第二十七話 【無嗣断絶】
第十一代将軍、徳川家斉は、十五歳で将軍になって以来、その治世は五十年に及んだ。
これは徳川将軍家十五代の中でも最長の期間であり、二百六十年余りを数える江戸時代の五分の一近くを、家斉一人が治めていた事になる。
家斉は前年の天保八年に、将軍職を次男の家慶に譲っていたが、大御所として政治の実権を握り続けている。
そんな中、家斉の実子である松平斉善卒去の報は西ノ丸にもたらされた。
家斉はすぐさま越前松平家の存続を許そうとしたが、これに強硬に反対したのが西ノ丸老中である堀田備中守正睦である。
「越前松平家が御家門筆頭である事も、これまで幕府に忠誠を尽くしてきた事も良く存じ上げております。しかしながら、無嗣断絶は改易に処すのが定法の核心でございます。もしこの大前提を崩さば、定法などあって無きが如くとなり、収拾が付かなくなりましょう。正に天下安寧を揺るがす愚挙としか申し上げようがありませぬ。」
堀田正睦の言説は全くもって正論であり、真正面からここまで言われてはさすがの家斉と言えども自分の意思を押し通すのは難しい。
結局この日、越前松平家の仕置について、結論が出る事は無かった。
一方、家斉以外にも、越前松平家の存続に賛成する幕閣は存在した。
若年寄の林肥後守忠英である。
僅か三千石の旗本から身を興した忠英は家斉の側近として出世に出世を重ね、遂には老中に次ぐ重職である若年寄にまで上り詰めた人物である。
齢七十五という高齢にして、五十年に渡り家斉の側近を務める忠英は、幕閣に於いて老中を凌ぐ程の権勢を誇っている。
そんな忠英にとって最優先すべきは家斉の意向であり、定法など二の次に過ぎない。
忠英は主君家斉のため、打開策を思案していた。
そこに届いたのが松栄院からの嘆願状である。
嘆願状を一読した忠英は、そこに込められた意図を直ちに理解した。
「渡りに船とはこの事。すぐに越前松平家に使者を出せ。」
次回は7月9日(金)20時に公開予定です。




