮い立たせ、先陣を駆け抜けました。死に際の兵士を看取り、最期の言葉を兵士達に伝えてやりました。
作戦は順調に進み、作戦が始まってものの4日で包囲網を形成しました。 それからはじわじわと麦畑の野焼きのように包囲網をせばめていきました。
包囲作戦は驚くほど予定通りに進みましたが、都市内部に取り残されたドイツ軍の抵抗は随分と長く続きました。
結局、ドイツ軍は赤軍の降伏勧告を受諾するまで、反攻作戦開始から半年以上経過していました。
その間、ずっと市街地にこもりっきりでしたから、一度もあの高台の様子を見に行くことは出来ていませんでした。
ようやく向かうことが出来たのは攻防戦が終結してから1ヶ月が経過してからでした。
僕は高台に向かって走る幌付きトラックの荷台にいました。
二等兵がついてきていました。仮設中隊で知り合ったあの二等兵です。
奪還作戦の後から僕の当番兵のような事をしていまして、どこに行くにしてもついてくるので、随分鬱陶しく思っておりました。
―二等兵、お前も市街地で騒いでればいいんだぜ。これは軍務ではないんだからよ。
「いえいえ、僕も行きたかったんです」
―そうかい。
移動中の暇を紛らわせるために持ってきた新聞を開きました。
一面の記事はスターリングラード解放。荒廃した街を背景に丸々と太った将校が笑っている写真が載っていました。
僕の中でむくむくと怒りが湧いてきました。
―誰だよ、こいつはよ。
「大将閣下ですね。モスクワから視察に訪れたみたいです」
僕の言葉に横から首を伸ばして、新聞を覗き込んだ二等兵が言いました。じっと記事を読んで、憤慨した声をあげました。
「何ですか、モスクワから指示を飛ばしていただけなのに勲章授与が決まったそうですよ。この人はなんて恥知らずなんですか。実際に解放したのは前線の兵士たちだっていうのに」
―恥知らず、そうだな。これだけ太っているんだから面の皮も厚いんだろうよ。
ふんふんと二等兵は頷いていました。それから、2人して新聞を読んでいました。どの面だったかは忘れましたが、突然二等兵が素っ頓狂な声をあげて、一つの記事を指差しました。
「見てください。准尉のことが載っていますよ」
『ルカ・M・ブラウスパーク准尉、赤旗勲章を受勲』という見出しとともに、雄弁な言葉が並んでいました。
赤旗勲章、この戦いで受勲した勲章です。
受勲の条件は戦場における並外れた献身、勇敢、英雄的行為を行った者です。序列で言えば、上から3つ目に位置する高位の勲章でした。
戦時中にこれを得るには余程の功績がいるらしく、同じ受勲者達はキルスコア100人超の狙撃兵、敵戦車を多数破壊した戦車長、数名でアパートに籠城して敵兵の進行を阻んだ分隊長といった錚々たる面々が揃っていました。
僕の受勲理由は反抗作戦で常に戦場で先陣を切り、並外れた勇気を示したことと、100人を超える兵士の命を救ったことでした。
他の受勲者とは違い、武器を持たず、人を殺さずにいた僕は異彩を放っていましたが、それ故に人々の目を惹き、受勲者の中でも特に新聞やラジオで大々的に取り上げられていました。
胸元に光る勲章を弄りました。
―いい加減静かになってくれねぇかな。もう誉めそやされるのにも飽きた。
「残念ですけど、まだ当分は准尉のことを忘れてくれませんよ。明日も取材が入ってます」
頭が痛くなりました。始めこそ黄色い声に鼻の下を伸ばしていましたが、何十回も記者から取材を受けるうちにうんざりし始めました。
―お前が変わりに受けてくれよ。あいつらのおべっかは聞き飽きた。自分の言って欲しいように話を持っていこうとするんだぜ。何を話しても結論は愛国心からの行動にされるんだ。だったら誰が話しても同じだろう。
「兵士達に賞賛されるといつも上機嫌じゃないですか。聖人様、英雄って呼ばれて」
―あいつらに褒められるのはいいんだよ。
都市を逆包囲した頃から僕のことは部隊間で噂になっていたそうです。
なんでも、弾丸が避けて通るとか言う話だそうです。まさか、そんなことはありませんが、武器を持たずに赤旗を振り回して先陣を切る男が、弾丸に当たらず帰ってくることが余程奇妙だったのでしょう。
それが、スターリングラード市街地での戦いの時には、准尉の手にかかれば、瀕死の人間が命を吹き返す、というふうな噂になっていました。
市街戦ではどこに敵が潜んでいるかわからない以上、旗を持って突撃する機会はありませんでした。
なので、僕の仕事はもっぱら傷病兵の手当てでした。兵士たちが傷を負えば手当てをしますし、もし、弾雨の下で動けなくなっていたら、匍匐して安全なところまで引っ張っていきました。
僕の手にかかれば死にかけの人間も息を吹き返す、なんてそんなこと出来るわけないでしょう。ただ僕の前で死んだ兵士が文句を言ってこなかっただけです。
自分で自分の噂話を話すのは気恥ずかしいです。まぁ、とにかく、気づけば僕に関する噂が一人歩きし始め、市街戦がたけなわの頃には僕のことを英雄だの、聖人だのと言い、信倚する兵士達がかなりの数いましたね。
「そういうものですかねぇ」
納得しない様子で二等兵は顎をかきました。それから新聞の写真をこちらに向けて、
「何でも良いですけど、次の写真はもっと良い笑顔をしてくださいよ」
新聞には下手くそな愛想笑いを浮かべた僕の顔が写っていました。
―面白くもないのに笑えるかよ。記者どもは注文が多いんだ。やれもう少し口角を上げろだの、歯茎は見せるなだの。そんなに笑って欲しけりゃ酒でも持ってきやがれてんだ。変顔でも撮らせてやるぜ。
「呑んだくれたら何をするかわからないからでしょう。勲章授与に酔ってくるようなことしてたら禁酒しろと言われますよ」
―うるさい。酒を呑むなというのなら他国に亡命してやる。イギリスでエールが呑みたい。
「憲兵に伝えておきましょう。大佐から馬鹿なことをさせるな、とキツく言われているんです。僕の苦労も考えてくださいよ。貴方は今や軍の広告塔なんですから、その勲章に見合った行動をしてください」
二等兵の言葉に僕は自分の胸元に目をやりました。陽光を受けて鈍く輝く勲章が目に入りました。
―これのせいで好き勝手できないのか…今からでも酒と交換できねえかな。
「やめてください、大佐に殺されます」
―皆んなが平等共産国家だ、権力には歯向かってこうぜ。
「ならまず見せしめに准尉に反抗しましょう」
そんなくだらないやり取りをしていると、リアガラスがガラリと開けられました。
「見えてきましたよぉ」
運転手の間延びした声が聞こえてきました。
幌の隙間から身を乗り出して先を見ると、薄ぼんやりとですがバケツをひっくり返したような均整の取れた高台が目に入りました。
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