突撃
鬨の声をあげながら突撃する僕の背後から、一瞬の間を置いて、同じような声が聞こえてきました。後ろから強く支えられているようでした。
数瞬遅れて、敵陣から弾丸が飛んできました。前からも後ろからも弾丸が飛んでくるのです。凄い光景でした。 弾丸同士が空中で衝突し、火花を散らすのです。
後ろから誰かの「うぐっ」という声が聞こえました。ですが、振り向きませんでした。
もしかしたら僕の後ろには誰も立っていないかもしれません。ですが、旗持ちは振り返ってはいけません。
例え、1人になろうとも振り返らず、ひたすらに兵士たちの先を行かねばなりません。
もし走れなくなれば、旗を地面に突き刺して倒れようと僕は決めていました。
僕たちがどこまで進んだのか。その証拠を作らなければと考えていたからです。
ですが、運良く、いえ、運なんて話ではありませんね。皆のおかげで弾丸にはあたらず、敵塹壕の中に飛び込みました。
銃を構えていた敵を巻き込んで塹壕の中に転げ落ちました。
倒れたままだと撃たれると思い、左右もわからないまま横っ飛びに跳ねました。
壁に肩を激しくぶつけました。目を開くと仲間の兵士たちが次々と敵陣に雪崩れ込んでいました。
全員とは言えませんが、文字通り弾雨の中をくぐってきた兵士達でした。 既に命を捨てているのですから、並の人間では相手になりません。嵐のように敵兵を薙ぎ倒していました。
塹壕の中に血の雨を降らせながら僕たちは高台を上は上へと一塊になって走り出しました。
乱戦極まる中においても、旗の周りに味方兵士が示し合わせたように集いました。
各々が足並みを合わせて、一個の竜巻となり、敵兵を蹴散らしました。
この話をすると、途端に胡散臭いという顔をする人がおります。
多勢に無勢の戦場で、それも敵陣のまん真ん中で圧倒したというのは、話を盛っていると思うのでしょう。ですが、嘘ではありません。
道具に適した使い方があるように、武器にも適した間合いがあるのです。 数メートル以上離れていれば小銃の間合いです。
肉弾戦の武器など相手になりません。ですが、塹壕の中においてはナイフやシャベルの間合いです。ましてや、敵は自軍の兵士に気を遣いながらの戦闘です。対して、こちらの兵士たちは目につく敵に片っ端からナイフやシャベルを叩き込めば良いのですから、勝手が随分と違います。
僕たちの前に敵が列を成して殺されるのを待っているようでした。
手近な敵を殺せば、次の敵が押し出され、そいつに武器を振るう。倒れればまた次の兵士が押し出され、殺す。
殺し放題でした。僕たちは返り血を頭から浴び、体から湯気をのぼらせていました。
旗も血を浴びて、より鮮明な赤に変わりました。
僕はひたすら旗を高く掲げ、声を枯らして「進め、殺せ」と叫んでいました。
僕たちで何人殺したかわかりません。いや、僕が直接、手を下したわけではありませんが、殺せと声高に叫んでいたのですから、僕も殺したようなものです。
塹壕の中は血に染まり、遠目に見える敵兵たちは酷く怯えた目でこちらを伺っていました。こちらが一歩進めば、敵兵達は一歩引く、僕たちと敵兵との間に見えない何かがあるように見えましたね。
もしかしたら、このまま制圧できるのじゃないか、生き残れるんじゃないかという思いが胸に生まれました。いけませんね。運命というのはいつだって偏屈なやつということを、人間はついつい忘れてしまう。
特に命の瀬戸際ほど、淡い希望に確信を抱いてしまうものです。僕らが弾雨の中を潜ってこれたのは命を捨てていたからです。
死んでも良いと思えたからこそ、なら生かしてやろうと運命が変わったのでしょう。生きられるかもしれない、そう思えば、ならば殺してやろうと運命が気変わりしたのです。本当に運命は偏屈でへそ曲がりなやつです。
目の前で何かが視界の上から下に通り過ぎました。ちらりと見ようとした時、味方が僕を押し倒して覆い被さりました。
一瞬の後、空気が震え轟音が鳴りました。手榴弾でした。いち早く、手榴弾に気づいた味方が僕を庇ってくれたのです。大柄の兵士でした。僕に重なり、体重を支えることなくぐったりしていました。
兵士から這いずり出ました。目の前で倒れている兵士の背中には紅く染まり、ピンク色の肉がテラテラと光っていました。死んでいました。
それでも僕たちは動じませんでした。
「突っ込め、突っ込め」
中尉が大声で叫びながら、敵に向けて走っていました。
距離を空けていては手榴弾の餌食ですから、再度、混戦に持ち込み、手榴弾を投げられないようにしてやろうという狙いです。味方が周りにいる中で手榴弾を投げる馬鹿はいません。
また、混戦になりました。ですが、今度は長く続かなかった。突然、天地がひっくり返ったと思えば、背中を土壁に思い切り打ちつけました。痛みで空気が吸えませんでした。
目を開けると、凄惨な状態でした。敵味方関係なく何人もの兵士が肉片に変わり、塹壕の中を赤く染めていました。生きている人間も腕や脚が千切れて悲鳴をあげていました。
敵味方入り乱れた中に手榴弾を投げ入れてきたのです。狂気の沙汰です。敵が自軍よりも大勢いるのであれば、まぁわからないでもありません。ですが、僕たちはほんの数人しかいないのです。爆発に巻き込まれて負傷しているドイツ兵のほうが数が多いのは明らかです。
前に言いましたよね。戦場では自分と他人の境界が曖昧になりやすい。他人と自分の心がわからなくなるのです。他人の怒りは伝染し、悲しみは感染していくのです。
あの時、僕たちは命捨てていました。ただ死んだ仲間と死にゆく自分のために、勇敢に戦おうとしていたのです。
敵を殺しながら、自分の死場所を設えていたというのですから、狂気じみているかもしれませんね。
僕たちの中にあったそんな狂気が敵兵にも移ってしまったのです。
敵味方の識別もなく、ただ恐れのままに爆弾を投げつけてくるのですから溜まったものではありません。
右へ左へ竜巻の中にいるように転がされました。轟音が鳴り続き、耳がくぐもったようにしか聞こえなくなりました。
ようやく爆発が止んだ時には、僕の周囲に生きた人間はいませんでした。ただ、潰れたトマトのような何かが、地面や壁に張り付き、持ち主を失った手足や頭が転がっていました。
遠目に1人のドイツ将校のような人物が、空に拳銃を数発撃ち、歩兵達に怒鳴り散らしている様子が見えました。将校が狂気に陥っていた歩兵達を統率したようです。
僕の右手に持っている赤旗は、度重なる爆風で穴が開き、千切れかけていました。
味方のほとんどは爆発によって死にました。敵味方の死体が入り乱れており、誰の死体なのかすらさっぱりわかりません。
幸い、僕は五体満足でした。酷い頭痛と吐き気はしましたが、体は動きます。
軋む体に鞭を打ち、旗の柄を支えにして立ち上がりました。
背後に目を向けると、ボロ雑巾のようななりで中尉が立ち上がっているところでした。
片腕はもげ、足元には血溜まりができていました。
僕の味方はもう中尉だけになっていました。僕たちは互いに背中合わせになりました。
その周囲を何十人ものドイツ兵が取り囲んでいました。
僕は肩越しに中尉へ声をかけました。
ーどうだい?満足したか?
肩で息をしている中尉は、瀕死の様子からは想像できないような軽やかな声を出しました。
「あぁ、満足だ。見ろよあいつらの顔を、皆が皆、青白い顔して怯えてやがる。ありゃ俺たちのことは忘れられないな」
気丈な様子でしたが、中尉は笑おうとし、逆流してきた血を口から吐きました。
おい、と中尉を見ようと振り向こうとした時、視界の端で敵兵達が引き金に指をかけるのが見えました。そう思うと中尉が僕を壁へと突き飛ばし、僕に覆い被さりました。地面と中尉との間で僕が挟まれるような形ですね。
その瞬間、猛烈な雨がトタン屋根を叩くような音が聞こえました。
何十発もの弾丸が僕たち目掛けて発射されたのです。
僕を覆う中尉の体が小刻みに痙攣しました。
数秒ほどして銃声が止みました。ドイツ語で怒声が聞こえました。将校の声でした。
僕を覆う中尉は力なく僕に体を預けていました。彼は死んだのです。
目を瞑り、彼の体を抱きしめました。手にはほんのりと温かい液体の感覚がしました。
このまま眠ってしまいたかったのですが僕には最後の大仕事が残っています。最後の一兵になっても逃げることは許されません。
中尉の体の隙間から抜け出した僕の体には、弾丸一つの傷もありませんでした。右手に握られた旗は弾雨で穴だらけになっていました。
離れた場所にいる将校は、僕の存在に気づきました。拳銃の銃口を僕に向け、狙いを定めています。
死ぬ事は怖くありません。元々、死ぬつもりでここに来たのですから。むしろ、精一杯戦いましたからいい幕切れだと思いました。
ふと、気が付きました。自分たちが一体どこまで来ていたのかを。中腹でした。僕たちが追い落とされて、仲間たちを置いてきてしまった場所です。僕たちが汚らしくも美しい日々を送ったあの場所です。
僕は、いえ、僕たちは帰ってきました。約束は守りました。
仲間の血が染みた大地です。我ら祖国の土を踏んでいるのです。胸が色めき立つのを感じました。
旗を高く掲げました。風を受けてなびく赤旗はどんな軍旗よりも神々しく、偉大に見えました。
視界の端で拳銃の撃鉄をあげるのが見えました。将校の顔が見えました。表情は平静を保っているようでしたが、目には明らかに怯えが映っていました。
恐れて殺される。満足でした。僕たちは充分に勇敢でした。恐れは敬いの類義です。僕たちの姿を敵兵は二度と忘れることはないでしょう。そう思えば、生きる意味はあったのだと嬉しくなりました。
掲げていた赤旗を僕は思い切り、地面に突き刺しました。爆発によって柔くなった地面には思っていたよりも簡単に、深く突き刺さりました。手を離すと、旗は自立していました。
これが僕の最後の仕事です。僕たちが全滅しようとも、意思は旗に募り、二度と失われることはないでしょう。それまで懐疑的だった永遠が今なら信じられました。この旗は何千年もここでこうしてあり続ける。旗を見るたびに人々の中で僕たちは生き続けられるのだと、永遠にこの旗とあり続けるのだと思いました。
目を瞑りました。数秒もしないうちに、僕は頭を撃ち抜かれて死ぬでしょう。ですが、心中は穏やかでした。
頬に吹く風は穏やかで、雲間から指す陽光は僕をすっぽりと温めてくれました。これほどの心地良さを僕は知りませんでした。
この為に志願したと考えれば、戦争も悪いものではありません。
先に行った仲間も、きっとこの感覚を味わったと思えば、顔が緩みました。
銃声が聞こえると思っていました。ですが、耳に届いたのは別の音でした。
一瞬遅れて、猛烈な風が僕を襲い、後ろに転びました。
爆発でした。驚き目を開けると、ドイツ将校を中心として、バラバラのドイツ歩兵達の死体が転がっていました。何が起こったかわかりませんでしたが、続く敵兵の声と、指を刺す先に視線をやりました。
友軍の突撃です。それもかなり接近していました。先ほどの爆発は友軍の兵士が投げた手榴弾のものだったようです。
ドイツ兵達は慌てて小銃を構え、機関銃の銃座に着きますが、接近されすぎていました。友軍が波となって塹壕に飛び込んできました。波に飲まれた敵兵は死体となっていました。
一人、僕は取り残されていました。突然の友軍の登場でした。数としては中隊規模ほどでしょうか。
どこにこれほどの人数がいたのか想像がつきませんでした。肩章を見ますが、様々な部隊のものが見られ、統一していません。
それで得心いきました。仮設中隊です。僕がこの戦場に来た時に、怯え恐れてちぢかまっていたあの兵士たちです。ですが、僕の目の前にいる兵士たちにはそんな影は見えません。
赤く血走った目には燃えるような闘志が燃えていました。鬨の声と共に猛烈な勢いで敵兵を蹴散らし進んでいきます。
不思議なことに、これだけの人数が猛烈な勢いで走っているのに、誰一人、赤旗にぶつかることなく、走り抜けていきます。まるで、川の中に突き出た岩を避けて進む水の流れのようでした。
絶えず進み、敵兵を殺して進んでいく、水に呑まれた人間はただ死んでいくのみでした。




