第二十八話 【若年寄の使者】
上総国貝淵藩からの使者が常盤橋を訪れたのは、松栄院の嘆願状を幕府に届けた僅か二日後の事であった。
貝淵藩はたかだか一万八千石の小藩に過ぎないが、その藩主こそ若年寄・林肥後守忠英その人である。
使者は応対した江戸家老・岡部左膳に対して口上を述べ伝える。
それは明日酉の刻に蛎殻町にある貝淵藩上屋敷への来訪を求めるものであった。
越前松平家にとって、待ちに待った幕閣からの反応である。
嘆願状を届けた後は相手の反応を待つしか無い事は承知していたものの、幕府の動きをじりじりしながら待っていた左膳たちにとって、その二日は途轍もなく長いものであった。
「肥後守様には確かに承ったとお伝え下され。」
使者を丁寧に見送った左膳は、直ぐに右近を呼び出し、事の顛末を知らせる。
「若年寄の林様と言えば大御所様の側近とお聞きしていますが?」
「左様」
「これで決まりですな。当家への仕置を決するのは西ノ丸でござる。」
「それで間違いあるまい。問題は相手の出方だが、お主の考えを聞きたい。」
「林様は長年幕閣に名を連ねる老練な方とお見受けしております。そのようなお方が嘆願状に込めた『意図』についてお気付きにならないはずがございませぬ。その上でご家老を呼び出された目的ですが、これは『確認』でありましょう。」
「確認とは?」
「有り体に申せば御前様卒去の日時について、口裏を合わせるための確認でござる。当家が口裏合わせに全面的に協力するとの保証があれば、当家の存続のため動いて頂けるでしょう。」
「無論、こちらに異存は無い。」
「さらに当家継嗣の人選については幕府にお任せする事をお伝えしたら如何かと存じます。」
「そうだな、この上継嗣について望みを申せる立場ではあるまい。」
「話がそれで纏まれば、上首尾と言えましょう。当家の存続が許されるのなら、減封は無論の事、事によっては、国替えも覚悟しなければなりますまい。」
「それもこちらから申し出るのだな?」
「いえ、それはあくまでも最後の手段。今は明かさないのが賢明かと存じまする。まずは継嗣の人選を幕府に委ねる事での決着を目指すべきでしょう。」
「林様への付け届けは如何する?」
「無論必要でござる。相手が絶句するほど渡しましょうぞ。」
「相分かった。右近、明日はお主も一緒に参れ。」
「御意。」
いよいよ幕府との事前交渉が始まろうとしている。
仕置を決する場には立ち会えない越前松平家にしてみれば、この事前交渉こそが事実上の本交渉に他ならない。
越前福井藩の命運は、明日決すると言っても過言ではなかった。
次回は7月16日(金)20時に公開予定です。




